第12話 分からないということ
自宅のあるマンションに着いた二人は、敷地の駐車場へ車を止めると、エレベーターのあるエントランスホールへと向かう。
エレベーターの中でも二人は黙ったままだった。
直人が玄関の前で一瞬止まる。
23年間暮らした家なのに、出ていくときは振り返らなかった。
けれど今度は、自分の意思でこの扉を開けなければならない。
鍵は持っていた鞄から取り出したが、自分が再びここに戻っていいものなのか。そんな思いが頭をよぎる。
だけど。
由紀が自分に言った言葉を思い出す。
『それはこれから自分で考えればいいんじゃない?』
直人は一瞬だけ目を閉じたあと、ゆっくりと鍵を開ける。
「……ただいま」
家の中は、直人が出ていく前と何も変わっていない。
脱いだスリッパ、食卓、冷蔵庫の音。
「……おかえり」
直人の背中に由紀が声をかけた。
翌朝、由紀が直人に訊く。
「病院、次、来週の火曜日だったよね」
「……うん」
「一緒に行く」
ダイニングテーブルに座る直人の前に、今淹れたばかりのカップを置くと、向かい側に座りながら由紀が言う。
「仕事は?」
「休む」
直人の問いに何でもないように答える由紀を見て、直人はカップを手に取ると一口飲む。
それはいつも由紀が自分好みに淹れてくれる香りだった。
週が明け、予約日に二人で総合病院へ行った。
受付を済ませ、案内通りに担当医の診察室前へと向かう。
暫くして名前を呼ばれ、直人と由紀が医師の前に座った。
今回は妻の由紀が一緒だったので、医師から改めて説明を受けた。
膵臓がんではあること。
ただし現時点では早期と考えられ、手術も選択肢に入っていること。
必要な検査をしたうえで治療方針を決めること。
ゆっくりと分かりやすく説明を受け、一旦医師からの言葉が切れたところで、由紀が確認をする。
「先生。主人は、余命を告げられているんでしょうか」
「いいえ」
医師の言葉に直人が顔を上げた。
「治らない、と言われたんでしょうか」
「そのようなお話もしていません。前回もご説明しましたが……」
医師が由紀の顔を見ながら答えるのを見て、直人が目を瞠る。
自分は「膵臓がん」と聞いた瞬間から、その後の説明をほとんど聞いていなかったのだと気づく。
直人の表情を見た由紀が小さく微笑む。
「今度はちゃんと聞こう」
「……うん」
「私も一緒に聞くから」
診察が終わり、病院をでたところで直人が会社へ電話をする。
理由は伏せていたが、長期の有休をとっていたことの謝罪と、改めて病気の報告をした。
先ほど医師から、現時点では早期と考えられ、手術も選択肢に入っていると聞いた。
ならば今後、また会社を休むことになるだろう。
今の直人は責任のある役職についている。
これからについても相談しなければならない。
電話に出た、自分の補佐をしている部下に「申し訳ない」と直人が告げる。
「治療のことを一番に考えてください。仕事のことはこっちで何とかします」
本気で直人を心配する言葉に、直人の喉が震える。
「……ありがとう。一度会社には行くから」
そういって電話を終えると、直人は少し離れたベンチに座っている由紀のもとへと戻る。
「……仕事、なんとかするってさ」
「そう、よかったね」
由紀の言葉に、直人が少し泣きそうな笑顔を見せた。
そのまま二人でベンチに腰掛け、街路樹を揺らす風の音を聞いていた。
「美奈子さんに連絡する?」
ぽつりと、でも何でもないような声で由紀が言うと、美奈子の携帯番号の書かれたメモ用紙を直人に差し出した。
直人はためらう表情を見せるが、由紀は「はい」と直人の手に握らせた。
暫くメモを見つめていた直人は再びスマートフォンを取り出すと、メモに書かれた番号を入力する。
何回かのコールのあと、プツリと電話のつながる音が直人の耳に響いた。
「……もしもし」
懐かしい声だった。
直人は深呼吸をしたあと、告げる。
「……直人です」
美奈子の息をのむような気配が伝わってきた。
だけど、これからの為、きちんと伝えなくてはいけないことだ。
美奈子からの返事はない。
だけど、通話を切られないということは話してもいいんだろう、そう思い、直人はゆっくりと続ける。
25年前のあの夜のこと。
最後の会話。
最後の和也の背中。
走り去った和也の赤い車。
「俺、ずっと……和也を殺したのは俺だと思ってた」
「……私には分からないよ」
ようやく返ってきた美奈子の言葉に、直人が黙る。
「あの日、和也がどんな気持ちで車を運転してたのか。事故が喧嘩のせいだったのか。私には分からない。だから、直人君のせいだったとも、違ったとも、私には言えない」
「……うん」
その言葉に、直人がそっと瞼を閉じる。
「でもね。和也が、直人君に25年間苦しんでほしかったとは、私は思わないよ」
美奈子の言葉に、閉じた直人の瞼から涙が零れた。
直人の様子が電話越しにも伝わったのだろう。
少し間をおいてから美奈子が尋ねた。
「あのお金、どうしようか」
その言葉に直人が少しだけ鼻をすすった。
そして少し考えたあと「……分からない」と呟く。
「でも、ちゃんと考える」
今度ははっきりとした声で言う。
「うん」
「美奈子ちゃんとも、話して決めたい」
直人の言葉に、美奈子が「わかった」と言った。
病院へ行った週の土曜日の夕方。
由紀と直人は二人で「西の魔女商店」へと足を運んだ。
前もって由紀が連絡をしていたからだろう。
澪はいつものように迎え入れた。
椅子をすすめられ、由紀と並んで座った直人は、店内の不思議な雰囲気に少し戸惑う様子を見せる。
そんな直人の様子に、小さく笑いながら由紀が澪を紹介する。
「この人が、澪先生」
「……妻がお世話になりました」
由紀の言葉に、直人が一度椅子から立ち上がると深く頭を下げる。
「私はほとんど、何もしていませんよ」
そう澪に言われ、直人は慌てて顔を上げるとぽかんとした表情で澪と由紀を交互に見たあと、気が抜けたように再び椅子へと腰掛けた。
そして、ずっと気になっていたことを澪に訊いた。
「占いで、俺があの海にいるって分かったんですか?」
「いいえ」
即答する澪の言葉に、直人が眉を寄せた。
「私は地図に、いくつか印をつけただけです」
そして、あの時由紀に見せた図形とハウスを広げると、ゆっくりと指を動かす。
「道。楽しみ。そして、水」
言い終わると、澪が艶やかな笑みを浮かべる。
「その地図を見て、あなたへ続く道を見つけたのは奥様です」
その言葉に、直人が由紀を見る。
そして、Carcerの図形を直人の前に差し出す。
「これが……俺に出たんですか?」
並んだ点を見ても、直人にはその意味が分からない。
「牢獄、だって」
由紀が直人の顔を覗き込むように言うと、直人が暫くCarcerの図形を見つめる。
「俺が閉じ込められてたってことですか」
だけど澪は答えない。
代わりに少し微笑んで言う。
「それを、私に聞きますか?」
その言葉に直人が一瞬ぽかんとしたあと、小さく笑った。
「……そうですね。自分で考えます」
その言葉に由紀も小さく笑った。
カラン、とドアベルが鳴り、扉を開けた二人が澪にもう一度頭を下げると店を出る。
由紀が先に歩き出し、直人がその横へ並ぶ。
澪は店の窓から二人の背中を見つめた。




