第六話 洞観者と「孤独」
ホテルでのベッド争い翌日、伊織たちは待ち合わせ場所である大きい公園の芝生広場にいた。
ベンチが空いていなかったので、芝生に敷いたレジャーシートの上に座って依頼人を待つ。
これはどうでもいい話だが、この一か月くらいの間に鷲見が服やスマホなどの生活必需品を用意してくれたので、伊織は随分まともな状態になった。
夢中になってスマホを触っているところに、自販機に飲み物を買いに行っていた鷲見が戻ってきた。浬が受け取った飲み物を見て顔を歪める。
「……俺お茶って言いましたよね」
「俺も言いました」
今二人の手に握られているのはリンゴジュースだ。
「夏だからみんな買うんだろうね。お茶も水も売り切れてたんだ。でもそれ、お子様たちにはぴったりでしょ?」
鷲見はニヤニヤしながら、こちらの反応を見る。
「お子様って……普段の感じだと、鷲見さんの方が俺らよりよっぽど子供ですよ」
「いーや! 二人ともよく考えるんだ。君たちが大きなランドセルを背負った可愛い小学校一年生の時、僕はなんと中学生! そう考えると二人よりずっとお兄さんだから、お子様じゃないよ」
最後の言葉は前にも聞いた気がする。伊織と浬には、なんとかお兄さんと思われたいらしい。
(缶ブンブン振ってるくせによく言う)
鷲見が振っているのは、いわゆる「ゼリー炭酸飲料」というものだ。中のゼリーを崩すために飲む前に振る必要があるので、目の前ではその作業が行われている。ちなみに、ゼリーの中に炭酸が入っているから振っても大丈夫なんだとか。
伊織も昔どうしても飲んでみたくて、少ない金で一度だけ買ったことがある。子供には大変魅力的な品だ。
鷲見もレジャーシートに座ったところに、ちょうど依頼人と思われる女性が近づいてくるのが見えた。
「遅くなってすみません。皐月果音と申します。本日はよろしくお願いします」
「僕たちも来たばかりなので大丈夫ですよ。こんな場所で申し訳ないのですが、どうぞ座ってください」
鷲見は果音をレジャーシートの上に誘う。果音は靴を脱ぐと、綺麗に揃えて伊織と鷲見の間に正座し、四人で円になるように向かい合った。
「さっそくですが、皐月さんのお話を伺ってもいいですか?」
「はい。私はニ年前に、能力が発現しました。感情感知です。最初は本当に驚きました。いつも仲良くしていた友達二人の後ろに、突然『影』が見えるようになって」
感情感知、伊織と同じ能力だ。
「洞観者の存在はもちろん知っていました。きっと自分はそれになったのだろうと、とりあえずネットで色々調べたんです。そしたら洞観者の暴走に関する記事も沢山出てきて、とても怖くなりました。もし私が友人たちに危害を加えてしまったらどうしよう、洞観者になったと知られて嫌われたらどうしようって。それからはどうしても不安が拭えなくて、二人とは自分から縁を切りました」
果音は伏し目がちに話を続けていく。
「でも、両親だけには理解を求めてしまったんです。家族仲はそれなりによかったので、きっと大丈夫だろうって勝手に思い込んでいて。……両親に話して最初に言われた言葉は『もう関わらないでくれ』でした」
信じていた人に、裏切られた。いま果音が話していることは伊織の経験に近いものだ。思わず皐月と自分を重ねてしまう。
そして、気持ちが揺らぐ。
(やらかした)
伊織は感情感知の不意発動を起こしてしまった。
浬の後ろには警戒を表すオレンジの影。この状況で何を警戒しているのだろうか。そして、果音の後ろには悲しみを表す青い影が見える。
(鷲見さんの影が見えない?)
他二人の影が見えているように、洞観者同士でも能力は使えるはずだ。なのに、なぜ鷲見は見えない。
「……おい」
横にいる浬に肘で小突かれる。伊織はハッとして能力の使用をやめた。鷲見は完全に果音の話に耳を傾けていて気づいていないようだ。
鷲見に対しての謎が深まる。しかし今はそれを考える時ではない。静かに深呼吸をして心を落ち着かせ、果音の話を聞く。
「それで人を信じられなくなって。その時に『だったらずっと一人で生きればいい』と諦めたつもりだったんですけど……結局、だんだんと辛くなってきました。本当にバカみたい。このままではいけないのに自分ではどうにもならなくて、皆さんに依頼させていただきました」
今まで誰にも相談できなかったのだろう。ひと通り聞いてもらって少し気が楽になったのか、果音は正座を崩して横座りになった。
静かに話を聞いていた鷲見が口を開く。
「なるほど。皐月さん、僕の言いたいことをそのままお話ししても大丈夫ですか?」
「はい」
果音が頷くと、鷲見はゆっくりと話し始める。
「皐月さんは僕たちに依頼してきた理由を『このままではいけないのに、自分ではどうにもならない』と言いましたね。そう思えた時点で、実は皐月さんは確かな一歩を踏みだしています。何もしないのとでは大違いです。そう思ったことも、そこから行動したことも本当に凄い。なので、これで十分……というわけにはいきませんね。僕は、あなたがこれ以上自分を卑下しないようになれたらいいなと思います」
鷲見は微笑む顔を崩すことなく、穏やかに語り掛けている。こうして話すのは、洞観者のことを何よりも想っているであろうこの人だから出来ることだ。きっと伊織と浬の出番はない。大人しく見守ることにする。
「でも今の私は、もう誰と話しても不意発動してしまうんです。この社会ではそれだけで避けられてしまう。誰も私自身を見てくれないでしょう」
果音の言う通り、否観者は洞観者というだけで見る目を変えてくる。本人のことを知ろうともせず。
「そうですね。皐月さんは気揺人なので、余計に悩んでしまっていると思います。でも能力を使わないようにしたいと思ってくれている。僕はそれがとても嬉しいです。少しずつでいいので、まずはあなた自身の考え方から変えられるといいのですが」
「……私はどうすればいいのでしょうか」
俯いていた果音が顔を上げ、鷲見の方を見る。
「ずーっと皐月さんの気持ちを優先してみましょう。無理しないためには、それが一番です。皐月さん、ご両親とはこれからも関わっていきたいですか。お友達は欲しいですか」
「両親とは正直もういいです。娘の私でも、洞観者だと知ったらあんなことを言ってきた人たちです。私が何を言っても、もう聞いてくれないでしょうから」
鷲見は頷き、考えている果音の言葉を急かさず待つ。
「友達は……正直欲しいです。ふと思うことがあるんです。この先、本当にずっと一人で生きていけるのかって」
「そうですね。正直に言ってしまうと、人は本当の本当に一人で生きるというのは不可能です。体調が悪い、精神的につらい。そういう時、必ず孤独を感じるだろうと僕は思っています。自分が何も出来なくなった時に頼れる人がいないと、自力では戻れなくてそのまま追い詰められてしまう。さらにそこから、誰かに『助けて』と言うことができなくなってしまう」
果音を見る鷲見の目はとても優しく、そして温かい。
この人と話した全員が、この人にいつまでも心を委ねたいと思ってしまいそうなほど。
「相手がいたとしても、実は『助けて』と言うのってとても勇気がいるんですけどね。頼れる相手を作るのは、意外と難しいです。これまで人との間に壁を作ってしまっていた皐月さんは、きっと誰かと話すというところから沢山の勇気が必要になるでしょう。ただ、勇気にも限りがあります。『このままではいけない』という気持ちも勿論いいですが、それは自分を焦らせる原因にもなりやすいので、そこからは力をもらうだけにして少しずつ進んでいく。まずは目の前に建てた壁に穴を開けるだけでいいですよ。そして、それを覗くだけ」
鷲見は両手で一つの輪を作って、その穴を片目で覗く。しかし、その横で果音は不安そうに片腕をさすっていた。今の話は彼女にとって、とても難しいことだ。
「私にできるでしょうか」
「僕たちは洞観者なので、否観者と関わる将来を見据えている皐月さんからしたら、相手として例外に当てはまるかもしれませんが……先程言ったように、一度考え方を変えてみましょう。これまで孤独だったあなたがたった今、『人』と話せています。これもまた一歩」
否観者も洞観者も関係ない。
まずは相手を「人」と見る考え方に変える。
鷲見は右手の人差し指を立ててニコッと笑い、果音は目を見開いてその姿を見ている。
少しだけ、彼女の心を動かすことができただろうか。
「……確かにそうですね」
「高い目標をもつのは悪いことではありません。でもまずは自分を大切にして、そっと優しく目標を持ってあげてくださいね」
果音は頬を少しだけ緩めて「分かりました」と頷いた。
***
「みなさん、ありがとうございました」
話を終えて全員が立ち上がると、果音は深く頭を下げた。
「俺たちは何もしてないので」
浬が少しだけ申し訳なさそうにしている。今回は鷲見に全て任せてしまった。伊織も同じ気持ちだ。
「少しは力になれたでしょうか」
「はい。自分を大切にする、進むのは少しずつでいい……ですよね。ずっとどうすればいいか分からなかったんですけど、まず何を優先するべきか分かりました。それに、みなさんと一緒にいる間は不意発動が起きなくて。人と話しているのに……こんなこと滅多にありません」
そう話す果音は、ここに来た時よりも表情がずっと和らいでいるように見える。鷲見も嬉しそうだ。
そんな二人の様子を見て、無事に終われそうだと安堵した時だった。
ヒュンッと何かが横を通り過ぎるような音がいくつか聞こえる。気が付いた鷲見が、即座に声を張り上げた。
「みんな動いて!!!!!」




