第6話 消えなかった住所
「取り寄せ可能ですが、館内での閲覧のみとなります」
暫くして、扉の向こうから出てきた司書の言葉に、奈緒は安堵する。
取り寄せ可能。
資料となれば貸出不可であることは予想をしていた。閲覧可能であれば取り寄せて貰い、土日にかけて市立図書館に通って調べることができればある程度見通しができる。
もし取り寄せた資料から、住所について調べることができない場合、市立図書館の司書に相談してみればいい。
「それでも結構です。いつぐらいにこちらに届きますか?」
「そうですね、早ければ4、5日でこちらに届くかと」
司書はそう答えると、奈緒から預かったメモを返す。
「宜しければ、全部届きましたらご連絡いたしましょうか?」
「いいえ、また次の土曜日に伺います。届いたものから見せて貰えれば大丈夫です」
「では、取り寄せの為にお名前とご連絡先、それから取り寄せるもののご記入をお願いします」
そう言って司書は、受付のカウンターに1枚の取り寄せ依頼書とボールペンを置いた。
奈緒は連絡先と一緒に、希望する資料の名前を記入した。
「では、また土曜日に伺います」
書き終わった奈緒は、用紙を司書へと渡し、会釈をすると市立図書館を後にした。
自宅に戻った奈緒は、とりあえずの手がかりの一歩を進めた事にほっとする。
ただ、取り寄せた資料の中に自分の欲しい情報は全てないかもしれない。
それならば、少しでも母こと、「藤井千鶴」という人物のこと、2人の関係を調べておこう。
そう考え、まずは持って帰った手紙を古い順に並べていく。
住所は本当に毎年同じなのか。
番地の表記に違いはないか。
宛名以外に何か書かれていないか。
日付を確認すると、一番古いものが40年近く前。
奈緒が生まれて少し経ったぐらいだ。
最初の数年は必ず夏と冬の年2回。
手紙を書き始めて10年経ったころからは、1年に2通の時もあれば、1通の時もある。
並べ終えた奈緒は付箋に年月を書くと、纏めた封筒の一番上に貼った。
それぞれ纏められた封筒の数は40。
今度はそれを一通ずつ、封筒を確認しながら目を通していく。
実家で手紙の束を見つけた時は、数通目を通しただけだった。
だから全部を読めば何かわかるかもしれないと思い、時間をかけて読んでいく。
30通を過ぎたあたりで、奈緒がため息をついた。
今まで読んできた内容は、いたって普通の手紙と変わらない。
季節のこと。
自分の近況。
奈緒が生まれたこと。
奈緒が成長したこと。
特別な秘密は何もない。
「……普通の手紙だ」
なのに、何かが引っかかる。
「……なぜ、出さなかったんだろう?」
40年近く書き続けているのに、1通も出した形跡がない。
「もしかして、途中出したりしたのかなぁ?」
そう呟くと手紙の束を見る。
途中で出していれば、内容に変化があるはずだ。
けれども母の書いた手紙は、一方的に綴ったものに見えるのだ。
そこに違和感があった。
母は毎回、同じ住所へ手紙を書いていた。
でも、実際には一度も送っていない。
つまり母は、千鶴から返事をもらうために書いていたわけではない?
そう思い至ると、奈緒は手元に近い封筒を1通手にした。
「お母さんは、その住所に藤井千鶴という人がいるとずっと信じていたの……?」
もしそうだとしたら、何のために?
どうして、40年間変わらない住所で書き続けたのだろうか?
母の書いた手紙は、どれも相手への気遣いと懐かしさを含んだものだった。
「お母さんはこの人のことを大切に思ってたんだ……」
それならばなぜ?の疑問が再び奈緒の頭によぎる。
手紙を出せは、相手に届いていたかもしれない。
住所が違えば、相手が住所変更の手続きをしていれば転送される事もある。
していなければ、手紙は母の元へと戻る。
そうすれば、母は「出さない手紙」を書くのを止めていたかもしれない。
つらつらと、そんなのことを考えていた奈緒の手が止まる。
「『出さない手紙』?」
今、自分で思った言葉を口に出してみる。
「出さない手紙……違う、手紙を書くこと自体に意味があったのかも……」
そう呟いたとき、窓の外で奈緒の住んでる地域の夕方を知らせる音楽が鳴り始めた。
手紙を読み始めた時、まだ高かった日差しも夕方のものに変わっている。
「もうこんな時間だ」
奈緒は時計に視線を向けると、手紙の束を片付け始めた。
週が明けるといつもの毎日が始まる。
奈緒は空いた時間に何度も何度も母の書いた手紙を読み直す。
何か見落としているものはないか。
普通の手紙だが、何かほかに隠れた意味はないのだろうか。
けれども読めば読むほどに普通の手紙だと思うが、あの日「出さない手紙」という思いが浮かんでからは、これはもしかしたら母の日記のようなものだったのかもしれない、と思い始めていた。
そして土曜日。
奈緒は再び市立図書館へと向かった。
「あの、先週こちらの資料の取り寄せをお願いしたものですが」
受付でそう言いながら、あの時書いた取り寄せ書の控えを受付にいた司書へと差し出す。
受け取った司書は「お待ちください」の言葉を残し、先週と同じように受付の背後にある扉の向こうへと入っていった。
暫くすると再び扉が開き、司書がワゴンを押して現れた。
ワゴンの上には数冊の厚めの書籍が置いてある。
「お待たせいたしました。こちらは貸し出しはなく閲覧のみとなっておりますので、こちらのスペースでご覧ください」
そう言うと、司書は右手で受付のすぐ隣にある、読書スペースへと案内をした。
案内された部屋の広さは4.5畳ほどだろうか。
中央に広めのテーブルと椅子が4脚。
受付の奥にある事務スペースが見える、ガラスのはめ込み窓がある。
ここは貸し出し不可の蔵書や、取り寄せ資料などの読むための専用の部屋のようだった。
窓も、大事な資料等の扱いを見えるようにしたものなのだろう。
ガラスの向こうに見える事務風景に少し居心地の悪さを感じながらも、奈緒は椅子に座りワゴンから町史を手に取った。
ぱらり、ぱらりと乾いた紙の音だけが響く。
真剣な表情で読み続ける奈緒は、その中で必要だと思われるものを手帳にメモをしていった。
時間にして1時間と少し経ったころ、ぱたん、と町史の厚い表紙が閉じられた。
その横に開かれた手帳には合併年月日、旧町名、現在の市名、町名変更、大字・字の扱いなどが書かれている。
「さすがに町史じゃ番地まではわからないか……」
奈緒はそう言うと、手帳を見る。
確かに町史の中には、母の書いた手紙の住所が存在した。
そうして、今度は旧住宅地図を開く。
目次から旧住所のページを探し、顔を近づけて封筒に書かれた住所を探した。
住宅地図自体は大きいが、書かれている文字などは小さい。
見落とさないように、とじっくりと探す。場所によっては何ページか先に飛ぶこともあり、ページをめくっては戻りを繰り返していく。
何度か繰り返した後、奈緒の視線がある場所で止まった。
「……あった」
奈緒は慌てて鞄から封筒を取り出した。
住宅地図に記された住所と、封筒に書かれた住所を見比べる。
「……間違いない」
そこには、母が何十年も書き続けていた住所が確かに載っていた。




