エピローグ
奈緒から届いた葉書を、澪はハーブティーの香りと共に目を通す。
――母があの場所へ行きたかったのかは、結局分かりませんでした。
――でも、私は行ってよかったと思っています。
短い文章だった。
それでも、奈緒が最初にこの店へ来た日のことを思えば、十分だと澪は思う。
母の残した手紙から、答えを見つけようとしていた女性。
けれど最後に見つけたのは、母の答えではなかった。
自分がどうしたいか。
その答えだった。
澪は葉書をテーブルへ置く。
「母親、か……」
その声は小さく、消え入りそうな呟きだった。
その言葉に呼ばれたように、遠い記憶が浮かぶ。
柔らかな声。
髪を撫でる手。
幼い自分へ向けられた笑顔。
そして。
少しずつ、その笑顔が消えていった頃の母。
記憶を辿っていくほど、澪は目を伏せていく。
――自分のせいだった。
昔から、そう思っていた。
自分には、他の人には見えないものが見えた。
十六柱の精霊たち。
幼い澪はそのことを理解しないまま、誰もいない場所を見つめた。
誰もいない相手と話した。
母はそのたび、不安そうな顔をした。
父へ何度も相談していたことも覚えている。
けれど父は、
「気にしすぎだ」
と取り合わなかった。
澪が小学校の高学年になる頃、母は心を崩し、入院した。
きっと少しずつ、母の心は欠けていってしまっていたのだろう。
中学生になり澪は父方の祖母のもとへ預けられ、自分自身のことを知っていくうちに、それらを一本の線で結んだ。
自分が普通ではなかったから。
自分が母を困らせたから。
だから、母は――。
『分からない』
奈緒の言葉が、ふいに澪の中で蘇った。
分からない。
確かめることができないことは、分からないまま残る。
そう思い至って澪は小さく息を吐いた。
「……私も同じね」
母が何を思っていたのか。
何が一番苦しかったのか。
本当に、自分の存在が母を追い詰めたのか。
澪は、それを母本人から聞いたことがあっただろうか。
記憶の中で。
病院の白い部屋。
母は、まだ幼かった澪の手を握っていた。
そして言った。
「あなたはあなたよ」
その時の意味を、澪はまだ知らない。
母が何を思って、その言葉を口にしたのかもわからないままだ。
ただ、その一言だけは、今も残っている。
澪はそっと目を閉じた。
店の中は静かだった。
ハーブティーの香りだけが、ゆっくりと残っている。
そのときだった。
頬に、何かが触れた。
温かい。
母の手を思い出すような、柔らかな温もりだった。
澪がゆっくりと目を開くと、目の前に、一人の女性が立っていた。
流れるような長衣をまとい、長い髪が静かに揺れている。
風はない。
それなのに、その衣の裾だけが、水面のようにゆっくりと揺れていた。
女性は澪を見つめている。
深いブラウンの瞳。
どこか懐かしいような、けれど誰とも違う瞳だった。
その女性の手が、澪の頬に触れていた。
『あなたはあなたよ』
柔らかな声だった。
澪は、しばらくその瞳を見つめると、小さく微笑み返した。
澪が瞬きをすると、そこにはもう誰もいなかった。
「……ありがとう」
先ほどまで気配があった場所に小さく呟くと、澪はゆっくりと手を伸ばし、カウンターの引き出しを開けた。
そこには、一枚の紙がある。
それを取り出すと、澪は静かに見つめる。
Carcerの図形。
そして、小さく残された文字。
――西へ。
紙片をテーブルに置いた澪は立ち上がると、本棚の一角に収められていた古い箱を取り出した。
蓋を開ける。
そこには、先代の西の魔女が残したものが収められていた。
澪はその中からメモの束を取り出し、紙片の横に並べた。
紙質。
インクの色。
書き癖。
まったく同じではないように見える。
けれど――。
「……似ている」
テーブルの上には、
奈緒から届いた葉書とCarcerの書かれた紙片。
そして先代のメモが並んでいる。
誰かの道を見つめていたはずなのに。
気がつけば、その道は自分のところまで続いていた。
ここまで第二章「帰らない手紙 ―Via―」を読んでくださって、ありがとうございました。
母が残した手紙をきっかけに、知らなかった母の過去を辿っていった奈緒。
その先で見つけたのは、母が若かった頃の時間と、藤井千鶴という女性との記憶でした。
母にも、奈緒の知らない人生があった。
そして、その人生の先にあったものを、奈緒は自分の目で確かめに行きました。
誰かの人生をすべて知ることはできないのかもしれません。
それでも、知らなかった時間を知ることで、見えてくるものもある。
第二章は、そんなお話でした。
そして――10月13日より、第三章が始まります。
第三章「消えた指輪 ―Amissio―」
今度の舞台は、婚約指輪。
ある日、部屋から婚約指輪が消えます。
部屋は閉ざされていて、外から誰かが入った形跡もない。
家族が疑ったのは――妹でした。
けれど、西の魔女商店で示されたジオマンシーは、別の問いを投げかけます。
「本当に、それは盗まれたのでしょうか?」
失われたのは、指輪なのか。
それとも――。
第三章「消えた指輪 ―Amissio―」
10月13日スタート。
次の物語も、どうぞお付き合いください。
西の魔女商店は、地図を渡す魔女がいるだけだ。




