ただ、時計の針が進むように。
■◇■
「彼女は、クリスタル・シファーは間違いなく天賦の才を持って生まれた」
「彼女程の逸材に私はこれまで出会ったことが無い。断言しよう。彼女は天才だ」
「私が彼女を教えたのは、僅か一月にも満たぬ時間であったが、それで十分だった」
「彼女は最初、私の魔術分野に興味を抱き、我が教室の扉を叩いた。入学後、三日目の事だった」
「ご存じかもしれないが、私の魔術分野は少々難解だ。理論を重視するが故に、所謂感覚派の魔術師には理解されないことも多い」
「それをだ。入学してから三日の少女が、一月で私の理論を理解し……そして魔導士の学位を取得し、私の教室から去って行ったのだ。信じ難いことだ、夢でないかと、暫くは考えたほどだ」
「だが、あれは間違いなく真実だ」
「彼女が私を越えたとは言わない。しかし、彼女が一月足らずの時間で私の分野について深く理解し、新たなる理論を打ち立てたことは紛れもない事実なのだ」
「彼女は私に師事した時間で多くのことを尋ねた。基礎から始まり、応用を、更には私ですら思考せねばならぬことまで。惜しげもなく、恥ずかしがることもなく、全てを」
「結果、彼女は驚異的な速度で私から魔術を学び取り、過ぎ去った」
「今ならば、私は確信を持って言える。彼女は間違いなく、大賢者の再来であったと」
ある魔術師への取材より。
◇
開戦より幾ばくか。
ゼルマ・ノイルラーは痛感していた。
自分が成そうとしていることが、どういう意味を持っているのか。
そして、【天賦】の大賢者……その真価を。
「―――ッ!」
降り注ぐ魔術の雨の中をゼルマは必死に駆ける。
これが仮に室内でなければ、彼女の攻撃は一層の苛烈さを増していたことだろう。
訓練室という箱が彼女の魔術の規模を抑制しているのだ。
だが、それでも遠い。余りにも遠すぎる。
「〈千年水晶柱〉」
放たれる水晶柱。射出されるそれは、余りにも強大だ。
水晶柱自体の強度も相まって、触れれば無事では済まされない。
魔力による身体強化にも限界がある。
加えて、ゼルマにはこれ以上他の魔術へ回す魔力の余裕が無い。
傷口が開き、血が再び零れ落ちる。
突き刺すような痛みが、身体の動きを鈍らせる。
クリスタルの魔術、〈千年結晶刃〉が与えた傷は非常に深いものだった。本来ならば、集中した治療を要する程の傷であった。
ゼルマはそれを魔術によってなんとか繋ぎ止め、今こうして戦闘を続行している。
それはクリスタルに手段が無いと思わせる為の一手でもあったが、何より魔術式が組み上がるまでの時間が必要だったからだ。
正しく捨て身の一撃。才能に劣るゼルマが、その差を補うべく取った選択だ。
勿論致命傷を負うつもりは無かった。
その為の対策もしていた。だが、それでも彼女は想定を超えて来た。
魔術師といえど人間である。
そして人間とは余りにも脆い存在だ。
寿命で優れる人間種族も居る。膂力で優れる人間種族も、魔力で優れる人間種族も居る。
だがそれでも、人間とは余りにも貧弱な存在である。
血を流し過ぎれば死ぬのだ。
「―――ッ!」
ゼルマの足元に魔術が着弾し、体勢が崩される。
一瞬の揺らぎ、その隙を逃さず水晶はゼルマの身体を狙い撃つ。
胴体へ一直線に放たれた水晶を寸でのところで払いのけ、二人の視線が交錯した。
ゼルマを見る目に宿る感情は……期待、高揚、興奮。
そこに、負の感情は一切宿っていない。
そうか、とゼルマは悟る。
ならば、とゼルマは思う。
晒す他に、道は無い。
「―――其よ、ならざる我に導を与え給え」
襲い来る魔術の中で、魔力も体力も不十分。
それでも、散らばって消えてしまいそうになる集中力をかき集め、それをゼルマは実行する。
「迷える者に、惑える者に、其の道を示し給え」
即ち―――魔術の詠唱を。
「〈虚言・其の言葉を告げるもの〉!」
「―――ッ!それは……!」
宙に肉体が舞う。一瞬の浮遊感がゼルマの肉体へ訪れる。
まるで羽が与えられたかのように、肉体を縛る痛みを和らげる。
それこそが魔術の効果。
結晶の刃に襲われ、彼女の視界から外れた際にも唱えた、ゼルマの奥の手が一つ。
「神聖魔術……!」
「〈三重火槍〉!」
「〈水晶華〉!面白い―――!」
一瞬、魔術の勢いが弱まる。当然だ、それは有りえない行動だったのだから。ともすればゼルマが〈万世穿つは王が五指〉を放つよりも決定的に、不可思議な行動だったのだから。
魔術を知る者程に、ゼルマがとった行動は異常に映ることだろう。
その中には当然、クリスタルも含まれる。
広い見識を有するが故に、その光景のおかしさに気付いてしまう。
一瞬の驚き、一瞬の興奮。それらは一瞬の感情の昂りではあるが、一瞬の間隙を生みだす。
その隙をゼルマは見逃さず、放たれる火炎の槍。
急ごしらえで形は歪。それでも問題ない。十分に目的は果たされる。
既に痛みは気にならない。魔力の巡りも格段にマシになっている。
それこそが、この魔術の力。肉体の機能に祝福を与える魔術。
当然、〈火槍〉はクリスタルによって防がれてしまう。
だが、この一撃の意味は大きい。生み出された時間には、千金の価値がある。
時間とはゼルマにとって敵であると同時に味方でもある。
魔力量で劣るゼルマにとって、クリスタルの魔力切れを狙うという選択肢は最初から存在していない。どう考えても、その道で彼女に敵う道理が無いと分かっている。
しかしゼルマの切札には時間が必要だ。
それにはまだ足りていない。
ならば、取れる選択肢は―――
「―――ッ!?」
思考は弛まず、しかし方向転換を余儀なくされる。
魔術の雨が治まった。これまで降り注いでいた魔術が停止した。
喜ぶべきことか。いや、そうではないことをゼルマは良く知っている。
手数で勝敗が決しない時、魔術師は段階を移行する。
そうでなくとも、今のクリスタルにとって、この場は格好の実験場だ。
同じ展開、同じ結果を彼女は求めていない。
彼女は前進を求めている。異なる展開、異なる結果を求めている。
それが常識であり、当然だから。
普通、勝利を優先するならば安定した手段を取るべきかもしれない。
だが彼女はそうではない。彼女は違うと知っている。
何故勝利を求める時、安定した方法を選ぶのか。それは確実性を求めるからだ。
例えば絶対に勝たなければならない状況で、博打を仕掛ける蛮勇を有する者は少ない。自身の命運を預けるに足る、確実を人は求めるだろう。
それは魔術師とて同じこと。
挑戦が不要なのでは決してない。だが、不十分な準備による挑戦は愚行でしかない。
それが普遍的な法則だ。
しかし、彼女は、クリスタル・シファーは異なる。
「……聞こえていますか、ペイジェン」
『なァ に? ク り スゥ?』
「契約内容を更新します」
『―――!!!!』
彼女は挑戦し、成功させる。
彼女の挑戦には、それだけの価値が常に宿る。
「私の魔力の半分を譲渡します。だから、貴女の手を貸してください」
『セい り ツ ゥ……!!』
何処からともなく聞こえて来た声。
まるで世界そのものが話しているかのような、無邪気な声が嬉々として叫ぶ。
それが何か、この場に知らぬ者は居ない。
彼女が取得した三つの学位の内の一つ。
その主題は『精霊魔術における詠唱とその継承』。
彼女が入学してから二番目に取得した魔導士の学位であり、彼女の万能さを示したもの。
故に、彼女は当然―――それを使える側の人間だ。
「浄化せよ。安寧の虚、白亜の城にて眠る者」
「―――ッ!」
奇しくもそれは、先の戦いにて現れたものと同種。
火炎を纏う魔王の姿をしていたもの。
斬裂を放つ武者の姿をしていたもの。
詠唱の詞が紡がれて、それは姿を露わにする。
「周遊、媒介、永寧。不変を尊ぶ幽玄の仙女。我が聲に応じ、示せ」
ではそれとは何か。
ゼルマが魔力を滾らせる。
完成を阻止することは出来ない。既にそれは顕現している。
現れたるは、白面を身につけた長身の仙女。
紛う事無き、純然たる精霊の姿形。
指先に魔力を集中させ、意識を妨害すべくゼルマは魔力弾を放つ。
クリスタルの頭部を目掛けて飛ぶ魔力の塊。
一射の威力は低くとも、人間は弱点である頭部を狙われた時、少なからず意識を割かれる。
それを狙った攻撃。命中さえすればよい、即席の魔力。
だが、時既に遅し。
「〈白晶主は閉し、午睡に沈潜する〉」
魔力弾はクリスタルの寸前にて停止し……結晶となって崩壊する。
魔力そのものが別の性質へと変成される光景。
それは、彼女の持つ干渉力がそれだけ高いことを意味していた。
(クソッ……想定よりも早過ぎる……!!)
ゼルマは戦闘の前に情報収集を欠かさない。
その魔術師の核たる秘奥、奥義は探れずとも此処は最高学府だ。
家名から血統魔術を、執筆した理論から魔術分野を探ることはできる。
当然、今回の試合にあたってゼルマはクリスタルが過去に執筆した魔術理論を改めて確認している。
故に、彼女が精霊魔術を使用したことに驚いているのではない。
驚いているのは、その切り替えの早さだ。
「『凝結せよ』」
「〈火球〉〈土球〉!」
精霊魔術には代償がある。
その代償は様々で、魔力であったり、行動であったり、或いは物質であったりする。
白晶主ペイジェンの場合は魔力。それ自体は実のところ精霊魔術の代償としては当たりの部類なのだが……問題はここからだ。
精霊は悪魔とは異なり、召喚者によって代償を変える。
白晶主ペイジェンは、召喚者を気に入る程に代償を重くする精霊。
加えて、召喚者にとっても制御し難い気質の持ち主である。
(だからこそアイツは少ない魔力で魔術を使えるよう契約していた。なのに、その契約を引き上げた。完全な形で精霊の力を行使するために……!)
ゼルマも聞こえていた契約内容。
魔力の半分を譲渡する……それは試合中に軽々しく結んで良い契約ではない。
魔術師にとって魔力は生命線。
幾らクリスタルの魔力量が多いといっても、半分の譲渡は寿命を縮めるに等しい行為だ。
(だが―――!)
その結果は、御覧の通り。
クリスタルがこれまで、白晶主ペイジェンとどの程度の契約を結んでいたかゼルマは知らない。
だがそれでも、契約内容を大幅に引き上げた事により、彼女は精霊の力を十全に行使している。
ゼルマが魔力弾を放てば、着弾の前に魔力が結晶化し、崩壊する。
クリスタルが細い線の如き魔力を放ち、ゼルマはそれ等を魔力弾によって迎撃する。
これまでも見た魔術の応酬。しかし戦況は大きく変動した。
クリスタルは勝負を決めに来た。
全魔力の半分の譲渡は、そういう意味を有している。
(残り魔力はどの程度だ?半分を譲渡し、残り一割?それとも三割残っているのか?)
一般的に魔術師同士の戦闘は、そう長く戦えるものでもない。
実力が拮抗する程に勝負は長くなりやすいのが常だが、人間の魔力には限度がある。
物語にある三日三晩の戦い等は、一握りの強者だからこそ実現された現象なのだ。
「……凄いな」
ポツリと、ゼルマは呟く。恐らく誰にも聞き取れない小さな呟きだった。
だがそれ故に、彼の本心でもある。
(……お前は、本当に天才だ。同じなのに、こうも違う)
ゼルマはかつて、クリスタルのことを『可哀想』と評した。
それは彼女が自身を【天賦】の大賢者とは知らずに生きていることへ向けた、ゼルマの嫉妬混じりの評価だった。
彼女に与えられた魔術の才能は、大賢者によって与えられたもの。それを知らない彼女と、彼女を守るために生み出された【末裔】の大賢者という存在。
何も知らず、才能に導かれるように魔術の道を進む彼女に、ゼルマは言い表せない感情を抱いていた。
だが、彼女と直接に知り合い、語り、過ごした僅かな時間でゼルマは知った。
才能は重要だ。こと魔術の世界においては、残酷な程に。
血統魔術、生得魔術、魔術回路……生まれながらに決まっている資質は確かに存在する。
しかし、彼女は驕らなかった。止まらなかった。
才能に溺れず、囚われず、進み続けている。
例えその才能が作られたものでも、偽物でも、彼女はきっと変わらない。
(烏滸がましいかもしれない。でも……そうだよな。お前は……)
魔術の嵐の中、どこか穏やかな顔でゼルマはクリスタルを見つめる。
迸る痛みすらも、今は遠い。思考は至極冷静に進んでいた。
そもそも【天賦】の大賢者の設計思想は、『大賢者の才能だけを受け継いだ魔術師は、どのような魔術を生みだすのだろうか?』である。
ならば当然、彼女の結果は彼女の自身のものだ。
彼女が結晶魔術を選んだのも、精霊魔術を修めたのも、彼女が積極的に知識を求めたのも、全て彼女自身の選択だ。【天賦】の大賢者である以前に、クリスタル・シファーという一人の少女としての選択だ。
そして、そうなった理由はきっと―――。
(だとしても……いや、だからこそ俺は勝たなければならない!)
拳を強く握りしめる。覚悟を決めて、魔力を回す。
後少し、もう少しの猶予を埋めるべくゼルマは最後の賭けに出る。
先刻より思考と共に編み続けていた魔術式が今、完成する。
「〈僭称・万世穿つは王が五指〉!!」
「―――ッ『凝結せよ』!」
そうして放たれる三度目の〈僭称・万世穿つは王が五指〉。迎え撃つは白晶主の見えざる手。
一瞬の後、ゾーオスの指が赤く瞬き、白晶主の手と衝突する。
音は無い。しかし赤と白の魔力光が強く瞬く。
互いに魔力は残り僅か、純粋な出力勝負。
ゾーオスが貫くか、白晶主の午睡に沈むか、その二択。
そして魔術同士の最後の衝突は―――
「――――――」
火炎の剣が結晶化する。魔力から活力が失われ、異なる法則に支配されていく。
魔術の制御能力が失われ、そうして崩壊する。
発動に時間も、精神力も要する大技。
手を加えているとはいえ、消耗する魔力は格段に多い。
その後隙―――見えざる手は遂に、ゼルマへと届く。
そして、
◇
「……勝負はつきましたね」
「…………」
左半身が結晶に覆われ、ゼルマは地に膝をついていた。
外側の結晶化で済んでいるのは、内部までも結晶化してしまうと試合の禁則に抵触するからだ。
本来ならば触れた時点でゼルマは死んでいただろう。
だからこそ魔力弾を放つことで直撃を避けていたのだが……遂に触られた。
「負けを認めてください。貴方の目に戦意が宿り続けるなら……私は貴方を再起不能の状態にしなければならない。それは極力避けたいことです」
「…………」
「……口は結晶化していない筈ですが。まだ敗北を認めてはくれませんか」
ゼルマの肉体で現在自由に動く箇所は頭部と、右半身。
それも辛うじて杖を握る右腕が自由に動く程度で、下半身まで結晶化は及んでいる。
彼女の言う通り、誰が見てもゼルマは敗北している。
この試合に審判はいない。観客もいない。
後々に遺恨が残らないようにするには、彼女の言う通りどちらかが敗北を宣言するか、再起不能の状態にさせるしかない。
これ以上、決着を引き延ばす行為は見苦しいだけ。
それはゼルマも理解している。
「……言った、だろ、ここからは俺の時間だってな」
「何を今更……どう見てもあなたは負けています」
そうだ。彼女の言う通りだ。
眼前の彼女はこうしている間にも魔力を回復させている。
半身を封じられたゼルマに回避する手段はなく、そもそも〈虚言・其の言葉を告げるもの〉の効果が切れかけている。
これ以上、決着を先延ばしにすれば、クリスタルが手を下さずともゼルマは失血によって意識を失い……ともすれば死に至る。
だがそれで良い。
この状況こそ、ゼルマが望んだものなのだから。
「答え合わせは」
右腕が動くならば、当然杖も振るえる。
内部が侵されていないのならば、魔力も練れる。
そして―――目の前に居るのであれば、手は届く。
「 」
音も無く、杖は軌跡を描いた。
ゼルマは既に〈廻る世界の時針〉の内容を切り替えている。
それこそは、嘗て存在した英雄の御業の再現。
そして、その再現魔術をゼルマの手によって加工したもの。
名を〈劣盗・飛燕一閃〉。
目に見えぬ一閃。身体強化も間に合わない。
右腕が軋む。だが問題ない。
その一閃は透明なる天才の意識を刈り取った。
「目覚めた時にしよう」
勝敗は、決した。
■◇■




