第四十五話 目覚め
「…………。」
保健室のとある一角にあるベッドで、とある少女が目を開け、体を起こした。
「ここ……は。」
腰まで伸びた白髪が蛍光灯からの光を反射する。
「あれ………私、何を……。」
右手を額右下に置き、思考を巡らせた。しかし答えは出なかった。少女は周りが桃色の布で覆われていることに気づいた。
「…………。」
近くにあったそれを開けようと手を出したその時、何やら2人の女性の声がする。
「へ〜、治さんにそんなことが。」
声的に子供の声だろうか。少女と同じくらいの年代の声だ。
「そうなんだよね。ホント……あれは困ったよ。」
次に聞こえてきたのは大人の女性の声だった。何やら二人は話をしているらしい。コロコロと何かが回る音も聞こえてきた。
「じゃあ、花はここで少し待っててくれないか。」
その音が止み、コツコツと音を立てて少女のいる方へと近づいてくる。
「はい、分かりました。」
大人しい優しめの声が少女の耳に届く。少女が腕を止めている間にも段々と音は近くなってくる。
「…………。」
それに警戒したのか手を引っ込め音から距離を取るようにして少し離れた。その瞬間、桃色の布がシャ!という音を立てて開かれた。
それに驚いたのか目をギュッと閉じる。
「……嘘、起きてる。」
治はその光景に目を見開き、固まる。少女が恐る恐る目を開けるとそこには白衣をまとった大人の女性がいた。
「その目………。」
治は動揺を隠すようにして少女の目をじっと見る。
「えっと………なん、でしょうか。」
少女の真紅の目が治を刺す。
「うちの学校にもいるけど……珍しいな。」
「しかも、起きてるわけないと思ってカーテン開けたら……まさか起きてるとは。」
治は小さくそう独り言を呟いた。
「あの………。」
少女は勇気を出して問う。
「あ、ごめん。悪かったね。私は治、保健室の先生をしてる先生さ。」
少しだけ頬を緩め、目を見返した。
「それで、とある馬鹿が君をここに運んだんだけど………何があったの?」
治はトワの言っていたことを思い出す。
「…………。」
少女は視線を落とし、黙る。その様子に疑問を持ったのか治は訊いた。
「何か言いづらいことなのかい?」
「…………。」
しかし少女は目線を上げようとしない。時々チラッと治の方を見ているがそれだけだ。少女は何故か頷き、顔を上げた。
「その……分かんないんです。」
その言葉の意味を理解できず治の頭にははてなマークが浮かぶ。
「……何が?」
「全部、です…………。」
それに先程よりも目を見開く。
「一応聞くけど……名前は?出身地は?」
更に聞きたいことがあったがひとまずは二つだけで済ます。
「分かりません………。」
少女は申し訳なさそうに声を小さくした。
「……マジか。記憶喪失とは。」
う〜んと治は唸る。
「それはかなり深刻だ。何も知らないとなると…こっちも扱いに困るんだよね。」
治は視線を動かし、少女の全身をくまなく見る。
「服の上からじゃ何もわからない………。ねぇ、ちょっとだけ服脱げる?」
その言葉に少女は少し困惑した。
「服……ですか?」
流石に躊躇いがあるようだ。
「そうそう。あ、変な意味じゃないよ?何か身体にそのヒントでもあれば良いな〜っていうだけだから。もしかしたら傷跡とか手術跡で身元も分かるかもしれないし。」
しかしそれでも少女の疑念は晴れない。
「あ、嫌なら大丈夫だからね?」
治がそう付け加えると少女は意を決したように治の目を見つめた。
「……分かりました。」
そう言い終わったあと、すぐに上着の裾に手をかけ、上に持っていた。
「…………。」
治は肌をさらした少女の体をまじまじと見る。そして、少女の体を観察すること数分、ふぅ、と息を吐いた。
「ごめんね、ありがとう。もう大丈夫。」
少女は上着を着直す。
「それで……どうでしたか?」
恐る恐る顔色をうかがう。
「結果から言えば………何もなかった。ごく健全な女の子の体って感じ。傷も、ヒントになるものも何もなかった。」
「…………。」
不安で顔を俯かせ、膝においてあった手を強く握る。
「でも、記憶喪失ならもしかしたら途中で何か思い出すかもしれないし、少なからず絶望する必要はないと思うよ。」
少女を見つめ、柔らかい笑みを浮かべた。
「そう……ですか。」
俯かせていた顔を少し上げる。
「うん、そうですよね。」
少女は何かを受け入れたのか、うんと頷き、顔を上げて治を見た。
「…なんだ、意外に立ち直るのが早いんだね。」
ほんのわずか驚いたが、すぐに頬を緩める。
「はい、メソメソしてられませんから。」
引きずらないと決めたのか、ちょっと前までの雰囲気とは全くの別物となっていた。
「いい心意気だ。」
治は言った。少し近くでは花が頭にハテナマークを浮かべている。
「立てるかい?」
ゆっくりと手を差し伸べる。
「少しなら……。」
その手を取ってベッドから降り、床に足をつけた。
少女が辺りを見回すと、車椅子に座った一人の女の子がいる。
「……あなたは?」
その女の子、花の目を見つめた。
「えっと……私は小森花。あなたは?」
少し困ったように笑った。
「私は………。」
言いかけたその時。
「この子は記憶喪失なんだ。」
花はその言葉に少し驚いた表情をする。
「そう…なんだ。」
申し訳なさそうに声が小さくなった。
「うん。」
だが少女は特に気にもとめてないようだ。
「ならさ、名前…つけようよ。」
花は少女の目を見て微笑む。
「…え?」
まさかの申し出に、少女は目をパチパチさせる。
「そうとなれば………う〜ん。何がいいかなぁ。」
花は頭を唸らせ、考え始めた。しかし、すぐに思いついたのか顔をぱあっと輝かせてウキウキで口を開く。
「マシロ!マシロなんてどうかな!」
まるで身を乗り出す勢いだ。
「……なんでマシロなの?」
ふと疑問が頭をよぎる。
「それは、結構安直なんだけど………髪が真っ白だから、かな。」
あはは、と申し訳なさそうに笑った。
「マシロ………マシロ……マシロ。」
そう何度も頭で反芻する。
「……うん、マシロ。しっくりくる。」
「ほんと!?」
あまりの嬉しさに本当に身を乗り出してしまい、体勢を崩す。
「危ない!」
なんとか間一髪で少女が体を受け止め、車椅子へと戻した。
「……ご、ごめんね。」
花は顔をションボリとさせた。
「大丈夫だよ。気にしないで。」
今度は少女が微笑んだ。
「……ありがとう。」
花は困ったように、それでも嬉しそうに笑った。
「あ、そうだ。自己紹介してなかったね。」
少女は曲げていた膝を直し、立ち上がった。
「……?」
花はどういう事が分かっていないらしい。
「私の名前は……小森マシロ。よろしくね!」
その言葉に花は驚くが、すぐに笑みが堪えきれなくなる。
「……うん!よろしくね…!」
花は目を輝かせる。その笑みは曇一つない、あまりにも眩しすぎる笑みだった。
◆
「……ふふ。」
少し離れた場所で治はその光景を見ていた。
「……よかったね。マシロ。」
誰に聞こえないくらいの小さな声でそう呟く。
その呟きは、空気中に拡散してすぐに消えた。




