内面の正しさを、外の誰が証明するのだろうか。
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其は仰られた。
汝の隣に正しきものが居るならば、それに倣えと。
汝の隣に悪しきものが居るならば、それに習えと。
そして、その双方に私の言葉を知らしめよ。
正しきものを私は思おう。
悪しきものを私は思おう。
其の慈悲が届かぬものはない。
イル・イナク聖典第一章第八節より
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「―――つまり、褪せぬ信仰こそが恩寵を齎し、奇跡……即ち『神聖魔術』となるのです」
広い教室は既に満席で立ち見の学徒も多く存在していた。
真剣な表情でペンを走らせる者、好奇心を宿した目で聞いている者、中には感動で涙している者も居る。様子は多様だが、彼等の視線と耳は同じ所で向けられている。
「其は仰られました。『剣を掲げ、悪しきものを戒めよ。秤を掲げ、卑しきものを諫めよ』と。神聖魔術とは、そのために私達に与えられた力であり、法なのです」
講義の告知から僅か一週間で最高学府でも最大規模の教室が満員となる異常事態。
当日に更に受講者が増えたため、臨時の座席増設も間に合っていない。
それも当然だ。
何故ならば学徒達の前で講義を行う人物は、それだけの意味と価値を有している。特に古代魔術部門や魔術歴史部門の魔術師にとって、彼女の存在そのものが貴重な資料と言っていい。
穢れの無い純白の衣を身にまとう、彼女こそ法国の奇跡。
最高学府に在籍する聖教徒が涙する理由。
彼女の名は『聖女』ミヤビ・キリス・ベル・エルドナンド。
聖教において枢機卿に次ぐ座を有する、世界最高峰の神聖魔術師なのだから。
「故に、恩寵を授けられる者は信仰を宿すものに限られます。例え、貴方達の中のどんな優秀な魔術師であったとしても、信仰の無い者は恩寵を授かることはできません。これは聖教における絶対の規律であり、例外はありません」
聖女は淡々と講義を続ける。
彼女の言葉は、ある意味この場に集う魔術師にとっては周知の事実ではあったのだが、それでも聴講者は彼女の言葉を軽んじることはしない。
言葉の重要さは中身とそれを発する者によって左右される。
法国の聖女という肩書はそれだけの彼女の言葉を重くさせていた。
「高き信仰心が認められた時、其は信仰に応じ、私達に恩寵を齎す。悲しきことですが、例えば何かのきっかけでその者が信仰を失った時……恩寵もまたその者から去るです。ですので恩寵を、皆様の言う『神聖魔術』を有することは、少なからずその者に信仰が宿る証左と言えます」
古代魔術とは神から与えられた魔術を指す言葉。その発動には詠唱を伴うことが現代魔術との特徴的な差異だが、その種類は大きく三つに分類される。
一つは『神が広く人間に与えた魔術』。
これは神が残した詠唱さえ分かっていれば発動可能だ。
例えば湖と月光の神シワココカの魔術が有名だ。シワココカは非常に人間に対して親しい神であったため、その魔術も殆ど全ての人間が唱えられるのだとされている。
二つ目が『神が一部の人間にのみ与えた魔術』。
こちらは逆に、限られた人間しか唱えることはできない。
血統魔術としての古代魔術がその代表例で、例え他の者が詠唱を行ったとしても発動する事は無い。
砂と爪の神レイザディから魔術を授かったオルソラ家もこれにあたる。
そして三つ目。『使用に特殊な条件を要する魔術』だ。
言ってしまえば一つ目と二つ目以外の魔術の事であり、神聖魔術が該当する。
判明している種類が非常に少なく、概ね神聖魔術を指すと言ってもいい分類だ。
では何故、神聖魔術が特殊なのか。
それ自体は複雑な理由ではない。だが間違いなく現代においては特殊である。
「其は常に私達を見ておられます。私達を護り、試し、導くために。恩寵を授かった身として、私達は正しく在らねばならないのです」
何故ならば、現代において神は一柱しか存在しない。
序列一位、虚空に座す神。
神代が終わり、現代に残った神は【虚無神】ただ一柱。
そしてその神すらもが姿を隠して久しい今、新たに古代魔術を授かることは基本的にはあり得ないことなのだ。
現存する古代魔術は神が残した詠唱を使うもの。その対象が『人間全体』であれ『家系』であれ、魔術を与える神が姿を消してしまっているのだ。新たに古代魔術を生じることはない。
にもかかわらず、神聖魔術は存在している。これが特殊なのだ。
単純に伝えられている詠唱を唱えれば発動できるのではない。
信仰心のない者には神聖魔術は使えない。
一部の人間にのみ与えられた、血統の力ではない。
聖典を信仰する者ならば、広く神聖魔術は与えられる。
聖教が大きな影響力を有しているのは『神聖魔術』という目に見える恩寵の存在も大きい要因だろう。目に見えないものを信じるより、余程分かりやすいのだから。
「……それでは、名残惜しくもありますが本日はここまでとさせていただきます」
そうして、あっという間に定められた講義時間は終わりを迎える。
聖女による特別講義は全四回を予定しており、一週間に一回の頻度で開催予定だ。
今回は初回ということもあり基本的な事柄が多かったが、次回以降は具体的な聖教と神聖魔術に関する内容に入る予定とされている。
「初めての講義で不手際もあったかと思いますが、皆様最後までお付き合いいただきありがとうございます。それではまた次週、こちらの教室でお待ちしておりますね」
そして、最後の微笑に少なくない学徒が彼女の虜になってしまったことは言うまでもない。
◇
「いやぁ……めちゃくちゃ綺麗な娘だったなゼルマ?」
「なんで俺に同意を求めるんだ……」
「そりゃお前しか同意してくれそうな奴が居ないからだろ。で、どうだった?」
「まぁ、ある意味想像通りの人物だったな。聖女らしいと言えばいいのか」
ぞろぞろと教室から出ていく学徒達の中、ゼルマの友人であるフリッツがゼルマへと問いかける。
法国の『聖女』が特別講義を行うということで、ゼルマ達もまた受講しにきていたのだ。
「おい、聞こえていたぞ。下世話な話題は他でやれ」
「…………こうなるからな」
四人で連続して座れる席がなかったため、分かれて座っていたエリンとクリスタルも合流する。
いつもの四人組が揃った形だ。
「てかお前耳良すぎだろ。本当に聞こえてたのかよ?推測じゃねえだろうな」
「馬鹿言うな。合流するために集中していたらお前の話が聞こえただけだ。それに、私の聴覚なんて今更だろうに」
「できるだけ小声で話したつもりだったんだよ。ま、無事合流できたな」
エルフであるエリンの聴覚は普通の人種よりも遥かに優れている。
深い森林の中で過ごしていた森の民であるエルフは種族的な特徴として優れた五感が存在する。
普段は意識的に必要な音だけを聞き取っているエリンも、集中すれば喧噪の中で特定の会話を聞き取ることなど造作も無いことなのだ。
「で、二人の感想はどうよ。例の『聖女』様だぜ」
「まぁ、私も概ねゼルマと同意見だな。想像通り過ぎる程の想像通りの聖女だった。やはり聖女に選ばれる人間はそういう人物なのかもしれないな」
「私は特にありません。今日は基本的なことばかりでしたから。ですが、やはり実際の方から聞くお話は重みがあって良いですね。来週も楽しみです」
エリンもクリスタルも共に古代魔術を使用する魔術師。
実際のところ、クリスタルは殆ど古代魔術を使わないので古代魔術を主力に据えているのはこの四人の中ではエリンだけかもしれない。
因みにフリッツは完全に現代魔術師なので、他の面々に比べれば興味が薄かったのだが友人が行くならと共に受講したのである。
「確かに面白かったよな。話が上手いっていうか……聖教にもちょっと興味が出て来たぜ」
「法国での聖女の大きな役割は、信仰の象徴であるとも言われてるからな。大勢の前に話をする機会も多いだろうから、それで慣れてるんじゃないか」
「あー成程、それでか。確かに引き込まれる感じだったもんな」
「形だけ聖典を信じていても意味がないですよ、フリッツさん」
「いや、入信とかそういうことじゃねぇよ?」
聖女の話にもあったように、偽りの聖典信仰では神聖魔術を使用することはできない。
神聖魔術自体が目的の者はどうしたって手に入れられないという訳だ。
なので神聖魔術を使えるかどうかで、その者が聖教徒であるかを判断することもできる。
「実際、神聖魔術目的で聖教に入信した後、偽りである事が分かって追い出されたという話もあるくらいだからな。気を付けろよ、フリッツ」
「だからちげぇって!?お前の中の俺のイメージはどうなってんだよ!?」
「見た目通りだが?」
聖教徒は特に西方に強い影響力を有しているため、西方にはそれに関連した物語も幾つも存在している。エリンが話題に出したのも、そうしたものの一つだ。
「ハァ……で、こっからどうするよ。昼飯でも食いに行くか?」
「そうだな。いつもの食堂にでも行くか?」
「お、ならよ、折角だし最近俺が発見した所に行ってみねぇか?」
「……そこはクリスを連れて行っても問題ない場所なんだろうな」
エリンが問うが、これには理由がある。
まだ一年目だった頃、ゼルマ達はフリッツに連れられた店で酷い目にあった経験があるからだ。
因みにその店はすぐになくなり、今は違う店が出来ているらしい。
「私は別に気にしませんよ」
「いや、一応確認しておいた方が良い。私達は前に酷い目あっているからな」
「大丈夫大丈夫。最近出来たばっかでよ、見た目も綺麗だぜ」
「本当だろうな……」
「本当だって」
何度も疑うエリン。それだけ彼女にとって、以前の出来事は苦い思い出だったらしい。
「はぁ……ならいい。正直腹もすいているしな」
「良し!じゃあ行くか!」
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