第28話:聖女様、フェンリルの「神気」に当てられて気絶する
「……汚らわしい」
聖女エレナは、地面に降り立つなり、ハンカチで鼻を覆った。
彼女の視線の先には、犬小屋から出てきたシロ(フェンリル)がいる。
「巨大な体躯に、魔力を帯びた銀の毛並み……。間違いありません。古文書にある『災厄の魔狼』。存在そのものが世界への冒涜です」
エレナは芝居がかった仕草で杖を天に掲げた。
「神よ! 哀れな子羊たちを惑わすこの獣に、裁きの鉄槌を!」
杖の先端に、太陽のような輝きが収束していく。
さっきの洗濯機に向けた魔法とは桁が違う。本気だ。
「おい、やめとけって。シロはただの犬じゃ――」
「黙りなさい異端者! まずはこの魔獣を浄化し、その後に貴様を尋問します! 食らいなさい! 神聖なる断罪!」
カッ!!
視界が真っ白に染まるほどの閃光。
極太の熱線が、シロの眉間に向けて放たれた。直撃すれば岩山さえ蒸発する、聖教国最強の浄化魔法だ。
――ジュッ。
軽い音がした。
光が収まった後、そこには平然と座っているシロの姿があった。
唯一の変化といえば、眉間の毛が少し焦げて、チリチリ煙が出ているくらいだ。
「……は?」
エレナの動きが止まった。
「な、なぜ……? 悪魔ならば、今の聖なる光で塵になっているはず……。なぜ生きているのです!?」
「ワフゥ……(あー、びっくりした)」
シロは前足で焦げた眉間をポリポリとかいた。
そして、鬱陶しそうにエレナを見上げた。
「ワフッ(おい、眩しいぞ人間)」
シロが軽く吠えた。
ただの一吠えだ。
だが、それはフェンリルという種族が持つ、本能的な覇気――『神気』を纏っていた。
――ドォォォォォォォン!!!
物理的な衝撃波ではない。
純粋な神聖さの質量攻撃だ。
フェンリルは元来、神話において神々と戦い、あるいは神の座に並ぶとされる最高位の幻想種。
その魂の格は、人間の聖女ごときが束になっても敵わない、本物の神性を帯びている。
「あ……あぁ……っ!?」
エレナの瞳が見開かれた。
彼女の張っていた魔法防御障壁が、ガラスのように砕け散る。
そして、シロから放たれる圧倒的に純粋で、強大で、根源的な光が、彼女のちっぽけな信仰心を塗り潰した。
「ま、眩しい……! なんだこの光は……! これが……魔獣? 嘘だ……まるで、神そのもののような……!」
エレナの脳内で、今まで信じてきた「教会の教義」が音を立てて崩壊していく。
悪魔だと思っていた存在が、自分よりも遥かに神聖だったという絶望的な事実。
キャパシティオーバーだ。
「あ、あへぇ……♡ 神々しい……尊い……無理ぃ……♡」
エレナの目が白黒と反転した。
彼女は膝から崩れ落ち、口から魂のような白い煙を吐き出して、地面に突っ伏した。
完全に気絶している。いや、あまりの格の違いに、精神が浄化されすぎてショートしたのだ。
「……あーあ」
俺は頭を抱えた。
「だからやめとけって言ったのに。シロはそこらの悪魔なんかより、よっぽど神に近い存在なんだぞ」
空に浮かぶ飛空艇の異端審問官たちが、パニックに陥っていた。
『せ、聖女様がやられたぞ!』
『あの鳴き声で!?』
『バカな、悪魔の力じゃない! あれは聖なる波動だったぞ!』
『あの犬、何者なんだ!?』
俺のタブレットには、この一部始終を見ていた視聴者からのコメントが爆速で流れていた。
『聖女(偽物) vs 神獣(本物)』
『格付け完了』
『浄化しに来て逆に浄化される聖女www』
『「あへぇ」って言ったぞ今』
『シロちゃん、ただ吠えただけなのに』
『教会認定の悪魔 <<<< おっさんの飼い犬』
『これ、教会のメンツ丸潰れだな』
「おい、そこの白装束たち!」
俺は空に向かって声を張り上げた。
重力魔法で拡声しているので、飛空艇までバッチリ聞こえるはずだ。
「この聖女様、粗大ごみに出すわけにもいかないし、さっさと回収してくれ」
「ヒィッ! お、覚えていろ異端者めぇぇぇッ!!」
飛空艇から縄梯子が下りてきて、白目を剥いたエレナを釣り上げると、彼らは脱兎のごとく逃げ去っていった。
捨て台詞が昭和の悪役みたいだったな。
「やれやれ。これで懲りてくれればいいんだが」
俺は再び洗濯物を干し始めた。
だが、シロの神気に当てられたのは聖女だけではなかった。
「お、おじ様……今のシロちゃん、素敵すぎましたわ……!」
「わたくしも……あんな神々しいお姿、初めて見ました……!」
ローズとアイリス王女が、シロの前で正座をして手を合わせて拝んでいた。
シロは「なんだこいつら」という顔で、再び犬小屋に入って昼寝を再開した。
こうして、教会の尖兵は撃退された。
しかし、プライドの高い宗教国家が、この屈辱を黙って飲み込むはずがなかった。
――数時間後。聖教国、本山。
「……聖女エレナが敗れただと?」
豪華な法衣をまとった老人――教皇が、報告を聞いて震えていた。
手元の杖をへし折らんばかりの握力だ。
「たかが辺境の魔獣一匹に、我らが教義が否定されたと言うのか! 許さん……断じて許さんぞ!」
教皇の目が狂気に染まる。
「もはや浄化など生ぬるい。神罰だ。古代より伝わる禁断の戦略魔導兵器『天の雷』を起動せよ!」
「へ、陛下!? あれを使えば、あの地方一帯が地図から消滅しますぞ!?」
「構わん! 教会の権威を守るためだ! あの忌々しいダンジョンごと、塵一つ残さず焼き尽くしてやる!」
聖なる狂気が、空からの破壊を招こうとしていた。




