第十一話 クラゲ
九月
「海だー!」
海水浴シーズンが終わった九月の海。
子供のようにはしゃいでいる鷲見の後ろで、伊織は目の前の景色に目を奪われていた。
(まじで広いんだな)
当たり前のことだと分かってはいるが、いざ本物を前にするとそれだけで感動するものだ。陽の光でキラキラと輝く海面が眩しい。目を閉じれば、波の音が雑念を払ってくれる。とても心地の良い空間だ。
依頼で来たのに何故こうしているかというと、待ち合わせまでまだ時間があるので海を見ながら昼食を食べたいという鷲見の要望からだ。
周りに人もいないので、三人で石の階段に座らせてもらう。
「二人ともおにぎり派だよね」
「京斗さんのパン屋巡りに付き合ったときに、一生分食べました」
「俺は単純に米が好きです」
それぞれコンビニで買ってきたおにぎりやパンを食べ始める。伊織はおにぎり二つと、ホットスナックの唐揚げを買った。
「それにしても、伊織が梅干しダメとはねー」
「酸っぱかったり甘かったり、逆にあんな謎なものをよく食べられますね」
「好き嫌いダサいぞ」
「浬、お前がラーメンのネギ避けてんの知ってるからな?」
シェアハウスに来て三か月。二人とは随分打ち解けて、浬とはいわゆる「喧嘩するほど仲がいい」関係になってきた。
「わあ! ちょっと!」
伊織と浬が睨み合っているところに、突然鷲見の悲鳴が聞こえる。何事かと思うと、鷲見が鳶にパンを狙われていた。
「鷲が鳶に襲われてる」
「縄張り争いか?」
動じずに冗談を言う浬。
鷲見がこちらに助けを求めてくるが、普段散々振り回されてる二人は、ここぞとばかりに放っておくことにした。
***
「……散々な目にあった」
怪我はなかったが、代わりにパンが犠牲になった。鷲見はがっくりと肩を落としている。
鳶に襲われたことがショックだったのか、パンを失ったのが悲しいのか、はたまた誰も助けようとしなかったことに傷ついたのか。
「もう僕、海入ってこようかな」
「え⁉︎」
「は⁉︎」
また急にこの人はとんでもないことを言いだした。こっちは固まって口も閉じられない。
入るもなにも、水着なんて持ってきていない。そもそも海水浴の時期ではない。
「足だけだよ?」
「ならそう言ってください!」
いくらなんでも言葉が足りなさすぎだ。
伊織と浬は二人して頭を抱える。
「じゃ、行ってくるから!」
それだけ言って、本当に波打ち際の方に走って行ってしまった。こうなったらもう止められない。
「京斗さーん、クラゲ多い時期なので気を付けてくださいねー」
「わかったー!」
鷲見はズボンの裾を捲り、浬の忠告に手を振って答えた。
「浬、俺たちはどうす——」
「行かない」
予想通りの返答だ。聞きはしたが、伊織も入るつもりはないので鷲見の気が済むまで待つことにする。
数分経ったところで、鷲見がこちらに向かって手招きしてきた。二人が向かうと、小走りで海からあがってくる。
「どうしました?」
「その……クラゲに刺されたっぽくてね」
「えっと?」
「ごめんなさい」
何かを言われるより先に鷲見が謝る。二人は再び頭を抱えた。その様子はまるで親子だ。
「クラゲって刺されたらどうするんでしたっけ」
三人同時にスマホを取り出す。この時代はネットが最強だ。
「——あの」
誰かに声を掛けられて顔を上げると、二十代くらいの女性が近くに立っていた。
「突然すみません。そこの道を歩いてたんですけど、みなさんが何か困っているように見えたので……」
「ああ、この人がクラゲに刺されたんです」
浬が鷲見のことを親指でちょんちょんと指さす。
「そういうことでしたら、よければお手伝いしますよ。座って見せていただいてもいいですか」
「助かります」
女性は鷲見に近づいて、刺された左足首を触る。
「どなたか、水をかけてくれませんか? 触手が中々取れなくて」
女性に頼まれ、伊織が元居た場所に置いてあったペットボトルの水を持って来て鷲見の足にかけようとする。
「真水は駄目です。悪化します」
「わあ」
「のんきな声出してる場合じゃないですよ京斗さん」
そんな二人のやり取りを横目に、伊織はペットボトルの中身を捨てて汲んだ海水を改めて足にかける。
「触手って……あなたも触ってますけど大丈夫なんですか?」
「指の腹で掴むようにしたら皮膚が厚いのでまず大丈夫です。これ、あてておいて下さい。買ったばかりなのでまだ冷たいと思います。温めるのはここでは無理なので、とりあえず冷やしましょう」
触手を取り除くと、女性は小さい水のペットボトルを鷲見に差し出した。
「分かりました。ありがとうございます」
「温めてもいいんですか? それに、クラゲに刺されたらお酢をかけるとかもよく聞きますけど」
しゃがみながら浬が聞く。
「温めても大丈夫です。海外では、温めるのを推奨している国もあります。お酢はクラゲの種類によっては悪化するので、何に刺されたか分からない状態で使うのはおすすめできないですね」
「……詳しいんですね」
ひと通り処置を終えたのか、女性は立ち上がって鞄をを肩にかける。
「クラゲに刺されたのは初めてですか?」
「はい、初めてです」
「初めてなら緊急性はあまり無いですが、念のため様子を見てくださいね。すみません、待ち合わせの時間があるので私はここで失礼します」
「本当にありがとうございました」
三人がお礼をすると、女性は来た方向へ歩き出す。ところが、その背中に突然鷲見が声を掛けた。
「……天谷さん?」
「え?」




