第4話 Via
「では――この手紙が示すものへ至る道を見てみましょうか」
そう言うと、澪はテーブルの上に置かれていたティーカップを少し端へ寄せ、一枚の紙とペンを奈緒の前に置いた。
「まず、この紙に点を打ってください」
「点、ですか?」
思いがけない言葉に、奈緒は紙と澪を交互に見る。
「はい。数は数えずに、思うままに。止めようと思ったところで止めてください」
「何か考えながら?」
「お母様が残した手紙のことを思いながら」
奈緒は小さく頷くと、ペンを手に取った。
白い紙の上に、一つ、また一つと点を打っていく。
最初は妙に意識してしまい、手の動きがぎこちない。
けれど次第に、点を数えることも、どこで止めるかを考えることもやめた。
ただ、母の手紙を思い浮かべながら、ペン先を動かす。
やがて奈緒の手が、ふっと止まった。
「……ここで」
澪が静かに頷く。
同じことを、用紙を変えながら繰り返していく。
十六回。
紙の上には、長さも数もばらばらな点の列が並んでいた。
「これが占いになるんですか?」
不思議そうに紙を眺める奈緒に、澪が小さく頷く。
「ジオマンシーといいます。もともとは大地に無作為の点を刻み、その数から紋を導き出していた占術です」
そう説明すると、澪は奈緒が打った点を一つずつ確認していく。
奇数か、偶数か。
それぞれの列を一つ、あるいは二つの点へと置き換えていく。
奈緒には、その作業が何を意味しているのかわからない。
ただ、先ほどまで無造作に並んでいただけの点が、澪の手によって少しずつ規則を持った図形へ変わっていくのを、黙って見つめていた。
四つの図形が生まれる。
さらに澪は、そこから別の図形を作り、決められた位置へ順番に書き込んでいった。
やがて紙の上に、いくつもの点の紋が並ぶ。
澪は完成した盤をしばらく眺めていた。
「……Via」
小さく呟いた声を、奈緒が聞き取る。
「ヴィア?」
奈緒が尋ねると、澪は一つの図形を指した。
縦に四つ、一つずつ点が並んでいる。
「Via。ラテン語で『道』という意味を持つ紋です」
「道……」
奈緒はもう一度、その紋を見る。
澪は盤の上に並んだ図形を一つずつ確認すると、脇に置いてあった別の紙を手元へ引き寄せた。
そして、紙の中央に大きな円を描く。
その円を、中心から外側へ向かって伸びる線で十二の区画に分けていった。
「今度は、この図形をハウスに当てはめて見ていきます」
「ハウス?」
「十二に分けたそれぞれの場所に意味があります。人や物、出来事を見る場所が、それぞれ違うんです」
澪はそう説明しながら、先ほど導き出した図形を順番に十二の区画へ書き込んでいく。
一つ。
また一つ。
奈緒にはまだ、それぞれが何を意味しているのかはわからない。
ただ、さっきまで無造作だった点が図形になり、その図形が今度は十二の場所へ配置されていく様子を、黙って見つめていた。
すべてを書き終えると、澪は円の中をゆっくりと見渡した。
その指が、一つの区画で止まる。
「ここにもViaがあります」
そして、すぐ隣の区画へ指を移す。
「こちらにも」
「二つ?」
「ええ」
澪は最初のViaを指した。
「こちらは、手紙や通信、情報などにも関わる場所です」
次に、隣のViaへ指を移す。
「こちらは家や土地、過去に関わる場所」
「手紙と……土地?」
奈緒は、二つのViaを交互に見る。
同じ紋。
同じ『道』。
けれど、示されている場所は違う。
奈緒はしばらくその円を見つめていた。
やがて、その視線がテーブルの上へ落ちる。
そこにあるのは、自分が持ってきた手紙。
十年以上、母が毎年書き続けていた手紙。
そして、その封筒に書かれた住所。
「……住所?」
奈緒が呟く。
澪は答えを言わず、わずかに口元を緩めた。
「手紙から……その場所を辿るってことですか?」
「その読み方はできます」
澪の答えを聞いて、奈緒は一通の封筒を手に取った。
何度見たかわからない住所が、そこに書かれている。
だけど。
「でも、この住所はもうないんです」
「ない?」
「はい。平成の大合併で町そのものが隣の市に編入されて、今はこの住所では検索しても出てこなくて」
そこまで言った奈緒に、澪が静かに尋ねた。
「なくなったのは、住所ですか?」
「え?」
奈緒が顔を上げる。
澪は先ほどと変わらない穏やかな表情で、奈緒を見ていた。
「町の名前が変わった。住所の表記が変わった。だから、現在はその住所が存在しない」
「……はい」
「では、その場所そのものも、なくなったのでしょうか」
奈緒が言葉を止めた。
平成の大合併で、住所は変わった。
確かにそうだ。
だけど、町そのものが地面から消えたわけではない。
建物は建て替わっているかもしれない。
道路も変わっているかもしれない。
当時とまったく同じ風景が残っているとも限らない。
それでも。
「……場所は、ある」
奈緒が小さく呟いた。
「住所が変わっただけで……その土地までなくなったわけじゃない」
そう口にした奈緒は、もう一度封筒を見る。
これまで何度も検索した。
表示されない住所。
存在しない住所。
そこで思考を止めていた。
だけど、それは現在の地図から見つけることができないというだけだ。
「昔の地図……」
奈緒がぽつりと言う。
「昔の地図なら、この住所がどこだったのかわかるかもしれない」
澪がゆっくりと頷いた。
奈緒の中で、止まっていた何かが少しだけ動いた気がした。
藤井千鶴という人物は、まだ何もわからない。
母がなぜ手紙を書き続けていたのかも。
なぜ一通も送らなかったのかも。
最後に書いた「そちら」が、何を示しているのかも。
何一つ、答えは出ていない。
それでも、次に何をすればいいのかだけは見えた。
奈緒は盤に描かれたViaへ目を向ける。
「不思議ですね」
「何がですか?」
「ここに来れば、千鶴さんがどこにいるのか、何かわかるかもしれないと思ってました」
少し恥ずかしそうに笑う。
「でも、居場所は何もわからなかった」
「そうですね」
あっさり肯定され、奈緒は思わず澪を見る。
その表情に責めるようなものは何もない。
奈緒も小さく笑った。
「なのに、来る前より何をすればいいかわかった気がします」
澪は盤の上にあるViaへ視線を落とした。
「占いが答えそのものを教えてくれるとは限りません」
そう言うと、指先でその紋を静かに示す。
「ただ、どちらへ進めばいいのか。その道を示すことはあります」
「道……」
奈緒はその言葉を繰り返す。
自分の手で打った点から現れた、小さな紋。
Via。
奈緒は手に持っていた封筒を見つめた。
少し前まで、それは「存在しない住所」が書かれた手紙だった。
だけど今は違う。
そこには確かに、かつて存在した場所へ続く文字が記されている。
母が毎年、書き続けた場所。
「行ってみます」
「今の住所は、まだわからないでしょう?」
「はい。だから、まず調べます。昔の地図とか、住所の記録とか」
奈緒はそう言うと、手紙を大切そうに束ね直した。
藤井千鶴へ続く道なのか。
母の過去へ続く道なのか。
まだ、それはわからない。
けれど――。
道がなくなったわけではない。
奈緒はもう一度、盤に描かれたViaを見つめた。




