第11話 帰る道
直人が少しずつ話し始める。
25年前。
当時の直人は会社に入ってまだそれほど経っておらず、仕事を任せてもらえないことに苛立っていた。
就職活動を始めた頃から希望していた仕事だった。
自分で選び、意気込んで入った会社でもある。
1年目はまだ自分でも納得できた。
だけど、2年、3年と経験を積んでも、周囲からは「まだ若い」「経験がない」と扱われ、自分ではできると思っているのに認めてもらえない。
一方の和也は、はじめは同じ職種に就いたが、父親の希望で家業を継ぐことを選び、大学時代から付き合っていた美奈子と結婚した。
数か月前には美奈子に子供ができ、あと4か月もすれば和也は父親になる。
自分の仕事を持っている。
結婚している。
子供も生まれる。
人生が順調に進んでいる。
和也が羨ましかった。
だから、あの日つい不満が漏れた。
「いいよな、お前は」
「何が」
「自分の仕事だってあるし、美奈子と結婚して、もうすぐ子供も生まれる。俺なんかいつまで経ってもガキ扱いだ」
その日は本当は二人で少し遠くまで車を走らせる予定だったが、生憎の雨。
予定を変更して、直人のアパートの近くの居酒屋で食事をすることにした。
車で来ている和也は飲めないが、徒歩で帰れる直人は和也に勧められてビールを飲んだ。
少し酔いが回ったせいもあったかもしれない。
いつものように和也が同調してくれるものだとばかり思っていたが、その日は違った。
「お前の方がいいだろ。嫌なら辞めればいい。まだ好きなことできるじゃねえか」
「簡単に言うなよ」
「簡単なのはお前だろ。俺が好きで全部こうしたと思ってんのか」
直人には、その言葉の意味が分からなかった。
「何だよ、それ」
「俺は好きで親父の仕事継いだわけじゃねえんだよ! 車の仕事だって辞めた。今さら好き勝手できると思ってんのか」
その言葉をきっかけに、二人の口調は次第に荒くなっていく。
周りの客もちらちらと二人の様子を盗み見ているが二人は気が付かない。
「だったら全部捨てりゃいいだろ!」
「お前に何が分かるんだよ!」
「お前だって俺のこと何も分かってないだろ!」
直人の言葉に和也が直人を睨みつけた。
「……もういい」
そう言うと和也は財布から一万円札を取り出し、机に叩きつけるように置いて席を立った。
直人は怒りを残したまま和也の方を見ることもなく、グラスのビールを喉へ流し込んだ。
外は雨。
直人は店の窓越しに、和也の赤い車が駐車場から出ていくのを見た。
直人は暫く店に留まったあと、アパートへ戻った。
まだイライラとした気持ちを流すように風呂に入り、濡れた髪をタオルで拭きながらさっきの和也との喧嘩を思い出す。
高校時代からの仲だ。
仲が良い分、喧嘩もよくした。
だからいつものように連絡をして、『ごめん』と言えば大丈夫だろう、そんなことを思っていた。
眠りについて暫くたったころ、部屋の電話が鳴る。
時計を見ると深夜1時過ぎだった。
最初は無視をしようと布団をかぶったが、電話の音は切れることなく鳴り続ける。
仕方なくベッドから起き上がった直人は、受話器を取った。
美奈子の声だった。
そのあとのことはよく覚えていない。
最初の記憶は病院だった。
白いシーツの上に横たわる和也。
ところどころに残る処置の跡。
おなかの大きくなった美奈子が、泣きながら何かを言っている。
単独事故。
速度超過。
直人はぼんやりした意識の中で思う。
和也が死んだ。
あの時喧嘩したから。
だから和也が怒って車に乗った。
怒りで速度を出した。
そして、事故を起こした。
全部、自分のせいだ、と。
そこまで話した直人が、暗くなった海を見つめる。
「俺があんなこと言わなかったら、和也はあの時間にあの道を走ってなかった。怒らせなかったら、あんなに速度を出さなかったかもしれない。俺が……殺したようなもんなんだ」
直人の言葉に耳を傾けていた由紀が、そっと目を伏せた。
「……和也さんが、そう言ったの?」
直人が由紀の言葉にゆっくりと振り返る。
「え?」
「事故を起こしたのは、あなたと喧嘩したからだって。和也さんがそう言ったの?」
由紀の言葉に直人が目を瞠ったあと、口元に自嘲めいた笑みを浮かべた。
「……言えるわけないだろ。あいつは死んだんだから」
「……じゃあ、それは誰が決めたの?」
直人の視線が初めて由紀と交わる。
ちゃんと自分を見てくれた。そのことに少し安堵した由紀は、今度は視線を逸らさずに話し始める。
「私も同じことした」
病院の診察券を見て、重い病気だと思った。
女性への送金を見て、浮気だと思った。
二つを勝手につなげて、病気の女性がいて、直人はその人を愛していて、その人のために死のうとしているところまで想像した。
「分からないところに、自分で答えを入れたの。それも、一番怖い答えを」
そう言うと、由紀は直人へと視線を向けたまま言う。
「直人も、ずっとそうだったんじゃない?和也さんが何を考えてたか、本当は分からないんでしょう?」
直人は口を結んだまま、視線を下げた。
由紀が訊く。
「だから、一万円を送り続けたの?」
暫く黙ったあと、直人が一万円を送り続けた理由を話し始めた。
和也が子供のために毎月一万円貯めていた。
自分が和也を死なせたと思った。
「最初は一回だけのつもりだった。翌月になったとき、もう一回だけってまた振り込んだ。気が付いたら一年になってた」
そうしているうちに、和也が生きていたらするはずだったことを、自分が代わりに続けようと思うようになった、と。
直人の言葉に由紀が促すように頷いた。
「途中から……やめるのが怖くなった」
「なんで?」
「やめたら……俺が和也をもう一度死なせるような気がした」
「……そう」
そう答えると由紀は美奈子から聞いたことを直人に告げる。
「美奈子さん、一円も使ってないって」
「……え?」
「ずっと残してるって」
「なんで……」
「お守りだったって」
夫を亡くし、子供を育てていく中で、本当に困ったらこのお金がある。
そう思えるだけで頑張れた。
だから使わなかった。
「そう言ってたよ」
「……そうか」
直人はそう呟くと、再び波の音だけが響く海へと視線を向ける。
「俺、何やってたんだろうな」
「それはこれから自分で考えればいいんじゃない?」
あっさりという由紀の言葉に直人が微かに笑った。
突然、パンッという小さな音が響くと同時に、楽しそうな若い声があたりに響いた。
直人と由紀が同時に音のした方へと振り返る。
パンッ!パンッ!
暗い海の上に一瞬だけ幾つかの光が開く。
「……和也と、花火見る約束してたんだ」
「うん。知ってる」
いくつか続いた打ち上げ花火が消え、今度は浜辺で若者たちの間で小さな光が幾つも開いた。
時折聞こえる笑い声と、波の音が響く。
しばらくして直人がぽつりと呟く。
「……帰ろうか」
「うん。帰ろう」
二人で防波堤を戻る。先に進む直人の半歩後ろを由紀が歩く。
直人が向かったのは駅ではなく、海岸の駐車場だった。
駐車場には見覚えのあるシルバーの車がある。
あの写真の車とは違うが、乗り換えてもずっと色だけはこだわっていた理由が今ならわかると由紀は思う。
直人が運転席へ。
由紀が助手席へ。
車は海岸線の道へゆっくりと出た。
窓の外を、暗い海が流れていく。
直人は前を向いてハンドルを握っている。
そこはかつて赤とシルバー、二台の車が走った道だ。
由紀は何も言わず、その隣に座っていた。




