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西の魔女商店ー大地の紋ー  作者: 月瀬ハルヒ
第三章 消えた指輪 ―Amissio―
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第9話 失うこと、手放すこと

「ええ。では、少しずつ始めましょうか」


澪(みお)はそう言うと、卓上の時計に目を向けた。

次の予約まで、まだ時間はある。

鑑定の内容と料金について説明すると、美咲(みさき)は小さく頷いた。


「……お願いします」


澪は、傍にある棚の引き出しから、紙と筆記具を机の上に用意する。


「ジオマンシーという占いをご存じですか?」


慣れた手つきで準備をしていく様子を見ていた美咲は、澪の問いに首を横に振った。


「では、少しだけご説明しますね」


澪は、安心させるように微かに微笑むと、紙に点を打つ方法を説明した。


「大切なのは、正確な数を数えようとしないことです。気持ちのままに打って、気持ちのままに止めてください。私が用紙を渡さなくなるまで続けていただきます」


澪に一枚の白い紙とペンを渡された美咲は、少し戸惑いながらも、言われたとおりに点を打ち始めた。


――トン、トン、トン……


最初はぎこちなく続いていた音が、少しずつリズムがつき始めると、紙の上に小さな点が重なっていく。

打つのを止めると、澪から新しい紙が渡され、それを繰り返していく。

説明を聞いて、ペンを手に取って点を打ち始めた美咲は、この点に何の意味があるのか分からなかった。

けれど、繰り返していくうちに、指輪のことも、莉央のことも、頭の中で少しずつ静かになっていくような気がした。

何枚点を打ったのだろうか、と、美咲が思い始めるころ、澪から新しい紙を渡されず、美咲は詰めていた息を小さく吐いた。

ちらりと視線を上げると、今まで美咲の書いた用紙を見つめていた澪は、その点をもとに図形を組み立てる。


現れたのは、Amissio(アミッシオ)。


澪はその印をしばらく見つめていた。


「……アミッシオ」

「それは、どういう意味なんですか?」

「失うこと。そして、手放すことを表す図形です」


その言葉に、美咲の表情が曇る。


「……じゃあ、指輪はもう戻らないんでしょうか」


澪は静かに首を横に振った。


「この図形だけで、指輪が戻るかどうかを決めることはできません」

「でも、失うって……」

「そうですね。そう聞くと、指輪のことを思い浮かべますよね」


美咲は頷いた。

澪は、机の上の図形へ視線を落とす。


「ただ、何かを失うことと、自分の意思で手放すことは、同じではありません」


美咲は不思議そうに澪を見る。


「……手放す?」

「ええ」


澪はそれ以上、口を開かず、じっと図形を見つめている。

少しの沈黙のあと、澪は尋ねた。


「先ほど、『また』とおっしゃいましたね」


澪の言葉に、美咲の指先が膝の上で小さく動いた。


「妹さんがお部屋に入られたと聞いて、そう思われたのですよね」

「……はい」

「以前にも、似たようなことがあったのでしょうか」


そう尋ねられ、美咲は視線を落とした。唇を噛みながら、無意識に今は何もつけられていない自分の左手の薬指を見つめる。

しばらくして、ぽつりと話し始めた。


「……子どもの頃、祖母に宝石箱をもらったんです」


猫足のついた、小さな宝石箱。

祖母の部屋にあるのを見て、憧れの童話のお姫様の部屋にあるようなデザインが素敵で、美咲はよく祖母の部屋に行っては見せてもらっていた。

ただ、見ているだけでワクワクとした気持ちになれる、それだけで楽しかった。

そんな美咲を見て、ある日、祖母が優しい笑顔を見せ「美咲ちゃんに」と譲ってくれた。

あの時の気持ちを、美咲は今でも覚えている。

美咲にとっては、どんな玩具よりも大切なものだった。

けれど、まだ幼かった莉央(りお)がそれを欲しがったことがある。


「莉央も欲しい!」


妹は手を伸ばし、宝石箱を抱える。

思わず取り返そうと手を伸ばした美咲に、両親は困った顔をしながらも言う。


「美咲、お姉ちゃんなんだから、莉央に貸してあげたら?」


その言葉に、美咲は何も言えなかった。

自分の大切なものなのに。

お父さんもお母さんも、それを知っているはずなのに。

どうして、莉央が欲しいと言っただけで、渡さなければならないのだろう。


そのとき、祖母が二人の間に入った。


「これは、美咲の宝物なのよ」


そう言って、宝石箱を美咲の手に戻してくれた。


「莉央には、また別のものを探してあげようね」


幼い美咲は、祖母の手の温かさを覚えていた。




「……結局、取られなかったんです」


美咲は小さく笑った。


「でも、あのとき怖かったんです。自分の大事なものが、妹のものになってしまうかもしれないって」


澪は美咲の顔を見つめ、優しく頷く。


「大切だったんですね」

「……はい」

「宝石箱も。そのときの、美咲さんのお気持ちも」


続いた澪の言葉に、美咲は顔を上げる。

そうして、美咲と視線が合うと、澪は静かに続けた。


「妹さんを大切に思うことと、自分のものを大切にしたいと思うことは、矛盾しませんよ」


その言葉に、美咲の視線が揺れた。


「……でも、私、お姉ちゃんなのに」


澪はその答えに静かにほほ笑む。


「お姉さんであることと、美咲さん自身であることは、別のことではないでしょうか」


澪の言葉を聞いた美咲の瞳が、大きく見開かれる。

ずっと、当たり前だと思っていた言葉だった。


――お姉ちゃんなんだから。

――莉央はまだ小さいんだから、譲ってあげて。

――美咲、我慢してくれる?


けれど、祖母だけは違った。

自分の大切なものを、大切にしていいと言ってくれた。


――これは、美咲の宝物なのよ。


もう一度、祖母の声が美咲の頭の中で響く。

澪はAmissioの印をそっと指し示した。


「手放さなければならないものを、今ここで決める必要はありません」


美咲は、澪が指し示すその小さな印を見つめた。


「もし、何かを手放すとしたら。それは誰かに言われたからではなく、美咲さんがそうしたいと思ったときでいいんです」


いつの間にか力を込めていた、美咲の指先が膝の上でゆっくりとほどけた。

指輪は、まだ見つからない。

妹への疑いも消えていない。

それでも、自分がずっと抱えていた気持ちを、初めて否定されずに聞いてもらえた気がした。

そう思い、美咲の視界がにじむ。

零れそうな涙を指で拭うと、美咲はもう一度、Amissioの印へ視線を落とした。


失うこと。そして、手放すこと。

その二つは、似ているようで違うのかもしれない。








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