第3話 羨望
莉央の言葉に美咲の唇が震える。
「……美咲、会社に遅刻するわ。美咲が帰ってくるまで誰も部屋には入らないから」
そっと美咲の肩を抱いた母親が、安心させるように言う。
「きっと部屋にあるはずよ。お母さんも念のために、美咲の部屋以外を掃除しながら探してみるから、ね?」
顔を覗き込むように言われ、少し瞳を揺らした後、美咲が頷く。
「ほら、莉央も。学校に遅れるわ」
今度は莉央の顔を見ると、安心させるように微笑んだ。
その母親の顔を見て、莉央が一瞬ためらったあと「……行ってきます」と小さく呟いて、足早に階段を下りて行った。
その日一日、美咲の頭の中には莉央の言葉が繰り返し浮かんでいた。
「見たけれど、取ってはいない」
確かに部屋へ入った。指輪のケースも見ていた。
けれど、莉央が盗ったと決まったわけではない。
それなのに、莉央が部屋に入ったと知った瞬間、自分の胸に浮かんだ疑い。
美咲は、そんな自分が嫌だと思う。
色んな思いを抱え、いつもより疲れ切った表情を浮かべて帰宅した美咲は、リビングにいる母親に帰宅を告げるとそのまま2階へ上がる。
階段を上がりかけたとき、上り口の棚に飾られている家族の写真が目に入った。
ふと、美咲の視線が莉央の七五三の日に撮った記念写真で止まった。
ピンク色の着物に身を包み、満面の笑みを浮かべている。
あの日の莉央は、本当に可愛らしかった。
美咲はその時、十二歳だった。
淡いグレーと黒を組み合わせたワンピースに、深い赤のリボンをつけていた。
きれいに着物を着付けてもらった莉央が、同じように着替えた美咲を見て口をへの字にして「莉央もお姉ちゃんと同じのがいい!」と言って、駄々をこねた妹を覚えている。
莉央の様子に、美咲は困ったように笑った。
自分が着ているのは、ごく普通のワンピースなのに。
今日の主役は莉央で、可愛らしい着物も、真っ白なドレスも用意されているというのに。
美咲には不思議だった。
自分の七五三は、どうだっただろう。
落ち着いた赤い着物は、顔立ちに似合うからと選んでもらった、少し大人びた柄。
両親や祖母、カメラマンやスタッフの人たちに可愛いと言われて嬉しかった。
けれど、本当は、もっと愛らしい色や柄にも憧れていた。
洋装に着替えたときは、淡いブルーのドレスだった。
シンデレラみたいだと喜んだことも覚えている。
ヘアメイクさんが美咲の言葉に合わせて、髪も結ってくれた。レースのロンググローブも用意してくれた。
不満ばかりだったわけではない。
大切にしてもらった記憶も、確かにある。
それでも、莉央の七五三の写真を見るたび、自分が選ばなかったもの、選べなかったものを思い出す。
そう思い出しながら、美咲の視線は次の写真へと移る。
真新しい制服に身を包んだ、莉央の高校の入学式の朝に撮ったものだ。
あの日は、玄関先では父親がカメラを構え、母親が莉央の制服の襟を直していた。
「もう、ちゃんとなってるってば!」
笑いながら母親の手を避ける莉央の姿。
可愛らしいデザインの制服が、よく似合っていた。
五年前には、美咲も同じ玄関先で写真を撮ってもらった。
自分の制服は、端正で落ち着いたデザインだった。
それはそれで気に入っていたし、志望校に合格できたことも誇らしかった。
でも、目の前の莉央を見ていると、少しだけ羨ましくなる。
「似合ってるね、莉央」
美咲がそう言うと、莉央は嬉しそうに笑った。
「でしょ? この制服、可愛いんだよ!」
その笑顔は、七五三の写真の中で笑っている莉央と、少しも変わらないように見えた。
次々と思い出される記憶から離れようと、美咲は写真から視線を逸らし、小さくため息をつくと重い足取りで階段を上る。
莉央はいつだって、自分にないものを持っている。
美咲はそう思った。
自室へ戻ると、ドレッサーの上には空になったリングケースがあった。
暗い部屋の中で、美咲はドレッサーの椅子へと力なく腰かけた。
再び小さくため息をつくと、頭の中に莉央の笑顔が浮かぶ。
七五三の写真。
入学式の朝。
そして、昨日の婚約報告。
指輪を見て「すごく綺麗」と笑った莉央。
美咲は空になったリングケースを手に取ると、ゆっくりと目を閉じた。
莉央のことを可愛いと思っている。
結婚を喜んでくれたことも嬉しかった。
それなのに。
どうして自分は、こんなふうに考えてしまうのだろう。
両手で包み込むようにリングケースを抱えた。
指輪は、まだ見つからない。
けれど今、美咲が見つめているのは、空になったケースだけではなかった。
自分の中にずっと残っていた、名前をつけたくない感情だった。




