第5話 残されたもの
秋の午後、西の魔女商店には穏やかな時間が流れていた。
雨宮澪は、鑑定に使う道具を整えると、机の端に置かれた古い記録へ目を向けた。
何冊ものメモやノートは、表紙も紙の端も長い年月を経た色に変わっていた。
それは全て、先代の西の魔女であった祖母が残したものだった。
澪はゆっくりとそれらから視線を外すと、机の端にある棚から一枚の紙を取り出した。
それは少し前に、澪のもとへ持ち込まれたCarcerの印が描かれた紙片だ。
Carcer印は、先代が残した記録の中にも似た形で記されていた。
澪は紙片を手元に置くと、メモの束を手に取り、一枚ずつ確かめていく。
真夏の暑さが落ち着き、空気から秋の気配を感じる。
ふわりと窓から入り込んだ風が、机の上の紙の端を揺らし、澪はそっと手を添える。
指先に触れる紙の古びた感触が、幼い頃の祖母の手を思い出させた。
祖母はいつも、この店で静かに仕事をしていた。
自分が知らなかったことを、祖母はどれほど知っていたのだろう。
そんな考えが浮かぶ。
けれど、今は確かめる術がない。
澪は記録を閉じ、元の場所へ戻した。
*
指輪が見当たらなくなってから数日たった。
美咲は仕事から帰ると、夜遅くまで部屋の中を探し続けたが、指輪が出てくることはなかった。
七畳少しの広さの洋室では、数日もあれば隅まで探し終えてしまう。
途方に暮れた美咲は、ぱたりとベッドの上へと体を倒れこませた。
しばらくそうしていると、枕もとのテーブルに置かれたスマートフォンが震えた。
美咲はのろのろと起き上がると、スマートフォンへと手を伸ばす。
画面に表示されているのは恒一の名前だった。
婚約指輪がなくなった。
それをどう伝えたらいいのか分からない。
そう思ってためらっていると、スマートフォンの画面から恒一の名前が消える。
しばらく暗くなった画面を見つめていた美咲の指が、画面をタップした。
このまま、黙っているわけにもいかないことだ。
そう自分に言い聞かせ、美咲は震える指先で着信表示の文字に触れた。
数回の呼び出し音のあと、聞き慣れた声が耳元に届く。
「もしもし、美咲?」
「……恒一」
「どうした? 元気ないね」
恒一の心配を含んだ声に、美咲は唇をかむ。
そうして煩く鳴り続ける自分の心臓の音を落ち着けるように、左手を胸に当てぎゅっと部屋着の胸元を握り締めた。
「……指輪が、なくなったの」
絞り出すように呟いた美咲の声に、恒一が一瞬、言葉を失ったように息をのむ気配が耳元に伝わってきた。
それでも、話さなければならない。
そう自分に言いきかせ、美咲は指輪がなくなってから今日までのことを、途切れ途切れに話す。
最後につけていたのは先日恒一がうちに来てくれた日だったこと。
その日、いつものケースに戻したつもりだったこと。
朝、ケースが空だったこと。
そして、莉央が部屋に入っていたこと。
「……莉央が、ケースを見たって」
震える声で莉央が自分と母親に言った言葉を、そのまま恒一に伝える。
「でも、取ってないって言ってる」
「……そっか」
それまで黙って美咲の話を聞いていた恒一の落ち着いた声に、美咲は思わず尋ねる。
「恒一は、どう思う?」
こんな事を聞く自分が嫌だ、と美咲は思う。
恒一からどんな言葉を聞いても、きっとこのもやもやとした気持ちは消えない。
暫く考えるような間のあと、恒一が穏やかな声で言う。
「今の話だけじゃ、何とも言えないかな」
その言葉に美咲はぎゅっと眉根を寄せる。
「美咲が、無意識にどこかに置いた可能性もあるんじゃないかな?」
「……探したよ」
「うん。そうだよな」
恒一は美咲の言葉を否定せず、穏やかな声で続ける。
「美咲が指輪をすごく喜んでくれたの、わかってるから。今度の休み、俺も一緒に探そうか」
その言葉を聞いた瞬間、美咲の胸に張り詰めていたものが、少しだけ緩んだ。
「……うん」
通話の向こうで、恒一が小さく笑う気配がした。
「一緒に探そう」
その言葉に美咲の右目から一粒の涙が落ちた。
「……恒一」
「うん?」
「……ありがとう」
「……どういたしまして」
指輪はまだ見つからない。
美咲の中にある莉央への疑いも消えていない。
けれど、今は一人で考え続けなくてもいいのだと思えた。




