竜からでも蜥蜴からでも 参
■◇■
「久しぶりだな……この景色も」
レックスが車窓から外を見やる。
そこには見慣れた街並み、しかしある意味で見慣れない街並みが広がっていた。
建物も行き交う人々の姿も、彼の記憶の中から大きく変わってはいない。
だが不思議と懐かしさも覚えない。
彼が現在居る都市の名はキリアスタット。
ハルキリア王国の王都、レックス・オルソラが生まれ育った場所。
「若。もうすぐ本邸へ到着します」
「分かった。お前等も降りる準備をしとけ」
レックスの実家であるオルソラ家は代々ハルキリア王国の貴族だ。
しかし領地に住んでいるのではなく、王都に本邸を構えつつ遠方の領地を管理している。
またオルソラ家は暗殺と諜報で名を馳せた家系。
王都に居を構える方が何かと都合がよく、本邸もそれなりに歴史がある。
だがそんなことはレックスにとっては既知。
それよりも気になることが彼にはあった。
「ってかよォ、最近気になってたんだが。その『若』ってなんだおい」
「し、失礼しました。つい」
「ついだと?俺は訳を聞いてるんだぞ。前は普通に呼んでただろうが」
レックスの言う通り、彼の部下である魔術師達はこれまで『レックス様』と呼んでいた。
これは最高学府での慣習と同じく、彼等にとっての上司であるレックスの父親達とレックスとを区別して呼ぶためだ。
だがここ最近、レックスの部下達はレックスのことを『若』と呼ぶようになっていた。
「……正直に話しても殺されませんか?」
「殺さねぇよ。……理由次第だが」
レックスとて自らの部下を軽々と殺すつもりは勿論ない。
そもそも『若』と呼ばれることも、しばらくは見逃していたのだ。
だがそろそろ言及する必要が出て来たので、仕方なく尋ねたのである。
「なんと申しますか近頃の若、いえレックス様は以前よりもお仕えしがいがある方になられたように思います。以前のレックス様は……世界の全てが面白くないかのように振舞ってましたから」
「ふん」
「全ては……あの方の元で動くようになってからです」
「……まぁ、な」
レックスは否定しなかった。出来なかった。
以前の彼は確かに野蛮で粗野であった。今でも生来の気性の荒さ自体は残っているものの、無暗矢鱈な攻撃行為や凶暴な言動はなりを潜めている。
その理由が部下の言う通り、ある出会いがきっかけであったことは間違いない。
そしてそれを部下相手に否定することも、無意味だと彼は知っている。
何せ、彼等もまた現在はレックスと同じ境遇にあるのだから。
「だがそれと若呼びは関係ねぇだろ」
「い、いえ……確かに直接的ではないのですが」
言っていいものか少しだけ迷った後、部下は口を開いた。
「あの方が我々の『頭』になるならばレックス様が何になるのか考えた時にですね、オルソラ家で言うならば『若』になるのでは……と。そう考えたのです」
「オルソラ流ね……確かに」
そう言われ、レックスは納得する。
彼等は元々オルソラ家で訓練を受けていた私設兵だ。
扱いは二軍だったとはいえ、オルソラ家の抱える魔術師という身分を持っている。
そしてオルソラ家の魔術師集団では当主のことを『頭』と呼び、次期当主を『若』と呼ぶ習慣がある。
レックスはオルソラ家の魔術師ではあれど後継者ではなかったため、これまで指揮系統では上に位置していたものの『若』とは呼ばれていなかった。
しかし、現在は彼等も立場が大きく変わった。
それに応じ、呼び名が変わるのもまた自然なことだったのだろう。
「理解はした。アイツの下で動いてんのは事実だ、若と呼ぶことは別にいい。だが、親父の前では口にすんなよ。面倒事になるのが目に見えてる」
「き、肝に銘じます」
「それだけ気を付けんなら……まぁ勝手にしろ」
■◇■
「お帰りなさいませレックス様。どうして急にお戻りに?」
「親父に用があってな。居るだろ、どうせ」
「確かにご在室ですが……せめてご一報くだされば……」
「野暮用だ。長く留まるつもりもねぇ。それより親父は居るんだな?」
「はい。自室に」
レックスが階段を上り、廊下を曲がる。
六年間一度も帰っていなかったとはいえ、生まれ育った家である。構造は完璧に把握していた。
向かう場所は明確だ。彼の父の自室、この家の最奥である。
その扉の前に立った時、レックスは緊張していなかった。
お世辞にもレックスは家族と仲が良いとは言えない。
兄弟とはそりが合わず、両親とも親子らしい会話をした記憶がない。
だがそれをレックスが悪く思ったことは一度も無い。
今から起こることも全て、今まで通りの会話に過ぎないことを知っていたのだ。
最低限の礼儀として扉を叩き、返事も待たずに部屋へと入る。
部屋の奥には政務をこなす彼の父……アロディア・オルソラが座っていた。
「レックス、急に帰って来て何の用だ。最高学府はどうした」
「ああ、正にその事で話があってな」
「ここ数年まともな連絡も寄越さず、あまりに急だな。お前に貸した兵はどうした」
「連れて帰って来てるに決まってるだろ」
「ふん……二軍とはいえ、あれ等もオルソラ家の所有物だからな」
アロディアは机上の書類に筆を走らせ、レックスの方を向く事はしなかった。
ああそうだ、と。レックスは王都に入った時にすら感じていなかった懐かしさを感じる。
これが自分の父なのだと。
「で、お前が俺に話とはなんだ?」
特別厳しい訳でもない。特別恐ろしい訳でもない。
レックスは父が激昂した姿を見た事もないし、悲しむ姿も、喜ぶ姿も見た事がない。
彼はただ多くのことに無関心なだけなのだ。
「俺は最高学府を出た」
「一応、理由を聞いてやる」
故に、レックスは父のこの反応を予想していた。
「あそこは学者達の集まる場所で、俺が学ぶことはもうねぇ。そう判断しただけだ」
「お前が最高学府を選んだ癖にか?」
「ああ。確かにあそこは魔術を学ぶには最適だ。だが、戦いは学べねぇ」
これは偽らざるレックスの本心だった。
最高学府は本質的には『魔術を学ぶ場所』であって、『魔術で戦う場所』ではない。
決闘が最高学府内の娯楽として人気であるのも同じ理由だ。最高学府の魔術師にとって、戦いが本質でないからこそ『決闘』が手段であり娯楽として認知されているのである。
だがレックスが敢えて言葉にしなかった部分もある。
例え『魔術を学ぶ場所』が本質であったとしても、それで魔術の戦いが学べない訳ではない。
事実として彼は取り返しのつかない敗北を経験してしまっているのだから。
「それに、学べることは学んだ。なら後は実践経験だろ」
「随分と殊勝な性格になったものだな。挫折でも経験したか?」
「そんなんじゃねぇよ。知ってんだろ」
「確かにな。お前の野蛮さは一度死なねば治らんだろう」
「……」
まさか「既に一度死んだがな」とは言えない。
生命を蘇生させる魔術は幾つか知られているが、そのどれも非常に高等な魔術だ。
口を滑らせてしまえば、流石の父にも不審がられることは間違いない。
「それで、今後はどうするつもりだ」
「適当に西側の国を回って冒険者をやるつもりだ」
「冒険者だと?そんなものになってどうする。我々は貴族だぞ」
「どうせ家を継ぐのは兄貴だ。俺は自由にやったって何の損もねぇだろ」
「損はある。金はどうするつもりだ?今まで仕送りをしてやっていたのは、お前がオルソラ家の者として最高学府に通っていたからだ。止めたのであれば続ける意味もない」
「適当に稼ぐさ」
実際にはこの用事を終えれば最高学府に戻るつもりなので、これは全て嘘である。
仕送りを止められるのは痛いが、その点は現在の上司に言えば何とでもなるだろうと思っていた。
それに最高学府内でも探せば依頼は見つかる。レックスの実力なら、ある程度の稼ぎになるだろう。
「それならいい。お前の好きにしろ、オルソラの名を汚す事だけはするなよ」
「分かってるよ……ああそれと。ついでに一つ」
「なんだ」
「今借りてる奴等だが、アイツ等も貰ってくぜ。冒険者をやるなら駒は多い方が良いしな。どうせ二軍だ。親父にとっちゃ痛くも痒くもねぇだろ?」
「……良いだろう。だがそれなら俺からも一つ条件を出す」
そこでようやく、アロディアの視線がレックスの方へ向いた。
「冒険者を続ける間、オルソラの名前を出すな」
「なんだ、簡単じゃねぇか。どうせ出すつもりなんかねぇよ」
■◇■
「許可が出て良かったですね、若」
「親父にとっちゃ、クソ兄貴が居る間は俺はどうでも良いんだよ。生きてさえいれば、な」
「そんなことは……」
「つまんねぇ励ましなんかすんじゃねぇ。別に何とも思ってねぇからな」
実家の滞在時間は一時間にも満たず。
父親との会話は一瞬で終わり、レックスは部下を連れて王都を歩いていた。
「しかし……まさか馬車移動を苦痛に思う日が来るなんてな。ケツがいてぇ」
「最高学府内は基本、馬車の使用が禁止されていますからね。今日は本邸に宿泊されるおつもりなのですか?疲労が溜まっているのでしたら無理に宿を探す必要もないのでは」
「……いや、もう此処に用はねぇ。適当に宿をとって、明朝には王都を発つ」
元々王都へ到着したのは午後を過ぎたあたりだった。
今から王都を出発することもできるが、微妙な時間であることには間違いない。
だがあんなやりとりがあった後に実家に泊まるというのもレックス的には避けたかった。
どうせ父親は何も思わないと分かっていたとしても、である。
「では至急宿を確保して参ります」
「集合すんのが面倒だ。俺も行く。お前等は……ん」
「どうかされましたか?」
レックスの視界に映り込んだもの。
それは台の上に乗せられた人間達の姿。
一人は商人らしい服装で、残りの者達はいずれもボロ布を纏わされている。
彼等は皆、手足に鎖を巻かれ、生気のない表情で俯いていた。
「……奴隷、ですね」
奴隷。それは王国では珍しくないもの。
市民としての身分を与えられず、金銭によって売買される存在。
『人』ではなく『物』として扱われる者達だ。
「俺が居ねぇ六年の間に、随分人種至上主義が進んだみてぇだな」
「はい。エルフやドワーフといった種族はまだしも、獣人はここ数年で差別が急速に拡大しているようです。最近の王国で奴隷と言えば、獣人の売買が主流になりつつあります」
「エルフは観賞用で獣人は『差別用』ってところか」
現在台に立たされているのは四人。
全員が身体になんらかの獣の特徴を持っており、彼等が獣人であることは明白だった。
「今立たされてんのは何の種族だ?」
「犬人……いや狐人でしょうか?申し訳ございません、私も獣人種族に詳しい訳ではございませんので。ですが、体つきを見るにまだ子供のようですね」
四人のうち、一人だけ他の奴隷よりも背丈が低い者が立たされていた。
細く立った耳と、毛並みの良い尾。レックスの見立てでも狐に近しい特徴を持つように見える。
だがそれよりもレックスが注目したのは……。
「……魔力の気配だ。アイツ、魔術師だぞ」
「まさか。魔術師は獣人でも高値で取引されます。こんな道端で安売りされている筈がありませんよ」
奴隷にも階級がある。身分としては奴隷であることに変わりないとしても、種族や容姿、能力によって確かに目に見えない階級は存在するのだ。
例えば現在の王国で言えば、エルフは高級奴隷、獣人は一様に最下級の奴隷だ。こうして路上で見せしめのように売られているのも獣人への差別意識が根強いからである。
だが種族関係なく、魔術を使える者はそれなりの値段がつけられる。魔術が使えるかどうかは生来の適性による部分が非常に大きく、どれだけ武術の才能に溢れていたとしても魔術の才能がなければ魔術を使うことはできないのだ。
だからこそ、主に戦闘用や護衛用として魔術師は普通の奴隷よりも遥かに高い値段で売買されるのである。
「良く見やがれ、お前も魔術師の端くれだろうが」
「た、確かに……僅かですが魔力が練られています。この距離で良く気付かれましたね?」
「こんぐらい最高学府じゃあ出来て当然だ。お前もさっさと慣れろ」
「す、すみません」
レックスがじっと目を凝らす。
彼の目には確かに台の上に立たされている少女が魔術師である事が分かる。
魔力の流れが常人のそれとは大きく異なることから、見立てはまず間違っていない。
だが気になる部分も存在する。
「…………」
「気に入られたのですか?」
「馬鹿言え。俺に幼女趣味はねぇよ。大体、あんな貧相なの買ってどうすんだ」
「最近、一部の王国貴族の間では抵抗できない亜人種を陵虐する遊びが流行っているそうです」
「くだらねぇ趣味だ。到底理解できねぇな」
以前のレックスとは思えない発言だが、本人は気付いていないようだった。昔の彼ならば弱者をいたぶる事に対し、実行しないまでも『くだらない』と吐き捨てる事はしなかった筈だ。
「さぁ、是非近くに寄ってご覧ください。この者は獣王国から流れて来た獣人種族です!使用人として飼うも良し、凌辱して使うも良し。獣王の民を奴隷として飼うのも一興というもの!まだ子供ですのでお安くしておきますよ!」
「…………」
レックスが黙して語らない事に対し、部下は嫌な予感を覚える。
そしてそれはすぐに現実のものとなった。
「若……?」
「決めた。アレにしよう。丁度人手も増やしたかったしな」
「わ、若!?一体何を――!」
迷いなく奴隷商の元へ歩き出すレックス。
その背中を部下が追いかける。
「さぁ購入を希望する方、いらっしゃらないですか!?」
「おい、いくらだ?」
「おおお客様!こやつの購入を希望でらっしゃいますか?それとも他の――」
「今来たことくらい分かんだろうが。いくらかさっさと言え」
高圧的な態度に奴隷商は一瞬たじろぎ、すぐに元の調子を取り繕って会話を続ける。
こうして路上で奴隷商を営む者は少なくないが、その者達の殆どは奴隷たちを住まわせる場所を持たない格の低い商人だ。彼等にしてみれば仕入れた奴隷が売れるかどうかは日々の生活に、ひいては生死にかかわる問題。
奴隷の管理は奴隷商の仕事であり、奴隷を死なせても罪には問われないが、仕入れ値分だけ損をする。
そのため奴隷商といえども、高圧的な客に対しても丁寧な態度は崩せないのである。
「え、ええと……銀貨五〇枚となりますが……」
「分かった。ほら、さっさと持ってけ」
「うおっとと……確かに……ってお客様。この袋、随分と多いですよ?」
奴隷商の言う通り、袋の中に入った金額は銀貨五〇枚分よりも遥かに多い。
だがレックスは商人の言葉を気にする様子もなく狐人の少女と向かい合い、その瞳を覗く。
すると少女は無表情のまま、じっとレックスの瞳を覗き返してきた。
まるで、彼が来る事を待っていたかのように。
「後でうるせぇ文句言わせねぇためだ。取っとけ」
「も、勿論ですとも!さ、こちら、こ奴の奴隷身分証となります」
「……確かに。行くぞ」
「毎度!!!!」
奴隷商から身分証と共に鉄鎖の鍵を受け取ると、レックスは少女を連れて台を降りる。
そうしてその場から去るレックスの背中を、部下は溜息を吐きながら再び追うのだった。
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