第4話 憧れ
莉央は足早に階段を降りると、玄関で靴を履く。
大学の授業で使う教科書などが入ったトートバッグを肩に掛けなおすと、振り返って先ほどまで立っていた階段を見上げる。
「……行ってきます」
いつもより小さな声だった。
でもちゃんと聞こえたのか、二階から母親の「行ってらっしゃい」の声が聞こえた。
大学で授業を受けている間も、莉央は母親から聞かれた「指輪を見なかった?」という言葉が頭から離れない。
板書をノートに書きながらも、目の前で行われている授業は全く頭に入ってこない。
頭の中に繰り返して浮かぶのは、朝の美咲の様子だった。
「ケースは見た。でも、取ってない」
とっさにそう答えた。ケースを見たのは事実でも、リングケースを開けたことを正直に言えなかった。
なぜ自分は、あのケースを開けたのか。
普段なら本棚に並ぶ本以外は、勝手に美咲の部屋のものを手にすることはない。
だけどあの時は、好奇心が抑えられなかった。
少しだけ見たかった。
昨日、恒一と並んで幸せそうに笑っていた美咲が、とても綺麗だったから。
その姿を思い出した莉央の中に、幼い頃の記憶が蘇る。
七歳の七五三。
自分はピンクの着物を着せてもらい、家族から可愛いと言われていた。
けれど莉央が見ていたのは、十二歳の美咲の姿だった。
淡いグレーと黒のワンピースに、深みのある赤いリボン。
真っすぐでつやつやの長い髪。
大人っぽくて、綺麗で、自分とは全然違う。
その姿が羨ましくて、莉央は「お姉ちゃんと同じのがいい」と駄々をこねた。
美咲の手を取って、涙を浮かべて両親に訴えた。
駄々をこねる莉央に、両親も周りの人も困った顔を浮かべ、莉央を宥める。
それでも諦めない莉央に、美咲が腰を折り顔を覗き込んで笑う。
「莉央が、この服が着れるようになったらあげるよ」
その言葉に、半泣きだった莉央の顔に笑顔が浮かぶ。
幼い莉央でもわかるほど、成績もよく、努力家で優しい姉。
自分もいつか、お姉ちゃんみたいになりたい。
それが物心ついたころからの莉央にとっての憧れだった。
その後、中学生になった莉央は、周囲から「美咲の妹」と言われることを誇らしく思っていた。
美咲はすでに中学校を卒業していたが、成績もよく、先生たちからも評判が良かったため、莉央が入学するといろんな先生たちから声をかけられた。
「お姉さんも優秀だったから」
そう言われるのは嬉しい。
けれど、同時に少し苦しくもあった。
「自分もお姉ちゃんみたいにならなければいけないような気がする」
だから、美咲の後を追うように努力をした。
高校進学の時には、本当は美咲と同じ高校へ行きたかった。けれど、成績的に難しかった。
莉央が振るわなかったわけではない。
成績は学年でも特別飛び抜けてはいなかったが、上位には名前が入るぐらいだった。
それでも美咲には及ばなかった。
志望校の三者面談のあと、第一志望だった美咲の通った高校への進学は難しいと担任から言われ、帰り道に莉央は母親に明るく笑って言った。
「第二志望の学校も制服が可愛いし、私のレベルにも合ってるから」
実際第二志望の学校も成績のレベルは高い方だ。
美咲の通った高校は伝統ある進学校だったが、美咲の選んだ学校は進学校だが比較的歴史が浅い。
その分、校風や制服などが人気のある学校だった。
莉央は帰ってから進路希望用紙に第一志望の学校を、美咲の通った高校から第二志望の学校に書き換えた。
入学式の朝。
玄関先で母に制服の襟を直され、父に写真を撮られる。
五年前、美咲が撮られているのを羨ましく見ていた。
今は少し離れたところで、美咲が自分を見ている。
「似合ってるね、莉央」
そう言ってくれた姉の笑顔が嬉しかった。
けれど莉央は、そのときも思っていた。
本当は、お姉ちゃんと同じ高校に行きたかったんだよ、と。
「莉央!」
ぼんやりとそんな記憶を思い出していた莉央は、頭上から声をかけられて意識を戻した。
慌てて顔を上げると、友人が隣に立っている。
「授業終わったよ、どうしたの?」
その言葉に、莉央は慌てて笑顔を作る。
「ちょっと考え事してた」
そう言って、広げたノートや教科書を鞄に片付けると、莉央は立ち上がって友達と教室を出る。
自分にとって、美咲はずっと憧れだった。
だから昨日も、幸せそうな姉を見て、もう一度婚約指輪を見てみたくなった。
ほんの少しだけ。
それだけだった。
でも、指輪はすでになかった。
莉央は歩きながら少しだけ俯くと、ぽつりと呟く。
「……お姉ちゃん、ごめんね」
何に対しての「ごめん」なのかは莉央自身もわからない。
だけど、莉央はその言葉しか言えなかった。




