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広島のロマン砲

広島県。球場へ向かう電車の中。


九条颯真は、神代怜司から渡された資料を見ながら呟いた。

「……何回見てもでかいな」

向かいに座る朝倉蓮が笑う。

「それ、さっきも言ってたよ」

九条は資料を軽く叩いた。


『轟剛士。広島県。三塁手。右投右打。身長187センチ。体重92キロ』


「いや、中三で92キロって普通じゃないだろ」

「普通じゃないから来てるんだろ」

神代はそう言いながら、タブレットで映像を見ていた。

「今回は分かりやすいな」

「何が?」

「四番候補なんだろ?」

神代が顔を上げる。

「まだ決めてないがな」

「は?」

九条だけでなく、朝倉も神代を見る。

「轟を四番にするために広島まで行くんじゃないの?」

「違う」

「じゃあ何しに行くんだよ」

神代は映像を止めた。

「四番にふさわしい打者か確認しに行く」

九条はもう一度資料を見る。

本塁打数。打点。長打率。

どれを見ても全国でも上位。

「これで四番じゃなかったら誰が打つんだよ」

「高校に入って、一番適してる奴が打つ」

「御堂とか?」

「可能性はあるな」

九条が笑った。

「それ轟に言ったら怒るんじゃね?」

「どうして?」

「……いや、もういい」

朝倉が小さく笑った。

神代は再び映像へ視線を戻す。

だが、今度見ているのはホームランではなかった。

外角の変化球を空振り。

低めのボール球に手を出す。

一塁が空いている場面では、相手投手が徹底して勝負を避けている。

そのたびに、轟のスイングが少しずつ大きくなっていた。

神代は何も言わず、映像を止めた。


数時間後。

三人は広島県内の球場にいた。

四番、サード。轟剛士。

グラウンドに立つ姿は遠目からでもすぐに分かった。

「やっぱでかいな」

九条が言う。

「それもう三回目」

朝倉が返した。


そして試合が始まる。

轟は第一打席で、甘く入ったストレートを左中間スタンドへ運んだ。

外野手がほとんど追わない。

それほど明らかな打球だった。

「……飛ぶね」

朝倉が呟く。

神代はノートへ何かを書き込む。

しかし次の打席。二塁に走者。

相手投手は明らかに勝負を避けた。

外角。さらに外角。

最後はボールゾーンへ逃げる変化球。

轟はそれを追いかけた。

空振り三振。

神代のペンが止まる。

「なるほど」

九条が横を見る。

「何が?」

「あとで分かる」


その後、轟は四球と安打。

試合は轟のチームが勝った。

神代がノートを閉じた。

「行くぞ」

朝倉が聞く。

「え、もういいの?」

「ああ、十分だ」

神代はグラウンドを一度見る。

確認したかったものは、もう見えた。


試合終了からしばらくして、三人は球場の外で轟が出てくるのを待っていた。

九条が自動販売機で飲み物を買いながら言う。

「今回はスカウトの数が多かったな」

「そりゃそうでしょ今日もあれだけ飛ばしたし」

朝倉が答える。

歴史ある名門校。そして甲子園常連校。

轟ほどの打者なら、進学先はいくらでも選べるだろう。

神代たちがこれまで勧誘してきた選手の中でも、条件だけで言えばかなり不利な相手だった。

だが、神代はいつも通りだった。


しばらくして、一際目立つ体格の轟が球場から出てきた。

それを見て神代が歩き出す。

朝倉と九条も続いた。

「轟剛士」

轟が振り返り三人を見る。

そして。神代のところで視線が止まった。

「……もしかして神代怜司か?」

朝倉と九条が僅かに反応する。

神代も少しだけ目を細めた。

「なぜ分かった?」

「名前しか知らないけどな、なんとなく」

「そうか」

九条が小声で朝倉に言う。

「初めてじゃね?はっきりと向こうが怜司のこと知ってるの」

「たぶんね」

轟は二人を気にすることなく神代を見ていた。

「大阪の黒崎の噂は本当だったのか?」

神代が聞く。

「黒崎がどうした?」

「東京の新設校に行くって噂のことだ、本当なのか?」

「ああ」

轟の目が少し変わる。

「じゃあ愛知の御堂もか?」

「そうだ」

数秒、轟は黙った。

そして小さく笑う。

「マジなのか」

「何がだ?」

「最近、中学野球の奴らの間で少し話題になっててな」

「どんな話題だ?」

「変な中学生が全国回って、自分と同い年の選手を勧誘してるって」

九条が吹き出した。

「合ってるじゃん」

「颯真」

神代が言う。

「でも事実だろ」

やりとりを見ていた轟も少し笑った。

「しかも大阪の黒崎を連れてった」

「まだ入学してないけどな」

「細かいな」

「まあ事実だからな」

「御堂もだろ?」

「ああ」

轟の笑みが消える。

「そこが気になってた」

神代は黙って続きを待つ。

「黒崎も御堂も、俺でも知ってるくらいに有名な選手だ」

黒崎大雅は全国でも名前の知られた剛腕。

そして御堂悠真は全国大会経験もある、屈指の巧打者。

どちらも名門校から誘われている。

普通なら、聞いたこともない新設校を選ぶ理由などない。

轟は神代を見る。

「なんであの二人がお前のところ行くんだ?」

「本人に聞けばいいだろ」

「連絡先知らねえんだよ」

「そうか」

「そうかじゃねえ」

朝倉が笑いを堪える。

轟は続けた。

「お前、俺を誘いに来たんだろ?」

「ああ」

「ならちょうどいい」

神代が少し首を傾ける。

「何が?」

「学校の説明とかいらないからよ」

「そうか」

「設備がどうとか、寮がどうとかも後でいい」

「じゃあ何が聞きたいんだ?」

轟は即答した。

「お前がどんなチームを作るつもりなのかだよ」

神代は数秒、轟を見る。

それから手にしていたファイルを開いた。

一枚の紙を取り出し、それを轟へ渡す。

「何だこれ」

「入学予定者のリストだ」

そこには名前がずらりと並んでいた。


投手・内野・外野:神代怜司。

捕手:朝倉蓮。

ショート:九条颯真。

投手:黒崎大雅。

投手:水城湊。

セカンド:白石

センター:鷹野。

ライト:御堂悠真。

レフト:橘陽斗。


轟の視線が順番に動く。

「水城って誰だ?」

「静岡の左投手」

「知らねえな」

「今はな」

「橘も知らねえ」

「そいつは宮城の外野手だな」

轟が顔を上げる。

「有名な奴だけ集めてるんじゃないのか?」

「俺はそんなことは一度も言ってないぞ」

轟はもう一度紙を見る。

黒崎。御堂。そして、自分の知らない選手たち。

名前の横には、それぞれポジションが書かれている。

だが。

「打順は?」

「決めてない」

轟が紙から顔を上げた。

「まだなのか?」

「ああ」

「俺を誘いに来たんだよな?」

「そうだ」

「ポジションは?」

「サードを考えてる」

「じゃあ俺が四番でいいだろ」

神代は即答しなかった。

轟の眉が動く。

「なんだよ、違うのか?」

「いや、今のところお前が一番近いことはたしかだ」

「今のところ?」

「ああ」

轟から笑みが消えた。

「俺よりホームラン打ってる奴がいるのか?」

「それは知らない」

「じゃあ打点は?」

「おそらくお前が一番多い」

「なら俺でいいじゃねえか」

神代は轟を見る。

「どうしてそうなる?」

「どうしてって……四番は一番打てる奴が打つもんだろ」

「一番ホームランを打つ奴と、一番四番に向いている奴は同じとは限らない」

轟が黙る。

神代は続けた。

「俺はお前を四番にするためにわざわざ広島まで来たわけじゃない」

朝倉と九条も黙って神代を見ていた。

「四番を打てる可能性が一番高いと思ったから来たんだ」

轟は数秒、神代の顔を見る。

「……可能性だと?」

「そうだ」

「じゃあ俺が入っても、四番じゃないこともあるってことか?」

「当然だろ」

神代は何でもないことのように答えた。

「お前より適した奴がいれば、そいつを四番にするだけだ」

轟の目が細くなる。

「誰のことだよ」

「それはまだ分からない」

「御堂か?」

「可能性はある」

その瞬間、轟の表情が明らかに変わった。

「ホームランほとんど打たない奴だろ」

「そうだな」

「そいつを俺より四番にするかもしれないって言ってんのか?」

「だからそう言っている」

轟はしばらく黙っていた。

怒っているようにも見える。

だが神代には分かった。

それだけではない。

轟の目には試合中よりもはっきりとした闘争心が浮かんでいた。

「……御堂か」

轟がもう一度その名前を口にする。

「俺よりホームラン打たない奴を四番にするかもしれないってことだな?」

「ああ」

「意味分かんねえ」

「そうか?」

「普通は一番打てる奴が四番だろ」

「だから、その『一番打てる』の基準が違う」

轟の眉が動く。

神代は続けた。

「ホームランを一番多く打つことと、四番として一番点を取れることは同じじゃない」

「俺が点取れないって言いたいのか?」

「今のままなら、そういう試合も出てくるだろうな」

轟の表情が険しくなる。

九条が小さく息を吐いた。

また始まった。

神代は相手が誰であろうと容赦しない。

轟は一歩前へ出た。

「今日ホームラン打ったの見ただろ」

「見た」

「なら何が足りねえんだよ」

神代は即答した。

「たしかに勝負してもらえる時のお前は強い」

甘いストレート。失投した変化球。

少しでもゾーンへ入れば、轟は驚異的な確率で仕留める。

そして飛ばす。

その飛距離は、間違いなく全国でも屈指。

「でも相手がお前を警戒して、まともに勝負しなくなると変わる」

轟の顔から完全に笑みが消えた。

「ボール球でも打とうとする」

「……」

「四球を嫌がる」

「……」

「お前は自分で決めようとしすぎる傾向にある」

神代はさらに続けた。

「今はそれでもいい」

轟が睨む。

「何だと?」

「中学まではな」

神代は轟をまっすぐ見る。

「高校に行けば、もっと徹底して勝負を避けられる」

相手も勝つために投げる。

目の前に、どこへ投げてもスタンドへ運びかねない打者がいる。

そうなればまともに勝負する必要などない。

「お前が本当に怖い打者になればなるほど、ストライクは減る」

轟は何も言わない。

「その時に、今日の試合みたいにボール球を振るなら四番には置けない」


空気が変わった。

九条が神代を見る。

「そこまで言うか?」

「事実だろ」

「いや、そうだけどさ」

轟が低い声で聞いた。

「じゃあ誰なら置くんだよ」

「その時、一番点を取れる奴」

「だから誰だ」

「御堂かもしれない」

轟の眉間に皺が寄る。

「なんであいつなんだよ」

「御堂は打たせない方が難しいからだ」

「……」

「速球でも、変化球でも、内角でも外角でも一本にする」

神代は一度言葉を切った。

「少なくとも今のお前より、投手に選択肢を与えない」

轟は紙に書かれた御堂の名前を見る。

中学野球では有名な打者。

自分とは正反対。ホームランは少ない。

だが、異常なほどにヒットを打つ。

「名門校に行けば、お前は多分四番になれるだろう」

轟は黙る。

「一年から試合にも出るだろうし甲子園にも行けるかもしれない」

「ならそっちの方がいいだろ」

轟が言った。

神代は首を振らない。

「そう思うなら、そっちに行けばいいだけのことだ」

轟が一瞬黙る。

「俺はお前に四番を約束するつもりはない。レギュラーも約束しない」

轟が眉を上げた。

「レギュラーまで?」

「実力が足りなければ使わないのは当然だ」

神代は続けた。

「でも、お前なら取れると思ってる」

轟の目が僅かに見開かれる。

「今のお前なら駄目な試合もある」

「でも三年間ある」

「ボール球を見極めればいい」

「勝負されないなら、勝負させる方法を覚えればいい」

「状況に合わせて打ち方を変えればいい」

轟が聞く。

「そんな簡単に言うなよ」

「簡単とは言ってない」

神代は即答した。

「できると思ってるから誘ってる」

轟が黙る。

神代はその体を見る。

見れば誰でもすでに完成しているように見えるだろう。

だが神代にはそう見えていなかった。

「お前はまだまだ伸びる」

轟の視線が神代へ戻る。

「高校三年間で、お前よりホームランを打つ高校生はいなくなるかもしれない」

轟の表情が少しだけ変わった。

「……かもしれない?」

「ああ」

「そこは言い切れよ」

「未来のことだからな」

轟は紙を神代へ返した。

神代が受け取る。

「もういいのか?学校案内もあるけど」

「いらねえ」

「そうか」

「いや、後で親に見せるからそれはくれ」

神代が学校案内を取り出す。

「どっちなんだ」

「今は野球の話してんだよ」

轟は学校案内を受け取った。

表紙を見る。

「名門行って、最初から四番やれって言われるより」

一度、口元を上げる。

「そっちで四番奪う方が面白そうだ」

九条が笑う。

朝倉も少し笑った。

神代だけは表情を変えない。

「じゃあ来るのか?」

「行く」

轟は即答した。

「じゃあ決まりだな」

轟がそのまま帰ろうとする神代の背中へ声をかける。

「神代」

神代が振り返る。

「四番、ちゃんと空けとけよ」

神代は少しだけ首を傾けた。

「空けておく必要はない」

「は?」

「入学したら奪え」

一瞬、轟が目を見開く。

そして大きく笑った。

「上等だぜ」

広島県。

神代怜司の全国スカウト。

その七人目。


蒼凛学園の四番候補――轟剛士。

その進学先が、この日決まった。


三人は東京行きの帰りの新幹線の中にいた。

「あともう少しで終わりだな、ここまで長かったぜ」

九条は伸びをしながら言った。

「で、最後の一人は?」

神代が答える。

「決めていない」

「候補はいるのか?」

「何人かいるな」

「じゃあ次はそいつ?」

「たぶんな」


その時、神代のスマートフォンが振動した。知らないアドレスからの一通のメール。

神代がメールを開く。


『はじめまして。北海道の藤堂岳といいます』

『全国から選手を集めて、甲子園で五連覇するつもりだそうですね』


神代の目が僅かに細くなる。

指を下へとスクロールする。


『黒崎くんも御堂くんも、もう決めたと聞きました』

『あと一人、空いていますよね?』


最後の一行。


『一度、会ってもらえませんか』


九条が画面を覗く。

「……誰、知り合いか?」

神代は答えなかった。


『藤堂岳』


候補者リストには入っていない名前だった。


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