勝負の行方
神代は、頭の中でこれからのことを組み立て終えた後に御堂へ言う。
「じゃあホームランは狙わなくていい」
御堂が止まる。
「……え?」
「お前には必要ないからな」
「本当に?」
「ああ」
「もっと強く振れとか、身体大きくして長距離砲になれとかも言わない?」
「言わない」
御堂は怪訝な顔をする。
「俺を何番で使うつもり?」
「今のところ三番か五番で考えている」
「四番じゃない?」
「四番は別に候補がいる」
それを聞いて御堂が笑った。
「随分具体的だね」
「もう大体決めてるからな」
「でもまだ部員は揃ってないんでしょ?」
「だから集めてるんだ」
御堂が神代を見る。
「神代も選手だよね?」
「ああ」
「ポジションは?」
「主に投手」
朝倉が小さく笑う。
御堂がその反応に気づく。
「何かあるの?」
九条が答えた。
「コイツ、投手って言うけど打つ方も化け物だからな」
御堂の視線が神代へ戻る。
「そんなにすごいバッターなの?」
「まあそれなりに」
神代は軽く返答した。
「その『それなり』は信じない方がいいよ」
朝倉が言った言葉は以前、黒崎へ言ったのとほとんど同じ言葉だった。
御堂が少し考える。
「投手ならどのくらい投げるの?」
「まあ150キロくらいかな」
「嘘だあ」
「嘘じゃない」
「いや、嘘でしょゼッタイ」
「それが本当なんだなあ」
九条が言った。
御堂は神代を見る。
そしてその目が変わる。
先ほどまでの進学相談とは違う。打者の目。
「変化球は何を投げられるの?」
「まあ一通り」
「スライダー?」
「ああ」
「フォークも?」
「スプリットなら」
「チェンジアップは?」
「投げる」
「カーブもいけたりする?」
「ああ、投げる」
御堂が少し笑った。
「じゃあさ、一打席やろうよ」
九条と朝倉が同時に神代見る。
今回は神代が申し込む前に相手から来た。
「条件はなんだ?」
神代が聞く。
御堂は考える。
「とりあえず俺がヒット打ったら、もう勧誘しないで」
「分かった」
「本当に?」
「ああ」
「その代わり俺がアウトになったら蒼凛、ちゃんと考えてみるよ」
神代は即答した。
「よろしく頼む」
御堂が付け加える。
「フォアボールの場合はどうする?」
「意図的じゃない四球は出した経験がないが、まあ勝負がつくまでやろう」
四人は球場近くの練習場に移動した。
朝倉がキャッチャーマスクをつける。
御堂が左打席。神代がマウンド。
九条は少し離れた位置から見る。
御堂はバットを軽く振った。
「神代って本当に150キロも投げられるの?」
「投げれば分かる」
「速すぎて見えなかったらどうしよう」
口ではそう言っている。
だが楽しそうだった。
朝倉には分かる。
この男は打ちたくて仕方ないのだ。
先ほどまで進学先について話していた時とは違う。
完全に打者の顔だった。
朝倉がミットを構え、神代がセットに入った。
初球は神代の右腕からストレートが放たれる。
145km/h前後の速球。
神代にとっては、まだ様子を見る程度の一球だった。
御堂は振らない。
ボールが朝倉のミットへ突き刺さる。
「ストライクだね」
御堂が僅かに目を見開いた。
「……速いね」
「そう?」
神代は答える。
「その返し腹立つなあ」
御堂は笑いながら、もう一度構える。
だが内心では少し驚いていた。
速い球ならこれまでにも見たことはある。
しかし目の前の投手には、まだ力んでいる様子がまるでなかった。
2球目を神代が投げる。
腕の振りは先ほどとほとんど変わらない。
御堂がストレートだと思い始動する。
だがその瞬間。
球が来ない。
「っ」
チェンジアップ。
御堂の身体が完全に前へ出てしまいバットが空を切る。
御堂は崩れた体勢のまま、朝倉のミットを見る。
「……今のチェンジアップ?」
「そうだよ」
御堂がゆっくり構え直す。
笑みは消えていない。
むしろ、少し濃くなっていた。
「面白いな」
九条が呟く。
「完全にタイミング外されたのに、楽しそうだなアイツ」
朝倉も同じことを感じていた。
普通なら2球で追い込まれたことに焦りが出てもおかしくない。
だが御堂は違う。
どうやって打とうか。
そのことしか考えていない。
3球目、神代が投げる。
御堂の目が球を追う。
ストレート。
そう見えた。
軌道も、腕の振りも途中まではほとんど同じだった。
御堂がバットを出す。
しかし、ホームベースの直前で球が鋭く沈んだ。
「なっ――」
バットの下を白球が抜ける。
パンッ!
朝倉のミットに収まった。
空振り三振。
御堂はしばらく動かなかった。
「……今の何?」
「スプリット」
神代が答える。
御堂は神代を見る。
「途中までストレートにしか見えなかったんだけど」
「そうなるように投げてるからな」
御堂は数秒黙った。
そして、突然笑った。
「もう一打席しよ」
九条が眉を上げる。
朝倉も御堂を見る。
神代が聞いた。
「たしか一打席って約束じゃなかったか?」
「それはそうだけど」
御堂はバットを握り直した。
「今ので終わるのは嫌だ」
「負けは負けだろ」
「分かってるよ」
御堂は神代を見る。
その目はもう完全に勝負を求めていた。
「だからもう一回やらせて」
神代は少しだけ御堂を見た。
「いいぞ」
御堂が笑った。
「ありがとう」
九条が小さく呟く。
「怜司が追加で勝負受けるの珍しいな」
朝倉は神代を見る。
理由は何となく分かった。
きっと神代も御堂という打者を、もう少し見たくなったのだ。
二打席目、御堂が構える。
先ほどとは違う、表情から笑みが消えていた。
1球目、神代が投げる。
御堂の目がボールを追う。
外角、そのまま外へ逃げる。
そう見えた。
御堂は振らない。
だが、そこから球が内側へ切れ込んだ。
スライダー。
外から入ってくる軌道で、ストライクゾーンを通過する。
パンッ。
御堂が小さく息を吐いた。
「……こんなに曲がるんだ」
神代は答えない。
朝倉がボールを返す。
続けて神代が投げる。
今度は明らかに遅い。
御堂はすぐに変化球だと判断する。
振らない。
ボールは大きな弧を描いた。
高い位置から一気に落ちてくるカーブ。
御堂はまたも見送った。
ストライク。
たった2球で追い込まれた。
御堂が小さく笑う。
「全部違う球か」
神代が答える。
「ああ」
「嫌な投手だね」
「それは褒めてるのか?」
「うん。最大限にね」
九条が少し笑った。
朝倉はミットを構え直して神代を見る。
神代の目が変わったていた。
神代がゆっくり息を吐き、それに合わせるように御堂も構える。
一打席目と二打席目、一度も同じ球種を続けていない。
ストレート。チェンジアップ。スプリット。
スライダー。カーブ。
なら次は何だ。
神代が左足を上げる。
御堂の身体に力が入る。
右腕が振られ白球が放たれる。
速い。
今までと明らかに違う。
コースは高め。
御堂の目にはその球が異様なほど綺麗に見えた。
『打ちたい』
そう思った。
そして考えるより先にバットが出た。
しかし届かない。
白球がバットの上を通過する。
パンッ――!
朝倉のミットが大きく鳴った。
一瞬、誰も声を出さなかった。
神代の渾身のストレートは151km/hの直球。
御堂は振り切った姿勢のまま止まっていた。
やがてゆっくり顔を上げる。
二打席とも全く手が出なかった。
御堂悠真はこれまで何人もの好投手と対戦してきた。
140km/hを超える速球も。
鋭い変化球も。そして全国レベルの投手も。
それでもどうにかバットへ当ててきた。
たとえ崩されても一本のヒットに変えてきた。
それが自分のバッティングだった。
だが今回は違う。
人生で初めて一人の投手に完全に抑え込まれた。
御堂はしばらく黙っていた。
そして小さく息を吐く。
「……、一打席目の初球のストレートと最後のストレートの質が全然違うじゃん」
「あれは様子見だったからな」
御堂が神代を見る。
「様子見?」
「ああ」
数秒間、御堂は何も言わなかった。
そして突然笑った。
心の底から楽しそうに。
「……最高だな」
悔しい。
今まで感じたことがないほどに悔しい。
だがそれ以上にもう一度この投手と勝負がしたかった。
神代はマウンドから降りてきて、学校案内を渡した。
「お前はホームランを打たなくてもいい、その代わり日本で一番ヒットを打つ打者になれ」
御堂の目が僅かに見開かれた。
「……やっぱり面白いね、君」
御堂は学校案内を閉じた。
先ほどまでより少しだけ大事そうに持っていた。
「かなり面白そう」
数日後。
御堂の自宅。
机の上には複数の高校の資料が並んでいた。
甲子園常連校。全国優勝経験校。
全国レベルの指導者に整った設備。
歴史も実績もどれを比べても蒼凛学園が勝っているものなどほとんどない。
その中に一冊だけ、異質な学校案内が置かれている。
まだ開校すらしていない、野球部の歴史もない。実績もない。
甲子園どころか公式戦を一試合も戦ったことがない高校。
御堂はそのパンフレットを手に取った。
ページをめくる。
そしてあの日のことを思い出した。
今まで体感したこともない豪速球。
タイミングを外されたチェンジアップ。
突然目の前から消えるスプリット。
そして神代に言われた言葉。
『日本で一番ヒットを打つ打者になれ』
御堂はページをめくる手を止めた。
その様子を見ていた母親が聞く。
「悠真、本当にそこ考えてるの?」
「うん」
「でも、他にもっと強い学校からも誘われてるんでしょ?」
「そうだね」
「じゃあ、どうして?」
御堂は少し考えた。
甲子園に行きたいから。強豪だから。
設備がいいから。有名な指導者がいるから。
どれでもない。
答えはもっと単純だった。
御堂は少し笑う。
「一番打ちたい投手がいるからかな」
移動中の神代のスマートフォンに一通のメッセージが届いた。
送り主は『御堂悠真』。内容は短い。
『蒼凛に行くよ。三年間でお前から一番ヒット打つから』
神代は画面を見る。少ししてから返信する。
『それは無理だと思う』
数秒後。すぐに返事が来た。
『やっぱお前ムカつくな』
横から画面を見た九条が笑った。
「黒崎と同じこと言われてるじゃん」
朝倉もメールを覗いた。
「怜司、才能あるよな」
「何の?」
「人を怒らせる才能」
神代はスマートフォンをしまった。
「余計なお世話だ、次に行くぞ」
九条。
「今度は誰?」
神代が新しい資料を机に置く。
『名前:橘陽斗 打率.318』
九条が首を傾げる。
「思ってたより普通だな」
朝倉も資料を見る。
「ホームランも多くないよね」
神代。
「下を見ろ」
二人が視線を下げる。
『得点圏打率。.571・同点・勝ち越し機。.625』
九条と朝倉が驚く。
「……何これ?」
この時はまだ神代も答えを持っていなかった。
だからこそ、その選手を直接見てみたかった。
次の目的地は宮城県。
神代怜司が初めて出会う
『理屈だけでは説明できない選手』
おはようございます。いつもありがとうございます。
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