第6話 知らない笑顔
日付が変わる少し前。
帰宅した由紀はダイニングテーブルに鞄を置くと、ぼんやりとダイニングから続くリビングへと視線を向ける。
ソファーに並んで座り、直人と一緒に映画やテレビを見ていた時間が、不意に蘇る。
「なぜ?」
ぽつりと漏らした声に答える人はいない。
直人はどうして何も言わずにいなくなったんだろう。
そう思うと胸が締め付けられるように苦しい。
「夫婦だと思っていたのは、私だけ?」
胸の痛みに耐えるような声で由紀が続ける。
でも。
『今、分かっていることだけを使って』
という澪の言葉を思い返し、深く息を吸う。
今分かっていることは、3か月ほど前から帰宅が遅くなったこと、携帯への連絡が増えたこと、知らない病院、失踪3日前の言葉。
そして、失踪直前に直人が見ていた、若い頃のアルバム。
「……アルバム」
俯いていた由紀の顔が、リビングにある本棚へと向く。
確か、あそこにあったはずだ。
そう思い出し、ゆっくりと向かうとアルバムを探す。
少し色あせた臙脂の背表紙だった、と由紀は思い出しながらアルバムがある場所を探す。
けれどもあの時直人が片付けたはずの場所にアルバムはなかった。
「……ない?」
由紀はもう一度、同じ棚を端から確認した。
見落としたのかと思い、並んだ本の奥にも手を入れる。
それでも、臙脂色の背表紙は見つからない。
あの夜、直人はどこへ片付けたのだろう。
しばらく探していた由紀は、思い立ったように直人の仕事部屋へと足を向ける。
西の魔女商店を訪れる前にも、この部屋は探した。
診察券も、検査予約票も、領収証も、ここから見つけた。
もしかしたら。
そう思い、ゆっくりとドアを開けた。
机の椅子。
仕事用の筆記具。
途中まで使っていたメモ。
直人が普段触っていたもの。
確かにここに直人がいたことを伝えるものがあふれているのに、肝心の直人だけがいない。
それでも、直人が何を思い、考えていたのかを知りたいと部屋の中を進む。
本棚に手を伸ばし、一つずつ探していくが見つからない。
次に在宅ワークの時に使っていた机を探す。
この机の引き出しの中から、病院の予約票や診察券が見つかった。
一つずつ、引き出しを開け丁寧に探していく。
一段目、二段目。
最後に一番下段の深い引き出しを引く。
中には仕事で使うための資料など丁寧に綴じられたファイルが並んでいた。一つずつファイルを手に取り、確認しては戻す。
何度か繰り返すうち、一冊の厚手のファイルからことん、と何かが引き出しの中に落ちた。
由紀は手にしたファイルを机に置くと引き出しに落ちたものに手を伸ばす。
――アルバム。
由紀はそのまま直人の机に備え付けられた椅子に座り、アルバムを開く。
若い直人。
友人たち。
そして、同じ男性が何度も写っている。
「この人……」
由紀はその男性が写っている写真があるページを何度もめくっては確認をする。
直人と「彼」が写っているものは多く、その中で半分は車と一緒だった。
ある写真では若い直人が、赤い車のボンネットに腰を預けて笑っていて、その隣に、親友がいる。
ある写真では、シルバーと赤の同じ車種2台を並べ、二人がふざけるような恰好をしている。
由紀はその車を知っている。正確には、シルバーの車のほうだ。
「これ……あの人が昔乗っていた車」
二人が付き合い始めた時に乗っていた車で、結婚を機に手放したものだった。
由紀はもう一度、写真へ視線を戻した。
写真の中の直人は、どれもよく笑っている。
親友の肩に腕を回しているもの。
車の前で得意そうに腕を組んでいるもの。
何がおかしいのか、二人で腹を抱えるように笑っているものもあった。
由紀の知らない直人だった。
当然だ。
この写真が撮られた頃、二人はまだ出会っていない。
直人にだって、由紀と出会う前の時間がある。
それでも、23年間一緒に暮らしてきた夫の、自分が一度も見たことのない表情を見ているような気がした。
「本当に、仲が良かったんだ……」
由紀の指が、一枚の写真の上で止まる。
赤とシルバーの2台の車。
その間に立つ直人と親友。
二人とも、今の由紀よりずっと若い。
こんなにも仲の良かった人を事故で亡くしたのなら、直人が話したがらなかったのも不思議ではない。
そう思ったところで、由紀の指が止まった。
――事故。
「どんな事故だったんだろう……」
由紀は親友の名前を思い出す。
名前だけなら、何度か直人から聞いたことがある。
アルバムを机の上に開いたまま、由紀はスマートフォンを手に取った。
名前。
事故。
当時住んでいた地域。
思いつく言葉をいくつか入れて検索してみる。
けれど、それらしい記事は見つからなかった。
「25年前だもんね……」
そうつぶやくと由紀はため息をつきながらスマートフォンを机に置いた。
何の気なしに開かれたままの引き出しへと目を向ける。
「……?」
アルバムと一緒に落ちたのだろうか。
抜いたファイルの空いたスペースに小さな何かが落ちている。
由紀は引き出しの中に手を伸ばし、それを取り出した。
手にしたのは、一冊の通帳だった。
表紙を確かめる。
直人名義。
けれど、由紀はその通帳を見たことがなかった。




