万全であれ。例え万能で無かろうと。 参
■◇■
「侵略の……魔王」
フェイムがその名前を繰り返す。
不安と恐怖、そして確かな覚悟を滲ませて。
彼女が最高学府へ来た目的、彼女が魔術師を志したきっかけ。
何度も彼女を苛んできた、彼女が見た最悪の未来。
その原因として、現在最も可能性の高い存在……それが【侵略の魔王】だった。
「今から約二〇〇年前……前回の侵略では、山中の大国であったゲルミス王国が滅亡している。その前には西方の小国が複数、更にその前には現在のサラン商国の位置にあった国が滅んだ」
淡々とノアが語るもの。それは歴史だ。
かつてこの世界で起こった出来事。記録された事象である。
歴史書を紐解けば最高学府の魔術師でなくとも知る事ができる、そんな歴史だ。
「凡そ二〇〇年から三〇〇年周期……彼の魔王の侵略は繰り返されて来た」
「だからこその序列二位、ですね」
「ああ」
序列二位。それは不動の序列一位である【虚無神】を除けば最高位の序列である。
これだけを聞けば、序列一位には及ばないのだと考える者もいるだろう。
しかし、序列とはその存在が持つ影響力を可視化したもの。
故に序列の高さは必ずしも脅威を示すものではない。
実際、序列には人間種族に対して勇者も含め友好的であるものも含まれている。
だが……その中にあって【侵略の魔王】とは、ただ人間への脅威のみを以て序列二位の数字を与えられた存在である。
「神代から続く文明への侵略行為。正に人間種族にとっての天敵……最恐最悪の魔王という訳だね」
「最恐にして最悪ですか。言い得て妙ですね」
「だろう?この両方に該当するなら、まず間違いなく彼の魔王になる筈さ」
最恐と言われ、思いつく存在はいる。
最悪と言われ、思いつく存在はいる。
だが最恐にして最悪と言われれば……思いつく存在は一つだ。
「あの、すみません」
「ん?なんだいフェイム。何か質問かな」
「はい。侵略の周期は約二〇〇年から三〇〇年と仰いましたが……何故それがここ数年で起きると分かるのでしょうか。前回の侵略が二〇〇年前であるのなら、その猶予は今しばらくあるように思えます」
「良い質問だねぇ、フェイム。勿論理由はある」
にやりと笑うノア。
まるで尋ねられることを分かっていたかのようだが、実際彼女は分かっていたのだろう。
なにしろ、今日この場にフェイムを連れて来たのは彼女なのだから。
「魔術歴史部門には四つの学科があることは知っているかな」
「現代科、神代科、序列科、魔王科ですね」
「そう。実は最高学府で最も多くの学科を抱えるのは魔術歴史部門なんだよねぇ。意外かもしれないけど」
最高学府の各部門はそれぞれ幾つかの学科を抱えているのだが、その中でも魔術歴史部門が抱える学科は四つと部門の中では最多である。
これは魔術歴史部門が他の部門に比べても『歴史』という広い内容を扱うこと、加えて『序列』や『魔王』という対象も魔術歴史部門の管轄であることも理由である。
序列や魔王という概念は現代から神代を横断する概念であるため、独自の学科を必要としたという経緯があるという訳だ。
「で、その魔王科が過去に観測された魔王の魔力試料を採取して、魔力証文というものを作成しているのさ。魔力証文というのは文字通り、ある魔力が記録されたものと同一であるかを判別できる魔道具ね」
魔力証文は最高学府では珍しくない魔道具だ。
魔力同士を照合することができる魔道具で、研究用途の他にも本人確認にも用いられることもある。
一方でその性質上、作成のためには記録する魔力が必要になるため、魔王のような危険存在の魔力を照合するにも最初の魔力試料を採取しなければならない。
「魔力証文自体は単に魔力を照合するだけのものなんだけど……【侵略の魔王】の場合は特殊なんだ」
「特殊……ですか?」
「そう。要はね、彼の魔王の魔力は遠くまで届き過ぎるんだ。だから侵略が近付く……つまり、彼の魔王の魔力が高まるとその兆候として魔力証文が反応するのさ。勿論、観測用の特注品じゃないと無理だけど」
「成程……そういう方法が……」
「因みに精度は概ね数年以内。前回の侵略時からの運用なんだけど、その時は初観測から三年後に侵略があった。だから、まぁもしかしたら明日にも侵略があるかもしれない。けどこれは試行回数が少ないから仕方ないかな」
侵略の周期自体長いということもあり、観測にも誤差はある。
観測は出来たとしても、それが三年後のことなのか、それとも明日のなのかまでは分からない。
だがそれでも、かつては予測も出来ずに怯えていた事象に備えられるようになっただけでも、この魔道具の発明には意味があると言えるだろう。
しかし、例え予測できたとしても……対処できるかどうかは別の問題なのだが。
「正直、侵略が明日や明後日のことならば私達に成す術はありませんね。詰みです」
「意外に俗っぽい言葉遣いなんだねぇ、聖女様は」
「聖女の称号を授かる前には普通の少女として生活していましたから。そもそも、今の立場が私には不相応なのです。勿論、授かったからには務めさせていただきますが」
「うーん……それは私の立場からは何とも言い難いねぇ。やっぱり、聖女にだけ与えられるという神聖魔術には大変興味があるし……良ければ少し教えてくれないかい?」
「申し訳ありませんが、おいそれと口外できませんので」
そんなノアとミヤビの会話を聞きながら、フェイムは自身の思考に沈んでいた。
(数年以内……であれば、予測の時期にも反しない)
フェイムの生得魔術である〈予測の眼〉は、いつか必ず訪れる未来を見る力である。
彼女のもう一つの生得魔術である〈複写の眼〉とは異なり任意に発動することは出来ないが、その精度は百発百中。これまでに彼女が見た未来で外れたものはない。
だからこそ、彼女はある未来を回避する為に魔術師を志したのだが…その未来は今までとは異なる特徴があった。
それは、彼女が見た未来が未だに実現していないこと。
彼女の〈予測の眼〉は、これまで遅くとも数日、長くとも一週間程度先の未来を予測していた。
これだけ予測した未来が実現していないのは、今のところあの光景だけである。
(まさか、私の死後の未来を私自身が見たとは思えない。……もし仮にそうだとすると何十年か、もしかすると何百年先ということもありえるけれど……)
これは彼女の経験則ではあるが、彼女がこれまでに見てきた未来はいずれも彼女の周囲で起こるものであった。
そのため、彼女の自分の力をこう認識している。
『〈予測の眼〉とは、自分に関係のある未来を予め知る力』であると。
発動原理が未だに彼女自身にも不明であるため、例外はあるだろうが、少なくとも自身の死後までを視認範囲にしているとまでは彼女には思えない。
そして、これらのことを考えればノアの言う、数年以内の侵略が彼女の見た未来に関係する可能性は非常に高くなる。
侵略の魔王の侵略周期は約二〇〇年から三〇〇年と非常に長い。
誤差だけでも人種程度の寿命では世代が交代するに十分過ぎる時間である。
フェイムは机の下で自身の拳を力強く握りしめる。
彼女の細い指からは考えられぬ程に強く、赤く、握りしめる。
彼女が独自に調べていた候補の中でも【侵略の魔王】は最有力だった。
彼の魔王の力や規模、その所業を考えれば最も可能性が高いと言える存在だ。
勿論確証は無く、彼女自身、あの未来を二度見る事は叶っていない。
だがもし、彼の魔王があの未来を起こした張本人であったのだとすれば。
あの未来を回避する手段はたった一つしかないということに他ならない。
「……フェイム!」
「――っあ。す、すみません。少し考え込んでしまいました」
「大丈夫かい?嫌な汗が滲んでいるように見えるけれど」
「大丈夫です。……話を続けてください」
ノアはフェイムの目的を知る数少ない人物だ。
だからこそ、【侵略の魔王】が主題となるこの場にもフェイムを連れて来てくれた。
本来ならばいかに帝国の皇女と言えど、最高学府では一人の学徒でしかない彼女はこの場に参加できなかった筈なのだ。相談に乗ってくれた事も含め、フェイムも彼女には感謝している。
実際には、多分に一人で参加したくないというノアの思惑も大きく関わっているのだが……それでもフェイムにとっては、彼女は間違いなく感謝すべき人物だ。
「兎も角、数年以内に侵略が起こることはほぼ確実だ。それまでに私達人間国家は何かしらの対策を講じなければならない……まぁ、『言うのは最も無責任なことの一つである』なんだけど」
「過去には複数名の勇者が全員敗北した侵略もあったと記録にあります」
「そ。勇者であっても実力がなければ死ぬだけってことだねぇ」
侵略に備え、戦力を準備する。
確かに簡単な理論、明確な論理だが……実際には余りにも難しい。
言うは易く行うは難し。【侵略の魔王】が序列二位に君臨して幾星霜、彼の魔王がその序列を落としたことはただの一度も無い。それは彼の魔王の影響力が、序列に数えられて以来、一度も落ちたと判断されたことが無いということに等しい。
個の力としては間違いなく世界最高峰。実力の無いものが幾ら揃っても、それは無意味だ。
加えて、【侵略の魔王】の魔王の行う侵略は単なる『攻撃』ではない。
「それでも数は重要さ。なんせ、彼の魔王が行うのは『侵略』だ。いつも通りなら……それは魔物の軍勢によるものとなることが予想されます」
「予想というか、まぁ確実だろうねぇ。権能によって無尽蔵の魔力を有する魔王が数百年単位でしか侵略を行わないのも、自分の手駒が揃うのを待っている側面は大いに考えられる」
魔王が必ずしも部下を率いるとは限らない。
先日最高学府を襲撃した【焔の魔王】がそうであるように、単独で行動することを好み、部下となる魔物を有さない魔王も記録上では多い。
しかし【侵略の魔王】は侵略の度に魔物の軍勢を率いて侵略を行う、正に魔物の王。
個の力としての極み。そして大軍を率いる王としての極み。
故にこそ、【侵略の魔王】は最恐にして最悪の魔王と呼称されるのだ。
「しかも、【侵略の魔王】の配下には複数の魔王級が居ると推測されている。記録が少ないから推測だけど……いやぁ絶望的だねぇ」
「魔王級、というのは最高学府での分類でしょうか?凡その意味は推測できますが」
「おっと失礼したね。魔王級っていうのは、魔王には未分類だけど、多分魔王であると推測されてる魔物につけられる分類のことさ。ほら、魔王って自分から名乗ったりしないだろ?」
「確かに……言われてみればそうですね」
ノアの説明に納得したのか、ミヤビは相変わらず読めない表情のままで頷く。
「それでは、【侵略の魔王】の配下の中には魔王が居る……その可能性もあるということですか?」
「可能性は高い……というかまず間違いなく含まれているだろうねぇ。しかも複数」
「それでは……」
フェイムが想起するのは、あの日の真紅の空だった。
魔王。それが特別な存在であることはあの日に身に染みて理解出来た。
直接相対した訳でもないのでおかしな話かもしれないが、フェイムの身体には間違いなく、あの日に浴びた魔王の魔力……熱が焼き付いている。
それはフェイム以外でもそうだろう。壁の外に居た特待生で現場に近い場所に配属された者は特にその影響が顕著な筈だ。
そんな魔王が……複数体存在し、侵略してくる。
魔術師の上位互換である魔王が、最恐最悪の魔王に率いられて侵略する。
余りに絶望的な未来だ。
「大丈夫……とは到底言えないね。公式的な魔王の討伐事例は、暫くないし。法国でもそうだろう?」
「そうですね。魔王級という分類は恥ずかしながら初めて耳にしましたが……魔境に国土を隣接させる法国では、かねてより現在記録されている数以上の魔王が魔境に住まうと考えられています。それでも、魔王を討ち果たした事例は残されていません」
「では、それでは……」
最初から、人間に勝てる見込みがあるのか、そんな言葉がフェイムの喉から飛び出そうになる。
だがそれは決して言ってはならない疑問だ。特にこの場に集まった者達には特に。
「そうだね。でも未登録の魔王が居る……それ自体は悲観的とも言えないんだよフェイム」
「どうしてでしょうか?」
「勿論未だに人間に対して敵対的な魔王は多い。というか、登録されている魔王の殆どはそうだしねぇ。でも、そんな中で未登録ということは『人間に敵対する意思がない存在である』……そうとも捉えないかい?」
「確かに……それは有りえるように思います」
「だろう?」
ノアの言う通り、魔王とは人間が付けた称号のようなものだ。
魔王とは人間に認識されて初めて、魔王として呼ばれるようになる。
そして多くの場合、人間に初めて認識される時というのは人間と戦った時だ。
人間と敵対し力を見せつけて初めて魔王は【魔王】になる。
「勿論、未登録の魔王の全てが人間に敵対的でない、というのは希望的観測が過ぎるとは思うけどねぇ。というかそもそも、これは【侵略の魔王】の配下の魔王級以外の話だし」
「じゃあ駄目じゃないですか……!?」
フェイムは一瞬安心しかけたが、確かにそうである。
ノアの話が該当するのは、完全に未確認の魔王の話であって、【侵略の魔王】の配下には当てはまらない。なにせ、既に人間と敵対的な行動を取っており、加えてその交戦の記録が残っていないということは……そういうことだからだ。
「まぁまぁ落ち着いて。勿論、理由はあるよ」
ややこしい話をしたことを少し反省しているのか、ノアが珍しく苦笑しながら続ける。
「一つは、今回は準備できる期間があること。二つは、今の時代は人間側の戦力もかなり揃っていることだ」
「先程は時期が最悪と仰っていたのでは?」
「うん。でもそれは国家単位で見た時さ。人間全体の総力戦で見れば……まだ可能性はあると考えている。勿論、零が一になった程度だけど。あ、勿論一〇〇が最大ね」
「零が……一に……」
どこかの国が確実に滅ぶという可能性は依然として高い。
そして【侵略の魔王】の侵略がどこかの国を対象としたものである以上、〈予測の眼〉で見た未来通りならばその対象となるのは……フェイムの祖国である帝国だ。
だがそれでも、人間という種族全体が力を結集させれば。
あくまでノアの予測でしかないが、可能性は零ではない。
それはつまり、あの未来を回避できる可能性が存在するということ。
確実に訪れる筈の未来を変える希望が……残されているということだ。
「それに、可能性が低いと分かっていても、私達は最善を尽くさなければならない。君も聞いたことがあるんじゃないかな?」
「『万全であれ。例え万能でなかろうと。』ってさ」
■◇■
〇魔力証文
かつてのヴィーボアの門主が発明した魔道具。
登録した魔力同士を照合させることができる。
精度は非常に高く、まず偽装は不可能であるとされている。




