第11話 届いていた手紙
暫く母の書き続けた手紙の束を見つめていた奈緒は、一枚ずつ並べ直した。
今度は内容ではなく、千鶴から返事があったと思われる時期を探す。
最初の頃の手紙には、千鶴の名前こそ出てこないものの、明らかに海外で暮らす誰かから便りが届いていたことが分かる文章がある。
――向こうの暮らしにも慣れてきたようで安心しました――
――仕事は大変そうだけど、自分らしく頑張っているのですね――
奈緒の指が止まる。
「……やっぱり、手紙は届いてたんだ」
母と千鶴は、若葉荘を離れたあとも完全に途切れたわけではなかった。
母は千鶴のアメリカでの生活を知っていた。
仕事を始めたことも、向こうの暮らしに慣れてきたことも。
そしてしばらくは、母から千鶴へ、千鶴から母へと手紙が行き来していた。
「……あれ?」
ところが、ある時期から変化していることに奈緒は気づく。
手紙の文章の中に、千鶴からの返事について書かれた文章がなくなっている。
その代わり、「元気にしていますか」「そちらはどうしていますか」という言葉が増えていく。
奈緒は何度も前後の手紙を読み返した。
「……返事が来なくなった?」
そしてもう一つの疑問が浮かぶ。
奈緒が改めて封筒を見ると、そこには何十年も変わらない住所が書かれている。
住所の宛先は若葉荘のままだ。
「……おかしい」
千鶴はアメリカへ行き、母もそれを知っていた。
アメリカへ行った千鶴にも、手紙を書いていたことが分かる。
なのに、なぜ母はアメリカの住所ではなく、若葉荘へ出さない手紙を書いたのだろうか。
奈緒は翌日、再び実家へ向かった。
母が千鶴と手紙をやり取りしていたのなら、母から千鶴へ出したものは残っていなくても、千鶴から届いた手紙なら残っているかもしれないと思ったからだ。
実家を離れてずいぶん経つが、母が亡くなってから少しずつ始めた整理のおかげで、大方何がどこにあるのかはわかる。
手紙の束と写真が出てきた押し入れ。
大事なものを纏めていた机の引き出し。
捨てられなかったのであろう、年賀状の束の入った箱。
いくつもの引き出しや箱を開けては閉じる。
しばらくして、奈緒の手が一つの古い箱の中にまとめられて入っていた封筒で止まった。
赤と青の縁取り。
今ではあまり見かけなくなったエアメールだった。
奈緒はエアメールに書かれた文字を目で追う。
「Chizuru Fujii……あった」
奈緒はその場に座り込み、そのうちの一通の封筒の中から薄い便箋を取り出す。
便箋には千鶴の字でアメリカでの暮らしを書いていた。
英語に苦労したこと。
仕事を覚えるのが大変だったこと。
日本の食べ物が恋しくなったこと。
そして、
――若葉荘にいた頃は夢だったけど、本当に叶うって思わなかったよ――
文字を追っていた奈緒の指が止まる。
「……やっぱり、この人だ」
写真の中で母と笑っていた女性。
今度は推測ではなく、写真の女性が藤井千鶴だったことを確かめる手がかりを見つけた。
奈緒は見つけたエアメールを消印順に並べていくと、封筒の左上に書かれた差出人住所を見る。
一通目。
二通目。
三通目。
「住所……違う」
同じアメリカでも、千鶴は何度か住む場所を変えていた。
住所が変わった最初の手紙を開け、中の手紙に目を通すと、さっきの手紙と同じ筆跡で仕事を変えたことや、別の街へ移ったこと。
そんなことも手紙に書かれている。
そして一番新しい手紙には
――また引っ越すことになりました。落ち着いたら、新しい住所を知らせます――
それが、千鶴から届いた最後の手紙だった。
その後の手紙は、エアメールの入っていた箱のどこを探しても出てこなかった。
奈緒はしばらく、その一文を見つめた。
「……新しい住所が、届かなかったんだ」
千鶴が知らせなかったのか。
知らせることができなかったのか。
途中で手紙が失われたのか。
それは分からない。
ただ一つ分かるのは――
そこから母は、千鶴がどこにいるのか分からなくなった。
奈緒は、母の未投函の手紙を見る。
一番古い一通。
その日付は、千鶴から届いた最後のエアメールより後だった。
「だから……ここからなんだ」
千鶴の住所が分からなくなった。
だから母は、手紙を送れなくなった。
でも。
奈緒は封筒の宛先を見る。
そこに書いてあるのは、アメリカの古い住所ではない。
日本にある、若葉荘。
「……なんで?」
送れなくなった理由は、少し分かった。
「……あっ……」
そこで奈緒は、ふと気づいたように呟く。
奈緒自身、最初からこの住所を「千鶴が今住んでいる場所」だと思っていた。
若葉荘が無くなっても、そこに「藤井千鶴」という女性が住んでいると思っていたから、書き続けていたんだと奈緒も思っていた。
「……違うんだ」
母にとって若葉荘は、千鶴と最後に一緒にいた場所。
二人が笑っていた場所。
母自身が暮らしていた場所。
そして、千鶴が夢を追って旅立っていった場所。
奈緒は一枚の手紙を手に取る。
「……お母さんは、千鶴さんの今の住所に書いてたんじゃなくて……」
小さく呟くと、奈緒は手紙をそっと胸に押し当てた。
手紙の宛先は、千鶴ではない。
あの頃の二人がいた場所なのかもしれない、と。
けれど。
なぜ、母はそれから何十年も、若葉荘を宛先にして手紙を書き続けたのか。
その答えは、まだ分からなかった。




