魔術師の宿題
■◇■
「―――」
「目が覚めたか」
水晶の如き瞳が、ゼルマの方へ向く。
仰向けに寝転がるクリスタルと、傍らに座り込むゼルマ。
彼の服は血がべったりと染み付いているが、流血自体は止まっている。
半身を覆っていた結晶も壊され、既に自由に動くようになっていた。
それが示すのは、既に勝敗がついた後であるということ。
そして彼女は自身の状況を瞬時に理解したのか、静かに天井を見つめていた。
「……久しぶりに夢を見ていました」
「夢?」
「ええ。といっても……取り留めのないものではありましたが……懐かしい気持ちです」
「……どんな夢だ、それ」
「単に幼少の頃の記憶……思い出を見ただけですよ」
そう話すクリスタルの表情はどこか穏やかだった。
微笑を浮かべている訳でもないのに、彼女の心が透けるかのような、そんな表情だった。
「……貴方のあの魔術は……一種の再現魔術ですね。魔術による、魔術の再現でしょう」
「そうだ。まぁ、とても『再現』とは呼べないがな。『真似』しただけだ」
「ですが、それこそが魔術の在り方でもある。……流石ですね」
ゼルマはこの戦いの為に用意した策は二つあった。
一つは〈廻る世界の時針〉の改良。
自身のもう一つの口として、更なる活用ができるように改良を加えた。
そしてもう一つが、ゼルマが加工した魔術群。
既に存在する魔術をゼルマの手によって加工した魔術。
本物ならざる、偽物の魔術たち。
僭称、虚言、贋造、劣盗……どれもゼルマによって改造された魔術だ。
確かにクリスタルの言う通り、存在する魔術を異なる形で行使する魔術は、一種の再現魔術とも呼べるだろう。
これをゼルマは『偽典魔術』と呼称している。
「だからこそ、貴方は神聖魔術を使うこともできた。あれは少し驚きました」
「あれも神聖魔術そのものじゃない。あくまで偽物だ」
ゼルマが模倣した〈虚言・其の言葉を告げるもの〉は神聖魔術と分類される魔術である。
神聖魔術とは『聖典』を信仰する者のみが使用できる魔術。
聖典とは聖教と呼ばれる宗教における文字通りの『聖典』であり、法の神が書き記したとされる聖なる書物だ。この『聖典』の文章自体が詠唱の役割を果たし、神聖魔術は行使される。
その特徴は優れた魔力効率と、信仰者にのみ作用する恩恵。信仰に厚い者ほど、より上位の神聖魔術を行使することができる。
逆に言えば、どれだけ優れた魔術師であっても聖典信仰にない者は神聖魔術を行使することができず、恩恵を受けることも出来ない。これは、例え大賢者であっても同様だ。
だからこそ、クリスタルはゼルマが魔術を使った際、驚いていたのである。ゼルマが聖教の信者でないことは明白。にも関わらず、彼が魔術を使ったのだから、驚くのも無理ない話だ。
「最後に追い詰められたのも、貴方の策の内だったのですか?」
「まあな。だが、本当はもう少し余裕を持ってやるつもりだった。……想像以上にお前の適応が速かったせいで、このザマだけどな」
「では、半身を残したのも……」
「最悪、片腕を失う覚悟だった。お前が俺を殺すとまでは思わなかった、ってのもあるが」
もしクリスタルがゼルマの全身を結晶化させようとしたのなら、ゼルマは片腕を切り落とす覚悟でいた。最悪、杖を握る手さえ残っていれば〈劣盗・飛燕一閃〉を発動させることができるからだ。
部位欠損も、欠損した部位がそのまま残っていれば治療は不可能ではない。
当然痛みは大きく、治療後の後遺症が残る可能性も高いが、それでも不可逆ではないのだ。
結果、ゼルマの予想通りそうはならなかったのだが。
「……すまなかった」
「何が、でしょうか。私は貴方に謝られるようなことをされた覚えはありませんが」
暫くの沈黙の後、ゼルマは謝罪を口にする。
その謝罪に対し、クリスタルもまた疑問の言葉を紡いだ。
「俺はお前より魔術師として何もかもが劣った存在だ」
「そんなことは」
「否定しなくていい。これは明確な事実だ。だから劣った俺は……偽物の俺は、俺が取れる手段の何もかもを使わなければならない。そうしないと、その背中を眺めることすら許されない」
その言葉に嘘偽りは一切ない。偽らざるゼルマの感情だ。
ゼルマを構成するものに、ゼルマが元々持っていたものは多くない。
魔術回路は造り物に置き換えられ、才能にも手を加えられた上に制限がかけられている。
魔術師としての今の彼は、『大賢者』の思惑の下で生み出されたものだ。
だが、だからこそゼルマは勝利を手にすることができた。
同じく大賢者に創り出された存在でありながら、生来の天才としてこの世に生を受けた彼女に。
例え次がなくとも、確かにゼルマはクリスタルから勝利を手にしたのだ。
華美な装飾がなくとも、優れた技巧が用いられていなくとも、
例え本物でなかったとしても、時計の役割は針を進めることだ。
時間という道を、前へと進ませることだ。
「騙すような戦い方をして、悪かった。これは、そういう謝罪だ」
「……そこは何も気にしていません。寧ろ私の方こそ多くのことを学ばせていただきました」
むくりとクリスタルが上体を起こす。
その動きと共に、透き通る白髪が揺れる。
敗北を喫した直後だというのに、彼女の仕草はどこまでも流麗で繊細だった。
それでも、彼女は確かに敗者として言葉を紡ぐ。
「ああ、これが敗北感なんですね。……先生の言っていた通り、これは確かに。……得ておかなければならないものでしたね」
彼女は穏やかな表情を保ったまま語る。
その様子は、普段の彼女よりも幾分か幼く感じられるものであった。
「私はこれまで、勝敗の分かった戦いしか経験してきませんでした。最高学府には私より強い魔術師が在籍していますし、先の魔王との戦闘もそうです。それらは全て……戦う前から、敗北すると理解していたものでした」
敗北感とは、自らが及ばなかったことを自覚した際に得る感情である。
それは、これまで全ての勝敗を予想通りに進めてきた彼女にとって縁遠いもの。
彼女にとっての敗北とは、自身に足りないものを確かめるための作業でしかなかったのだ。
「なのに初めて……初めて……負けると思っていなかったのに、負けた。味わったことのない感情……ですから、これが『敗北感』なのでしょうね」
言葉から溢れ出る満足感。
とても敗者が発しているとは思えない感情だが、それが彼女という存在なのだ。
どこまでも純粋で、魔術師。それが彼女なのだ。
「……そうか」
「そっけない態度ですね。もっと誇ってはどうでしょうか。貴方は私に勝ったのですよ」
「それはできない。さっきも言ったが、俺はお前に正々堂々勝てていない。勝つには勝ったが、それだけだ。勝っただけだからな」
「……そんなに繰り返されると、少し言い表しようのない感情が湧き上がってきますね」
相変わらず表情は大きく変わらない彼女だが、何故か少しムッとした表情に見える。
その感情の機微はゼルマも確かに捉えていたが、敢えて反応しないことにした。
何故なら、ここからがゼルマの正念場なのだから。
「ですが、確かに貴方の勝ちには変わりありません。そうですね、何か賞品でも渡した方がよいでしょうか?」
「賞品なんて必要ない。元々そんな約束もしてなかったしな」
「良いのですか?初めての敗北感なので折角ですし、『欲しいもの』でなくとも私に『やって欲しいこと』でも良いですよ?」
「もう一度言うが、俺には賞品なんて必要ない。そんなことよりも大事なことがあるからな。……というか、そういうことを軽々しく言うのはやめろ。面倒なことが起きかねない……」
最高学府に存在する彼女の熱狂的な信者が聞けば暴動が起きる可能性すらある言葉だが、ゼルマにとっては必要ない言葉である。
むしろ、ゼルマはそういう者達の暴走を止める側だ。
「大事な、ことですか」
「ああ。俺は勝った。どんな勝ち方であれ、天才であるお前に勝った。それは紛れもない事実だ」
「……何が、言いたいんですか」
流石のクリスタルも、これだけ勝利したことを連呼されれば疑念を抱きもする。
普段のゼルマを知る者であれば、違和感を抱かれても仕方のない言動。
当然だ。彼には目的がある。
わざわざ彼女と戦ったのも、どんな手段を使ってでも勝利をもぎ取ったのも。
全ては―――この会話のためなのだから。
「再戦を。再戦をしよう」
その、たった一言を言う為だったのだから。
「俺は魔儀大祭に出る。当然、大賢魔戦と理智魔会の両方だ」
「―――!まさか、再戦というのは……」
魔儀大祭。一年の最後に行われる、最高学府最大の祭り。
実力を競う大賢魔戦と理論を競う理智魔会。
最高学府に属する全魔術師が参加可能であり、故に魔儀大祭はその年における最高学府で最高の魔術師を決める祭であるとも呼ばれている。
その祭の名を今出した理由に気付かぬ程、彼女は鈍感ではない。
そして、仮に魔儀大祭に出場するのであれば。
準備期間も含め……彼女には最高学府の外に出る余裕がなくなる。
特待生の自由度を活かした、長期の外出計画。
新星大会で獲得した魔境の土地権利を活用した、野外調査。
それらを捨てて、魔儀大祭に集中せざるを得なくなる。
これは、そういう言葉だった。
「二つ宣言をしておく」
そして、ここからは、ゼルマにとっても未知の領域だ。
そもそも、こんな発言をしてしまって良いものか、まだ測りかねている。
一度紡いだ言葉を無かったことにすることは出来ない。
しかしそう決めたのなら、此処まで来たのなら、進むしかない。
前進こそが、人の業なのだから。
「一つ、俺は負けるつもりはない。二つ……俺は、十二典載に挑む」
「―――それは」
その言葉の意味を理解できない魔術師はいない。
クリスタル・シファーにおいても、それは例外ではない。
「俺は待ってる。その時は……今日の続きをしよう」
そう言って、ゼルマは立ちあがる。
傍らでゼルマを見つめるクリスタル。
その瞳を真っすぐに見つめて、感じ取る。
「待ってくださいゼルマさん。……それは、私への挑戦ですか?」
彼女の言葉が静かにゼルマの心を突き刺す。
言葉を選ばなければならない。決意するしかない。
今、この場においては、ゼルマこそが勝者なのだから。
彼女にとって、『呪い』になるであろう、その言葉を。
「そうだな……これは」
そうして―――
「俺からお前への宿題ってやつだ」
此処に、新たな魔術師の宿題は課された。
■◇■
「聖女様、もうすぐ最高学府に到着いたします」
「……ありがとうございます。では、今しばらく、お世話になりますね」
「あ、ありがたきお言葉であります!」
少女は従者に聞こえぬよう、馬車の中で溜息を吐いた。
「…………どうか、何事も起こりませんように」
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ありがとうございました。第三章 魔術師の宿題はこれにて終了です。
今後もマイペースに更新を続けていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。




