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十人十色

夕方。

十一人は、初めて同じグラウンドに立っていた。

ただし、本格的な練習は禁止されている。

軽いキャッチボール。軽いノック。短時間の打撃。

榊原監督から言われたのは、それだけだった。

そのはずだった。

「神代!」

黒崎がボールを持ったまま叫ぶ。

「一球勝負や!」

「やらない」

「なんでや!」

「軽くって言われただろ」

「一球だけや!」

「お前の一球が軽く終わるわけないだろ」

黒崎が言葉に詰まった。

「……ほんなら八割で投げる」

「絶対嘘だろ」

「なんで分かんねん!」

「分かるから言ってる」

少し離れた場所で、そのやり取りを見ていた榊原監督が呆れたように口を開いた。

「黒崎」

「はい?」

「軽くの意味、分かるか?」

「分かってます」

「なら神代に勝負を挑むな」

「一球だけですって」

「その一球でお前ら二人とも本気になるだろ」

黒崎が黙った。

神代が言う。

「俺もそう言いました」

「お前も得意げに言うな」

「はい」

榊原監督は小さく息を吐いた。

初日からこれである。

だがグラウンドの別の場所を見ても、大人しくしている者はほとんどいなかった。

御堂がバットを持ったまま、朝倉へ聞いている。

「神代、今日投げないの?」

「多分ね」

「せっかく来たのに」

「春休みずっといるんだから、今日じゃなくてもいいでしょ」

「でも一回くらい見たいじゃん。俺、まだ神代の本気の球を近くで見てないし」

「そのうち嫌ってくらい見るよ」

「それは楽しみだ」

御堂は本当に楽しそうだった。


その向こうでは、轟がティー打撃をしている。

バシンッ!

強烈な打球がネットへ突き刺さった。

「藤堂、もう少し速く!」

トスを上げていた藤堂が苦笑する。

「これ以上速くしたら、ティー打撃じゃなくなりますよ」

「いいから!」

「分かりました。でも怪我だけはしないでくださいね」

「大丈夫!」

「そう言う人ほど心配なんですけどね」

再びボールを上げる。

轟のバットが唸った。

外野では九条がノックバットを持っている。

「鷹野! 一歩目逆!」

「分かってるって!」

「分かってたら逆に行かない!」

「細かいな!」

「外野手は最初の一歩で変わるだろ!」

「初日から厳しすぎるって!」

文句を言いながらも鷹野は走る。

そして速い。

打球へ追いつき、最後は余裕を持って捕球した。

「今のはどう?」

「まあまあだな」

「取っただろ!」

「最初の一歩が合ってればもっと楽に取れた」

「だから細かいってば!」

少し離れた場所では、白石がグラブを持ったまま全員の動きを見ている。

自分から前へ出るわけではない。誰がどこにいて、何をしているのか。

ほとんど全てを見ているようだった。

その横では橘が笑っている。

「何がおかしい?」

白石が聞いた。

「いや」

橘はグラウンドを見る。

「なんか楽しくない?」

「まだほとんど何もしてないけど」

「十一人いるじゃん」

「いるな」

「昨日まで全国にバラバラだったのに、今日から毎日こいつらと野球するんだよ?」

橘はまた笑った。

「普通に面白そう」

白石は少しだけ考えてから答えた。

「お前、ずっとそんな感じなのか?」

「どんな感じ?」

「楽しそう」

「悪い?」

「別に」

白石は再びグラウンドへ視線を戻した。

その頃、神代は水城とキャッチボールをしていた。

水城の左手から放たれたボールが、神代のグラブへ収まる。

パンッ。

「少し良くなったな」

神代が言う。

「何が?」

「下半身。前より使えてるぞ」

水城が嬉しそうに笑った。

「分かる?」

「見ればな」

「神代くんに言われたメニュー、ちゃんと続けてたからね」

水城がボールを受け取る。

「でも、改めてやっぱりみんなすごいね」

「ああ」

水城は周囲を見た。

「本当にこの人たち全部、神代くんが選んだんだ」

神代が少し嫌そうな顔をした。

「全部って言い方やめて。物みたいだから」

「あ、ごめん」

「別に怒ってないけど」

「怒ってないのは分かってるよ」

水城が笑う。

そしてもう一度、グラウンド全体を見渡した。

「でもさ」

「何?」

「神代くんがいなかったら、こうなってないんだよね」

神代も全員を見る。

全国を回った。断られそうになったこともある。

最初から候補ですらなかった藤堂のような選手もいる。

「そうかもな」

「やっぱりすごいよ」

「水城は俺を評価しすぎ」

「そんなことないって」

その時だった。

「水城!」

黒崎の声が飛んできた。

水城が振り返る。

「え!何?」

「お前左やろ! 一回投げろや!」

「今?」

「今や!」

水城が神代を見る。

「行ってきていい?」

「俺に聞く必要あるのか?」

「あ」

数秒止まる。

「そっか」

水城は少し恥ずかしそうに笑うと、黒崎の方へ走っていった。

神代はその背中を見る。

その隣へ朝倉が来た。

「どう?」

「何が?」

「みんな」

神代はグラウンドを見る。

バラバラだった。

黒崎は神代と競うことばかり考えている。

水城はまだ神代への依存が強い。

轟は打つことへの興味がほとんどを占めている。

御堂もまず自分の打撃。

鷹野は九条の細かさに振り回されている。

白石は少し離れて周囲を観察している。

橘は誰にでも自然に話しかける。

藤堂は気づけば誰かの補助へ入っている。

朝倉と九条だけは昔から変わらない。

だが、十一人が一つになっているわけではない。

「まだチームって感じじゃないな」

神代が言った。

朝倉が少し笑う。

「今日会ったばかりなんだから、そりゃそうだよ」

「それもそうだな」

「夏までに間に合うかな?」

神代は即答した。

「間に合わせるさ」

「そう言うと思った」

「間に合わないなら、集めた意味ないだろ」

「怜司らしいね」

少し離れた場所。

榊原監督も、二人とは別の場所から十一人を見ていた。

黒崎の身体と右腕。水城の独特な左腕。白石の周囲を見る目。鷹野の脚。

御堂の打撃技術。橘の人懐っこさ。轟の身体から生まれる打球。

藤堂の器用さと、自然に他人へ合わせられる性格。

そして。

朝倉。九条。神代。

一人ずつ見れば、確かに面白い。

中学生として考えれば、全国でも高い水準にいる選手が何人もいる。

だが、今グラウンドにいるのは、十一人の選手だ。

まだチームではない。

榊原監督は腕を組んだ。

――これで甲子園五連覇、か。

一年目の夏から全国制覇。三年間公式戦無敗。

やはり馬鹿げている。

今見ても、その考えは変わらなかった。

それでも榊原監督は、黒崎に呼ばれてマウンドへ向かう水城を見る。

轟へトスを上げる藤堂。鷹野へ何度もノックを打つ九条。

何かを話して笑っている橘。

そして、その全てを見ている神代。

数か月後。この十一人がどうなっているのか。

ほんの少しだけ見てみたいと思い始めていた。


夜。

寮の食堂。

十一人が長いテーブルを囲んでいた。

練習中よりも、むしろこちらの方が少しぎこちない。

野球をしていれば話題はある。だが食事となると違う。

最初の数分のあいだ、聞こえるのは食器の音ばかりだった。

その空気を最初に壊したのは、やはり橘だった。

「轟、それ何杯目?」

「四」

鷹野が顔を上げる。

「もう四杯?」

「まだ四杯」

「まだ?」

監督の妻である寮母が大盛りのご飯を持ってくる。

「はい、轟くん」

「ありがとうございます!」

「ほんとよく食べるわね」

「まだまだいけます!」

鷹野が自分の茶碗を見る。

まだ一杯目だった。

「俺、見てるだけで腹いっぱいになってきたわ」

轟が鷹野を見る。

「だから細いんだよ」

「お前と比べるなよ」

「もっと食え」

「食ってるって」

「少ない」

「お前が多すぎるんだよ!」

橘が笑う。

黒崎まで少し笑っていた。

藤堂が轟の食事を見る。

「でも、一気に食べすぎるのも良くないですよ」

「なんで?」

「消化にも負担がかかりますし、身体を大きくしたいなら食べ方も考えた方がいいです」

「やけに詳しいな」

「北海道にいた頃から身体作りは色々調べていましたので」

轟が箸を止める。

「後で教えてくれ」

「もちろんです」

神代はその会話を聞きながら食事を続ける。

藤堂と轟。

今日までほとんど接点のなかった二人だ。だがもう、明日話す理由が一つできた。


その横では、黒崎が水城へ話しかけている。

「水城」

「何?」

「お前の球、やっぱ変やな」

「それ褒めてる?」

「一応な」

「ならありがとう」

「でも遅いわ」

「それは余計だよ」

「高校で球速は何キロ目標なん?」

水城が少し考える。

そして神代を見る。

「神代くんは三年で150キロくらいって」

黒崎の箸が止まった。

「は?」

「僕も最初そう思った」

「今何キロや?」

「最高128キロ」

「無理やろ!」

「やっぱりそう思うよね」

神代が口を挟む。

「だが可能性はある」

黒崎が振り返る。

「また始まったな」

「何が?」

「お前の意味分からん予測」

「根拠はある」

「じゃあ俺は?」

「何が?」

「三年で何キロ出る?」

神代は少し考えた。

「それはこれから次第だな」

「おい!水城には数字言うたやろ!」

「水城とお前じゃ成長の条件が違う」

「俺にも言えや!」

「分からないものは分からない」

「ムカつくわ!」

食堂に笑い声が広がった。

朝倉が九条を見る。

「初日から騒がしいね」

「主に黒崎だけどね」

「聞こえとるぞ!」

「聞こえるように言った」

「九条、お前も腹立つな!」

黒崎の声がさらに大きくなる。

さっきまで静かだった食堂が、いつの間にか騒がしくなっていた。

御堂と轟はどちらが遠くへ飛ばせるかという話を始めている。

鷹野は九条に、外野守備で本当にそこまで一歩目が重要なのか聞いている。

白石は口数こそ少ないが、橘に話しかけられれば普通に答えている。

藤堂は誰の話にも自然に入る。

そして水城も笑っている。

神代は食事をしながら、全員を見る。

昼に食堂へ集まった時とはまるで違った。

互いの能力しか知らなかった選手たちが。

少しずつ。

名前の先を知り始めている。

榊原監督の言葉が頭に浮かんだ。

――データだけで仲間を知ったつもりにはなるなよ。

神代にはまだ、その言葉を完全には理解できていなかった。

ただ、昼よりも今の方が、十一人の会話が増えている。

それだけは事実だった。


夜。

食事と入浴を終えると、十一人はそれぞれの部屋へ戻っていった。

まだ初日。

自然と誰かの部屋へ集まって夜遅くまで話すほどの関係ではない。

黒崎はストレッチ。

御堂はバットの手入れ。

轟は、夕食をあれだけ食べたにもかかわらず補食を口にしていた。

白石は今日見た選手たちについてノートへ書いている。

鷹野は荷物の整理を途中で諦め、ベッドへ倒れ込んだ。

藤堂は服と野球道具を綺麗に収納していく。

橘は自分の部屋にいるのが早くも退屈になり、誰かの部屋へ行こうか考えていた。

水城は神代から以前渡された育成資料をもう一度読み返している。


そして神代は机に座っていた。

パソコンの画面には、十一人分のデータ。

今日見つけた修正点を追加していく。

黒崎:下半身の状態良好。球威に大きな変化なし。感情制御――変化なし。

神代の指が止まった。

水城:身体作りは予定通り。

藤堂:補助能力。

橘:コミュニケーション。

そこでまた指が止まる。

数時間前。

榊原監督に言われた言葉。

『データだけで仲間を知ったつもりにはなるなよ』

神代は画面を見る。

そして数秒考えた。

新しい項目を作る。

『対人関係』

黒崎大雅――水城湊への競争意識あり。

藤堂岳――轟剛士と身体作りについて会話。

橘陽斗――他選手への接触頻度高。

そこまで入力して、神代の手が止まった。

榊原監督が見れば、たぶん言うだろう。

『そういう意味じゃない』と。

神代自身にも、それは分かっていた。

だが他にどうすればいいのかは、まだ分からない。

神代はしばらく画面を見つめたあと、その項目を消さずに保存した。

今はこれでいい。分からないなら、観察すればいい。

試して、結果を見て必要なら変える。

それが神代怜司のやり方だった。

パソコンを閉じる。

部屋が静かになる。

窓の向こうには、暗くなったグラウンドが見えた。

今日、初めて十一人で立った場所。

神代は少しだけそれを見てから、カーテンを閉めた。

中学校を卒業した日。

神代怜司は、三年間通った学校を一度も振り返らなかった。

過去を見る理由がなかったからだ。

この時の神代にとって。

蒼凛学園の寮も。あのグラウンドも。今日初めて十一人で過ごした時間も。

まだ、これから勝つために必要な場所と時間でしかなかった。

それが三年後。

振り返らずにはいられないほど大切なものになることを。

この時の神代怜司は、まだ知らない。

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