第四十四話 赤目
「!!!!」
あまりの抑揚のなさ、冷たさに男は背筋が凍る様な錯覚に見舞われた。自然と刀を構えていた。
「…………。」
トワは無言で男の目を見ながらゆっくり歩く。その赤い目が男を逃さないと見せつけるように捉えていた。
グッと男の刀を握る手に力がこもる。それは無意識での事だった。
―なんだ、この男。怒りがない?いやこれは……殺気か…!
男から数メートル先で止まったトワ。
「…………。」
腰からナイフを引き抜き、銀色の刀身が光を反射する。しばらく互いに膠着状態が続く。片や男はトワの攻撃を警戒し、片やトワは何の動きも見せない。
次の瞬間、トワが視界から消える。
「は?」
何処に消えた、そう考えている時間はなかった。気づけばナイフの切っ先が男へと向いていた。
それを間一髪で刀を割り込む事で防ぎ、金属の甲高い音が校庭に響く。刀で受け止めた瞬間、凄まじい衝撃が体へと巡り男の体は数メートル後方へと吹き飛ばされた。一回バウンドしたがニ回目で受け身を取る事ができた。
―どういうことだ!何が起こった!
男の視界の先にはトワがおり、腰を屈めていた。そして思いっきり地を蹴り地面が抉れる。とてつもなく速いスピードで距離を詰めたがそれをやすやすと受け入れる男ではなかった。
今度は体勢を立て直して刀で再び防ぎ、鍔迫り合いになる。しかし、戦闘経験だと男があまりにもアドバンテージがあった。
「……っ!」
男はトワのナイフを滑り込ませるようにして弾き、最小限の動きで突きの構えを取る。男の視線からだとトワの顔は前髪に隠れて目を見ることはできない。
ナイフが宙を舞い地面に刺さる。その隙を見逃さず一点に力を込めて突きを放った。
「がっ!!!」
だが、次に視界に入れたのはトワの血飛沫ではなく己の腹にトワの拳がめり込んでいる姿だった。再び衝撃が走り男は数メートルどころから十メートルは後方に飛ばされる。
ゴッ!と鳴ってはいけない音を鳴らし、地面に叩きつけられた衝撃で砂ぼこりが舞い髪が靡く。それをなんとか受け身を取り、刀を松葉杖代わりに膝を付いた状態で血を吐き出した。
「がっ………ふっ………うっ。」
トワに殴られたお腹が悲鳴を上げている。軽く肋が二本は砕けていてもおかしくはない痛みだった。目線の先には血溜まりがあり、己の顔がよく見える。
だがそんなに悠長に来ている時間はない。男はそれを堪え少しふらつきながらも立ち上がる。
「………。」
すると視界には地面に刺さったナイフを引き抜くトワの姿があった。
―まともに殺りあってもこちらが力で押される。……ならば。
再び刀を握るが、先ほどの力を込めたものではなく、できるだけ力を抜いて構えた。
トワが男の方へと顔を向けた。
「…………。」
トワの目は冷え切っていた。その呟きが男に聞こえたのかは分からないが物音の一切をさせなくした。
聞こえてくるのは少しの風とトワが男に近づいてくる足音だけだった。
そして、トワは再び足を踏み込み力を一点に集中させる。
―やはり、早い………!
音速の如き速度で詰め寄るトワ。手にはナイフがとてつもない力で握られているのか、ナイフを握る手の筋が浮き上がる。
ナイフを刀で受ける寸前、手首を内側にひねり、刃が外を向いた。すると再びナイフによる衝撃が刀に伝わる。
しかし、少しずつ外側に押しながら滑り込ませることによって完全に受け流すことができた。
受け流されたナイフが腕ともに宙を舞い、そのまま斬りつけようと袈裟斬りにした。
「逃げられたか………。」
空を斬った刀の刃先が地面の砂についていた。
「……危なかった。」
少しばかり冷や汗をかいたトワは初めて男に対して構えを取る。
「だが、やはりな。お前の力は強大だが……真っ直ぐ過ぎる。あれでは猪の突進と変わらん。」
男は刃先を砂から離し、トワを見つめた。
「受け流し………。」
少し苛立つように言葉に棘が乗る。しかしトワも怒りに身を任せて突進するほど馬鹿ではなかった。
今度は男の出方をうかがう。男はトワが来ないのを理解し、腰を小さく落とした。
そして踏み込む。トワほどの速さはないが、それでもかなり速い部類だろう。刀の刃を地面に向け、力任せに振るのではなく脱力して上に斬り上げた。
次の瞬間、ガキン!とナイフの刃と刀の刃がぶつかり合う。トワの腕にはナイフを伝い、腕に衝撃がやってくるが男は特にそんな様子はなかった。
しかしそれだけでは刀の斬り上げは止まらなかった。
―滑り込ませて……!
シャン!という音を立てながら刃先が天に向く。その途中でトワの服が少し切れ、掠ったのかお腹に赤い血が滲み出た。
トワは一度後ろへ下がり、すぐさま踏み込み直して再びナイフを構えて横に薙いだ。
「見切った。」
男はその刃を受けるのではなく下に身体を低くして避ける。
すると男が横薙ぎで刀を振るう。トワの視界に映り込んだのは刀身の残像が己のすぐを通った所だった。
「くっ……!!」
それも掠ったのかお腹に二本目の血が滲み出す。間一髪で避けれたが少しでも遅かったら胴と足が泣き別れになる所だった。
―所詮は素人か。
男はトワの行動を見て確信した。しかし、やられっぱなしのトワではない。ナイフを構え斬りつけるのではなく突きを選んだ。
一歩右足を踏み込み、地面がえぐれる。その速さはついさっきよりも速かった。
「そう来るか。」
少し目を細め、体を半歩ズラす。だが次の瞬間、パッと空に少量の赤が舞う。
「…………なっ。」
男の顔には驚きがあった。ゆっくりと頬に手を伸ばすと血が付着する。さっきの攻撃で切傷ができていたのだ。
―避けられなかった?さっきので見切ったと思っていたが………軌道を変えたか。
先程までの評価を改め、男は警戒を強める。
―直前でフェイントを入れてもあれか。認めたくないが、今の俺じゃアイツに勝てない……か。
男とは反対のトワは手応えのなさに思案していた。
―いや……これなら…!
何か案でも思いついたのか、僅かに目を見開く。
トワのその様子に男は刀を握る力が強くなる。
―でも、そう簡単にはさせてくれないよな。
トワの眼光が強くなった。
―次は何が来る……。
男はトワの構えを見る。辺りに静寂と風音だけが耳から聞こえてきた。
「………!!」
トワは地面を真っ直ぐに押し出すようにして一歩踏み出し、先程と同じような速度で男にナイフを袈裟斬りをするように振り上げる。
「結局は猪か……。」
がっかりするように目を伏せ、トワのナイフを受けるように脱力した。
「………なんてね。」
「………笑止。」
次の瞬間ナイフが軌道を変え、袈裟斬りから横薙ぎになるように構えが変化する。
―受けれる。
本当に先程までと変わらないと二度肩透かしを食らった気分になり、呆れた。
―でも、なんだこの違和感は。殺気が俺に向いていない…?
そんな状況でも、トワはニヤリと笑みを浮かべていた。
―まさか!!
しかし、理解したときには遅かった。
「もらった……。」
トワのナイフの刃は男に向かず、その刀の側面へと思いっきり薙ぐ。
「なっ!!」
当たった瞬間ガキン!!と音を立てて刀の刀身が真っ二つに叩き折られる。あまりの出来事に男は目を瞠目させて声を上げた。
呆気にとられている僅か0.何秒。だが、トワにはそれだけで十分だった。体制を立て直すため、男に渾身の蹴りをお見舞いする。
「がっ…!」
狙い通り数メートル先まで吹き飛ぶが今回はゆっくり歩かず距離を一気に詰めた。
あまりの蹴りの威力に男の視界が一度真っ白になる。
ホワイトアウトから戻ってきた時には、視界には既にナイフを振り上げたトワの姿あった。
「…………。」
次の瞬きには、自分自身の血飛沫が目地に舞っていた。
◆
―そうか……斬られたのか。
その事実に男はフッと頬を緩める。トワは血のついたナイフを振り下ろしたまま固まっていた。
―おかしなものだ。人の子に斬られたはずなのに、こうも………。
湧き上がってくる気持ちに男は困惑を隠せないでいた。
「…………。」
トワはゆっくりと体をもとに戻し、男の目を見る。
「言い残すことは。」
塵になりつつある男に対してトワは言い放った。
「ない。」
そう断言し、そっと目を閉じる。ナイフについた血も塵になりつつあった。
「………そうか。」
トワはその場を去らなかった。
そして、段々と崩れ行く体を止めもせずに男は完全な塵となって、空を舞った。




