第四十三話 意地
「……………。」
太郎は目を見開いてその男を見ていた。いや、見ていたのではなくその血に濡れた刀から目が離せなかった。
「…人数が多い。面倒だな。」
ボソッと呟くように男はさっと周りを見た。
「…………!」
それを聞いてしまった近くにいた人々は全員血相を変える。
「う、うわぁ!!!」
大声を出し急いで男から逃げるようにして人を押しのけ我先へと壁側に寄る。一人ではなく、近くにいた人々全員だった。
そのさなかに近くからキャ!と声がした。反射でそちらに振り返るとユキが倒れていた。
どうやら壁へと寄ろうとした人に体を押されて倒れたようだった。
「ユキちゃん!大丈夫!?」
太郎は少し震える手でユキに差し伸べる。
「……うるさいな。さっさと殺すか。」
これからやろうとしていることとは裏腹に声はあまりにも平坦だった。感情を失った様なわけではなく、純粋に興味がないのだろう。
男はゆっくりとした足取りでまっすぐ歩いてくる。
「……………。」
ユキは太郎の声を聞いてなお、動けずにいた。体が小刻みに震えている。ユキの視線は太郎ではなく太郎の少し先を見ていた。
「ど、どうしたの?」
手を差し伸べながら困惑している太郎。
「ねぇ、どうしたの………って。」
すると、太郎の視界に影が映り込む。それは一部ではなく全体にだ。
「……………。」
それに気づいた瞬間、まるで全身に鉄の塊を背負っているように体が動かなくなる。
顔中から冷や汗が止まらない。手の震えはだんだんと大きくなり、息をするのも億劫になる。ドクドクと鼓動だけがやけに大きく聞こえてきた。
周りでは太郎とユキを避けて一斉に出口に向かっている人々がユキから見えるが、今はそれどころではない。それを横目で確認した男は懐から石を取り出し人々に対して投げつける。
普通ならば石が当たれば痛いで済むが問題なのはその速さだった。弾丸と見間違う速度で逃げようとする人達に向かい、当たる。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」
その石にほとんどの人が当たってしまい叫び声を上げながらバタバタと倒れた。頭、胴体から出た血で血溜まりができる。
特に感情を顔に出すこともなく男は目線を戻した。
「…………。」
男は何も言わず刀を太郎へと構えた。
「………避けて!」
恐怖に支配されている思考の中でもなんとか声絞り出す。
「……!」
その言葉に太郎は体を斜めに放り出した。その瞬間、風切り音がすぐ近くで聞こえた。ユキは恐怖で固まっていた体を無理やり動かし逃げたようだ。
「がっ!!」
勢いよく放り出したせいか勢いが強く、胸を強打するように体育館の床に倒れる。
「…………。」
男は空振りをしたことに少し驚きつつも既に次を構えていた。
すぐさまうつ伏せになっていた体を仰向けにする。
太郎の視界には緩やかに流れる刀身の波紋と光で反射した己の顔が映る。
しかし、ゆっくりしている時間はなく刀を上に少しだけ上げた。
次に来る攻撃を予測したのか焦っている顔で体を横に転がす。
次に聞こえてきたのはシャン!という風切り音。視界の端には、刃が通った体育館の床があった。
太郎は急いで体を起こし、目を背けないでその男と距離をとった。
「……………。」
するとその瞬間、太郎の顔からはダラダラと冷や汗が流れてきた。再びその刃へと目線を向けるとユラユラと揺れる波紋、その銀の刃に濡れる赤黒い血が滴る。
出来るだけ男を視界から外さない程度に周りを見た。
そこには逃げ惑う人々でできた死体の防堤できていた。
「ヒュッ…………。」
それを見てしまった太郎は呼吸が乱れ、顔面蒼白になった。
しかし、だからといって体を固まらせると自分が死んでしまうので気を取り直し、周りを見渡す。だが、武器になりそうなものは全くと言っていいほど見当たらない。何度も必死に探すが見つからない。
―ど、どうしよう……。せめて鉄パイプでもあれば抵抗の一つやニつできたのに……。
それに合わせ、状況も地理的不利すらあった。武器を持たない太郎に対して男は刀、太郎はステージ側で外に逃げるのは難しい。
―……そうだステージだ……!ステージには何かしらの椅子やらテーブルやらがあるはず……。それを投げつけて少しでも時間を稼ぐ…!
その間も男はゆっくりと歩いて太郎に向かってきている。
「やるしかない……。」
太郎はそう誰にも聞こえない程の声量で呟いた。
意を決して男から目を背け背中を晒す。全力でステージまで走しる。それに男は少しだけ目を見張り、太郎を斬らんと刀を構えて走る。
手を使って一メートルある段差を飛んだ。その次の瞬間、再びシャン!と風切り音と木の切れる音が体育館に響いた。
「………!」
太郎の足の表面層を斬る。その一筋からは赤が垂れるた。
―あ、あぶなかった!
太郎は恐怖で竦む足を動かし近くにあった椅子を男に投げつけた。
「…………。」
だが男はそれを半歩足をズラす事で難なく避けた。
「……あああ!!」
近くにあった椅子を掴み、半ば無我夢中で男へ投げつけた。
しかし、その攻撃は刀を一振するだけで真っ二つに斬られてしまった。
―今だ!
太郎は竦む足を無理やり動かし体育館横にある小さい出口から体を投げた。それと同時に後ろからは空を斬った音がやってくる。
「外したか。」
男は特に焦ることもなく冷静にそう判断した。
体が宙に舞い、地面のコンクリートへと衝撃を相殺しきれずモロに受ける。
「がっ……!!」
体が痛みを訴えているがそんなものに構っている暇なんてものは存在しなかった。急いで武器となるものを探しに足を動かす。
「………。」
その様子を後ろから見ていた男は近くに十数人いることを確認し、目にも留まらぬ速度で斜めに刀を振り下ろした。
走っていた太郎は部室の扉を無理やりタックルでこじ開ける。中にある金属製の棒が付いている床の水気を取るワイパーを手に取った。
そうしているうちにも十人が斬られ、首をはねられる。だが太郎もゆっくりしているわけではなく、最大限急いで戻った。そこには死体がニ十体程度転がっていた。
男は太郎に向き直り、再びその血に濡れた刀を目撃した。今だ恐怖は拭えないが、それでも太郎はワイパーを構える。その様子に男も少しだけを目を見開いて驚きを見せた。
しかし、それは太郎には決して見えるものではなかった。
「…………。」
今だ血に濡れた刀から恐怖は拭うことはできないが、それでも抗おうとしてみせた。ワイパーを握る手は震えている。太郎は一歩も退かなかった。
「人にしては……覚悟のある……。」
男は多少なりとも感心はしたが、その空気はすぐに消え去ることになる。これまで、虫を殺す感覚で殺っていた男から本物の殺気というものが激しく感じられた。
「!!!!」
背中にゾクリとする冷たいものが走る。しかし、恐れて足を後ろに下げたらそれは相手からしてみれば自分じゃ相手に敵わないと言っているようなものだ。
「なぁ……1つ、提案があるんだ。」
太郎はとあることを思いつき、恐る恐るそれを口にする。
「……聞こう。」
数秒の間を経て男から、殺気が薄くなった。その声には裏切りでもするつもりか、と言いたくなるような呆れが混ざっていた。
だが、刀は仕舞わない。鞘に収めていないということは少なからず警戒はしているということでもあった。
「僕とお前で……一騎打ちをさせてくれ。僕が……死ぬまでは他の奴には手を出すな………。」
ワイパーを握っていた手の震えが一層強くなる。
「……………。」
数秒程度考え、口を開く。
「いいだろう。その提案、しかと受け入れる。」
「…!!」
まさか受け入れるとは思っておらず、衝撃を受けた顔を晒した。
「場所は?」
男は太郎の目を見据えながら訊いた。
「……外だ。」
そう言った瞬間男はくるりと身を翻し、草履が音を立てながら遠ざかっていく。その後に続いて太郎もついていく。
外に出れば少しばかり風が吹き、頬を撫でる。二人は階段を降りて校庭の砂を踏む。少し歩くと男は止まり太郎へと振り返った。
「……構えろ。」
男は再び殺気を膨れ上がらせ、中段の構えを行う。
―馬がないというのは、やはり少しばかり違和感があるな。
刀身が太陽光を反射し、所々輝く。その様子に太郎はゴクリと息を呑んだ。
「………ふぅ。」
どうにかして心を落ち着かせる。しかし、そう簡単に凪ぐことはない。
すると二人は全く動かなくなり、辺りには静寂が広がる。男は一度目を閉じ、そしてゆっくり開いた。その瞬間、男は地を蹴る。
「……ぐっ!!」
太郎がそれを感じ取れたのは目の前に刃が来てからだった。なんとかワイパーの棒部分を斜めにしてそれを受け止める。
が、しかし。男と太郎では筋力の差は歴然だった。それを相殺しきれず太郎の体は後ろへと飛び、3回転がった。
―痛…い。痛い、痛い!
体が悲鳴を上げているが、それにかまっている暇はない。次の攻撃が来ることを予感し、ワイパーを構えた。
次の瞬間、再び金属同士がぶつかる音をだしながら太郎の体は地面に何回かバウンドする。
―駄目……だ。体が、追いつかない!
痛む体を起こし、太郎ら立ち上がる。男は何故か追撃せずに見ていた。
「戦の経験もない小僧が……そこまでするか。」
それは驚きに近い声だった。だが、この2回の攻撃で太郎の腕はボロボロだ。衝撃のせいで手の震えが収まらず握りが甘くなっている。
それからの戦いは、いや、戦いと呼べるものではなかった。ひたすらの蹂躙。太郎が防ぎ、だが衝撃が腕に伝わり防げば防ぐほど不利になっていく。体力も尽きかけており、避けられない攻撃が増えたことで体には無数に傷が増えた。
「はぁ……はぁ。」
頬についた一筋の赤を拭い、震えた腕がワイパーを構えた。
「…まだやるか。」
それでもしぶとく立ち上がる太郎に男は驚きを隠せないでいた。
「僕が……負けたら……他の人が……死ぬ!」
ひたすら打ちのめされたのに、太郎の心は決して折れていなかった。痛みで叫びたい気持ちをグッと飲み込み、恐怖と衝撃で壊れた腕がワイパーを持つ。足も震えていた。
すでにワイパーも限界であり、いつ壊れてもおかしくない。
「………左様か。」
男はこれまでと比べ物にならないくらいに殺気を込める。本気で殺しにくるようだ。
「ならば、一撃で。」
次の瞬間男の姿が消え、気づいた頃には肩に斜め左下を斬るようにして刃が触れていた。
―あ。
太郎も死を覚悟し、目を閉じる。そしてその刃は振り下ろされ、砂ぼこりが舞う。
「!!!」
男は違和感に気づき、すぐさま刀で砂ぼこりを両断した。そこにいたのは太郎を抱いている、とある黒髪の少年の姿と、とある少女だった。
「……大丈夫か、太郎。」
その少年、トワは優しく太郎に話しかけた。その様子に太郎は我慢できなくなり、ボロボロと涙がこぼれる。
「トワ君……!僕、人を死なせちゃった…………。」
後悔するように、縋るようにトワの目を見た。
「……………。」
一瞬、トワは黙り込んだ。それを少女、サキが聞いている。
「僕……目の前にいたのに…動けたかもしれないのに……助けられなかった………!」
無意識にトワの服を強く掴んでいた。
「そうか………辛かったな。だからさ、あとは俺に任せてくれ。」
その言葉に安心したのか太郎の目元からは更に涙が溢れる。
「……うん!」
そう言ってから太郎の体から力が抜けた。どうやら寝たようだ。
「……………。」
トワは一度少し顔を俯かせ、言葉を放った。
「サキ……太郎を頼む。」
それを聞いたサキは体を固くしながらトワに近づき、太郎を預かった。
「分かりました。でも、それを少しは抑えてください。……怖いです。」
そう言い残して太郎を背負い、サキは校舎の方へと走り去った。
その異様な雰囲気に男の背筋が伸びる。俯かせていた顔を上げ、トワは口を開いた。
「楽に死ねると思うなよ。」
その声は非常に平坦で、"赤い目"には一切ハイライトがなく感情という感情が抜け落ちていた。
やっとトワを登場させられました。




