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理解不能

試合はそのまま5対4で終了し、橘のチームが勝利した。


三人は球場の外へ出て、選手たちが出てくるのを待つ。

九条が腕を組みながら神代を見る。

「で、どうすんだ?」

「何が?」

「橘だよ。スカウトするのか?」

神代は少し考えてから答えた。

「話してから決めることにした」

「まだ決めてないのか? 三回とも得点圏で打ったぞ。それも全部重要な場面でな」

「そうだ。だからこそだ」

九条が眉をひそめる。

「どういう意味だよ?」

神代は先ほどまでの試合を思い返す。

通常時の二打席は三振とセカンドゴロ。

だが、走者が得点圏に進んでからは三打席連続安打。

しかも同点、勝ち越し、延長戦と場面の重要度が上がるほど打撃内容まで良くなっていた。

「理由が分からないんだ」

朝倉が少し笑う。

「やっぱりそこが引っかかってるんだね」

「当然だ。理由が分からなければ、再現性が高いのか判断できない」

「でも去年から同じ傾向なんだろ?」

九条が言う。

「まあな」

「今日も三回続いた。それなら、もうそういう選手ってことでいいんじゃないか?」

そう結論づけるのは簡単だった。

だが、それでは説明になっていない。

なぜ重要な場面になると打てるのか。

なぜ普段より打撃内容まで良くなるのか。

神代には、それが分からなかった。

そして分からないからこそ、確かめたかった。


しばらくすると、肩にバッグを掛けた橘が一人で球場から出てきた。

神代が近づき声をかける。

「橘陽斗」

「ん?」

橘が振り返る。

「俺は神代怜司だ」

その名前を聞いた橘は、一瞬だけ考えるような顔をした。

「え?あの神代怜司?」

神代の眉が僅かに動く。

「俺のことを知ってるのか?」

「名前だけな。最近ちょっと聞いた」

後ろにいた九条が反応する。

「おお。ついに知られ始めたぞ」

朝倉も笑った。

「初めて『誰?』って言われなかったね」

神代は二人を無視して橘を見る。

「何を聞いたんだ?」

「全国を回って、来年できる高校の野球部員を集めてる中学生がいるって。たしか蒼凛学園だっけ?」

「合ってるな」

「自分と同い年の奴を全国から集めてる変な奴がいるって話」

九条が横から口を挟む。

「それもだいたい合ってる」

「変な奴は余計だ」

橘は少し笑った。

「それで、その神代怜司くんがわざわざ宮城まで何しに来たんだ?」

「お前を見に来た」

「俺を?」

「ああ」

「なんで俺なんだ?」

神代は答える代わりに聞いた。

「お前、得点圏だと打ちやすいのか?」

橘はきょとんとする。

「……何それ?」

「今日三本打っただろ。全部、走者が得点圏にいた」

「ああ、そうだったっけ?」

神代は一瞬黙った。

「お前の得点圏打率は.571だ」

「え、マジ?」

「知らなかったのか?」

「知らない」

九条が呆れたように言う。

「自分の成績だぞ」

「打率くらいは見るけど、そんな細かい数字まで見ないって」

神代には、その時点ですでに理解できなかった。

「お前の成績は、通常時は.318。得点圏では.571。さらに同点か勝ち越しの走者が得点圏にいる場面では.625といったところだ」

「へえ」

橘は感心したように頷いた。

「俺すげえじゃん」

「なぜだ?」

「何が?」

「なぜ得点圏にランナーがいるとそこまで変わるんだ?」

橘は首を傾げる。

「さあ?」

「狙い球を変えてるのか?」

「別に変えてるつもりはないよ」

「じゃあ配球を読んでるのか?」

「いやそんなに意識してない」

「打ち方は?」

「変えてないと思うけど」

「じゃあお前は一体打席では何を考えてる?」

橘は少し考えた後、あっさり答えた。

「そりゃ打ちたいなって」

「それは全打者そうだろ」

「じゃあ分からん」

九条が思わず吹き出した。

神代がそちらを見る。

「何だ?」

「いや、お前がここまで困ってるのも珍しいなと思って」

「別に困ってない」

「いや、困ってるだろ」

神代は九条を無視し、再び橘を見る。

「もう一つ聞く。なんで笑ってた?」

「いつ?」

「得点圏の打席だ」

「ああ」

橘は何でもないことのように答えた。

「楽しかったから」

神代の眉が僅かに動く。

「何が楽しい?」

今度は橘の方が不思議そうな顔をする。

「いや、ああいう場面って楽しくない?」

「一打で試合が決まる場面だぞ」

「だからだよ」

「凡退すればチャンスを潰す。場合によってはそのまま負ける」

「うん」

「緊張しないのか?」

「するよ」

「なら、なぜ楽しい?」

橘は少し考えてから笑った。

「緊張するから楽しいんじゃん」

橘はそのまま続けた。

「だってさ、ああいう場面ってみんな俺を見るだろ? 相手は絶対抑えたいし、味方は絶対打ってほしい。そこで一本打ったら――」

橘の笑みが少し深くなる。


「最高に気持ちいいじゃん」


神代は何も言わなかった。

言っている意味は理解できる。

だが、その感覚は神代にはなかった。

神代にとって重要な場面とは、情報を整理し、状況を分析し、その中から最も成功確率の高い選択をする場面だ。

一方で橘は、失敗した時の代償が大きくなるほど楽しそうにしている。

そして実際に、その時だけ普段以上の結果を出していた。

「練習でも同じなのか?」

神代が聞く。

「同じって?」

「例えば、九回二死二塁、一点負けていると思って打てと言われたら」

橘はすぐに首を振った。

「それは流石に無理だろ」

「なぜ?」

「だって練習じゃん」

「想像すればいいだろ」

「想像したって練習は練習だろ。打てなくても試合は終わらないし、負けもしない」

橘は続ける。

「本当に負けるかもしれないから面白いんだよ」

その言葉を聞いた瞬間、神代の中で一つだけ整理できた。

橘の状態は、神代が練習メニューを作れば再現できるものではない。

黒崎の変化球なら習得させられる。

水城の身体なら鍛えられる。

鷹野の技術なら教えられる。

だが橘が求めているのは、本物の勝負だった。

それだけは練習では作れない。

九条が神代を見る。

「また分からないこと増えたな」

「そうみたいだ」

神代は素直に認めた。

だが、その表情は僅かに楽しそうだった。

橘が聞く。

「で、結局俺に何の用だったんだ?」

神代は橘を見る。

「蒼凛学園に来ないか」

「やっぱりそれか」

橘は少し笑う。

「でもさ。俺より上手い奴なんていっぱいいるだろ?」

「いるな」

「そこは即答なんだ」

「事実だからな」

「俺より打つ奴は?」

「いる」

「足速い奴は?」

「いる」

橘が笑った。

「じゃあ俺いらなくない?」

神代は答えようとして、初めて言葉に詰まった。

黒崎ならストレート。

水城なら独特なフォームと将来性。

白石なら思考力。

鷹野なら身体能力。

御堂ならバットコントロール。

これまでの選手には、なぜ必要なのかをはっきり説明できた。

だが橘だけは違う。

今の神代には、その能力を正確に言葉にできない。

それでも。

『九回、二死、同点。走者二塁の場面』

どうしてもあと一本だけ欲しい。

そんな場面を想像した時、神代の頭には橘陽斗が浮かんだ。

「今はまだ分からない」

橘が目を丸くする。

「何それ。分からないのに勧誘してるの?」

「ああ」

「変な奴だな」

神代は続けた。

「でも、一点だけ欲しい場面なら、お前を打席に立たせたい」

橘の表情が一瞬だけ止まった。

それまで何を言われても軽く笑っていた男が、初めて黙る。

「……それ」

「何だ?」

橘は再び笑った。

「最高の褒め言葉じゃん」

神代は少し考える。

「そうなのか?」

「そうだろ」

橘は少し興味を持ち始めていた。

「それで、蒼凛ってどんなチームにするんだ?」

神代は迷わず答えた。

「三年間、公式戦で一度も負けない」

橘が顔を上げる。

「いやいや、それは無理だろ」

「なぜそう言える?」

「なぜって……新しくできる高校なんだろ? 野球部もまだないんだよな?」

「ああ」

神代があまりにも当然のように答えるため、橘の笑いが少しだけ弱くなった。

「……本気で言ってんの?」

「俺は本気だ」

神代の声色は変わらない。

だが、その目を見た橘は何も言わなかった。

冗談で言っている顔ではない。

それでも、信じられる話でもない。

「面白いとは思うけどさ。さすがに無茶だろ」

神代は少し考えたあと朝倉を見る。

「蓮」

「何?」

「ミット持ってるか?」

「何するの?」

「橘、お前もついて来い」

神代はそれだけ言って歩き出した。

「どこに?」

「すぐ終わる」


球場脇のブルペン。

朝倉が捕手の位置へ座る。

橘と九条は、その少し後ろに立っていた。

神代はマウンドへ上がると、朝倉からボールを受け取った。

橘が聞く。

「俺が打つの?」

「いや」

「じゃあ何するんだよ」

「そこで見てろ」

神代はそれ以上説明しなかった。


軽くボールを握る。

振りかぶってから左足が上がった。


その瞬間。

朝倉には分かった。

本気の球が来る。

神代の右腕が振られる。

本気度合いを橘に伝えるため、神代はストレートの速度、回転数、回転効率、リリースの位置とエクステンションなどの変数を最高レベルに設定した。

白球が唸るような音を立てて一直線にミットへ向かった。


バァンッ!


乾いた音がブルペンに響く。

神代の球に慣れているはずの朝倉のミットが後ろに弾き飛ばされるほどの威力。

橘は何も言えなかった。

先ほどまで浮かんでいた笑みも消えている。

「…………」

神代はマウンド上から橘を見る。

「どうした?」

橘はすぐには答えなかった。


やがて、朝倉の飛ばされたミットと神代を交互に見る。

「……今の、何キロ出てんの?」

朝倉が答える。

「分からない、こんな球今まで怜司が投げたことないから」

「は?」

橘が神代を見る。

「お前、俺と同じ中学生だよな?」

「ああ」

橘はしばらく黙った。

その反応を見ても、神代は特に満足そうな顔をしない。


マウンドを降り、橘の前まで歩いてくる。

「さっき、本気かって聞いたな」

「……うん」

「あれが答えだ」

橘は神代を見る。

だが神代は続けた。

「ただし、俺一人で勝つつもりはない」

「え?」

「スカウトした投手の黒崎にはもっといい投手になってもらう。水城も全国トップクラスの左腕にする。御堂には日本で一番ヒットを打つ高校生になってもらう」

そして橘を見る。

「そしてお前にも役割がある」

「俺にも?」

神代は少し間を置いた。

「試合を決定づけるような場面、そこでお前の能力を存分に発揮してもらう」

橘は黙った。

「俺はそういう十一人を集めている」

「だから三年間負けない」

しばらく沈黙が続いた。

やがて橘が小さく息を吐く。

「……やば」

「何が?」

橘の口元が、再びゆっくりと上がった。

「さっきより蒼凛行きたくなってる自分がいる」

九条が横から言う。

「単純だなお前」

「うるさい」


橘は神代から学校案内もらい、それを見る。

そして、さっきより少し真剣な表情でページをめくり始めた。

「三年間負けないってことはさ、毎年、甲子園の決勝とかまで行くってことだろ?」

「そうなるな」

橘の笑みが大きくなる。

「それ面白そうじゃん」

橘は笑う。

「そんな高校野球生活、普通そんなに経験できないだろ?」


それを聞いた神代は、橘陽斗という選手が、なぜ勝負所で笑うのか。

その理由だけは、先ほどより少し分かった気がした。


数日後、東京。

神代のスマートフォンにメッセージが届いた。

送り主『橘陽斗』


『親OKだった。蒼凛行くわ』


その下。

もう一件。


『甲子園でサヨナラ打ったら飯奢って』


神代は画面を見る。すぐに返信する。


『なぜ俺が奢る?』


数秒後に返信が来た。


『そういうとこだぞ』


神代が画面を見つめる。

隣にいた朝倉が覗く。

「これは橘が正しい」

「何が?」

九条も見る。

「高校入ったら教えてもらえ」

「何を?」

「人間ってやつを」

「意味が分からないな」


神代は新しい資料を取り出し机の上へ置く。

写真を見た九条が一瞬黙った。

「……でか」


『轟剛士。広島県。身長187センチ。体重92キロ。三塁手。右投右打』


映像を再生する。

投手がストレートを投げ轟が振る。

次の瞬間に乾いた金属音が聞こえてきた。

打球は外野手が追うことすら諦めるほどの高さで遥か彼方へ消えていった。

次の目的地は広島県。


神代が探し続けていた蒼凛学園の――四番候補に会うために。


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