92 相談
92
帰りたい。
超帰りたい。
帰ってベッドに入って忘れてしまいたい。
けど、水商売なんて絶対に言いそうにないカナンが言い出したのだ。
ここで放っておいて本当にお水の商売にデビューなんてしたら後悔するのは目に見えていた。
俺はカナンの選んだ相談相手ではない事を考慮したとしても、放置するという選択は選べそうにない。
少なくとも俺としてはマルスを信じるかどうかで迷った時にもらった一言がありがたかったのだ。
あの一言の恩返しはしなくては道義に反する。
隣のリィナも似たような結論に至ったのか、真剣にマルスとカナンを見つめていた。
マルスは頬に手を当てて少し考えて、落ち着いた声音でカナンに尋ね返した。
「カナンちゃん、水商売って意味はわかってるのかしら?」
「えっと、女の人が、男の人に、サービス? するって聞きました」
かなり曖昧な表現だ。
とりあえず、水商売という言葉に含まれるただの飲食業ではなく、頭に『接待』とかが付く感じのニュアンスで言っているらしいのはわかった。
その中でも幅が広いからなあ。
ホステスぐらいならまだしも、風俗系を想定しているなら大変だぞ。
「それは誰から?」
「サムエルさん、と。ミレーヌさん、と。マリアンヌ先輩、です」
どういう面子だ。
前の二人はともかく、マリー先輩まで一緒というのは考えなかったぞ。
「えっと、この前、カルロ君が行っちゃった後、四人で、ちょっと、話して」
「それって俺がグニラエフ立石群に行く前の時?」
こくんと頷くカナン。
確かにあの時は四人が揃っていたな。
あの後に一度寮に戻って着替えているけど、すぐに飛び出したから誰にも会わなかった。
まさか、そんな話が進んでいるとは思いもしなかったな。
「お金、稼ぐの、どうしたらいいかな、って、聞いたら、サムエルさんが、アルバイト、すればいいって」
学生のアルバイトは禁止されていないし、それなりの生徒が帝都で働いていたりする。
授業料さえ払ってしまえば生活するのには困らないけど、勉強道具や資料、他にも趣味の物を買いたいならお金が必要だ。
「急いでいるって言ったら、ミレーヌさん、お金くれるって、言ってくれたけど、それはダメだって、思ったの」
「そうね。どうしてもって時じゃないならお金の貸し借りは関係を壊してしまうから」
「うん。そしたら、マリアンヌ先輩の、知り合いの、耳の長い人がきて、お金が欲しいなら、水商売すればいいじゃない、って、男の人に、サービスするだけで、がっぽがっぽだって、私なら、目をつぶって、天井の染みを、数えているだけで、大丈夫って、言ってくれて」
マリー先輩の知り合いか。
となると、三年生の特待生かもしれないな。
っていうか、耳の長い人?
え? それって精霊族じゃないの?
ええ? 竜帝国の学習院に精霊族の人がいるの?
別に禁止はされていないはずだけど、精霊族って基本的に隠遁生活してるから人前に出るのも珍しいはずなんだよなあ。
獣人族だったら、竜帝国に帰順している部族もあるからまだわかるんだけど……。
実際に会ってみない事には何とも言えないか
でも、マリー先輩以外の人って本当に出歩かないのか、そもそも寮にいないのか、食堂でも見かけないんだよな。
というか、その人の言う水商売あかんやつだ。
完全に風俗じゃん。
俺と同じ想像をしたのか、リィナが隣でもじもじしちゃってるよ。
「マリアンヌ先輩が、真っ赤になって、怒って、その人、どっか、行っちゃって」
「あー」
ファッションビッチ先輩だからなあ。
その手の話をされたら過剰反応しそう。
「でも、私、お金、いるから、水商売、しようって、思って、でも、一人じゃ、怖いから、マルスさんと、いっしょなら、大丈夫かな、って」
とはいえ、そのマルスはここ数日、ずっと俺とリィナを心配して余裕がなかったから相談できなかったわけだ。
それで、ようやく事態が落ち着いたから相談に来た、と。
あっぶねえ。
カナンが勇気を出して一人でアルバイト探しに行かなくて本当に良かったよ。
下手したら、ある朝、ロビーでボロボロになったカナンが泣きじゃくってるとか、悲惨な結末に辿り着いていたぞ、これ。
ビビり小動物で良かった。
あと、その耳の長い先輩は要注意だな。
「うん。わかったわ。まず、あたしに相談してくれてありがとう」
「じゃあ、マルスさん。いっしょに」
「ふふ。もうちょっとソフトな感じなら興味もあるけど、これはダメよねえ。特にカナンには難しいと思うわ。だから、忘れなさい?」
「え、でも、私……」
「忘れなさい?」
余程、お金に困っているのだろう。
カナンが珍しく食い下がるけど、マルスも彼女の肩を両手で掴み、満面の笑みを浮かべて、有無を言わさぬ口調で繰り返した。
当然だ。
どう考えてもカナンに向いた仕事じゃない。
「でも、お金……」
「まずはそこについて、ちゃんと話してもらえないかしら?」
「ああ。そうだな。そもそもカナンは特待生になったんだ。浮いた授業料があるはずだろう。それはどうしたんだ?(問題があるなら相談に乗るぞ)」
金貨百三十枚。
一般的な平民家族が普通に生活するなら十年は暮らせる金額だ。
貴族ならともかく、平民にとってはかなりの大金だ。
リィナの指摘にカナンは小さく体を丸めてしまう。
あー、まだリィナの口調に慣れていないんだな。
ビビられてリィナまで傷ついてしまったみたいで、俺の制服のブレザーをちょいっと摘まんでぷるぷるしている。
「それで、入学金はどうなったの?」
俺が促してみると、カナンは縮こまったまま首を横に振った。
「私、特待生、なれなかったら、入学、できなかったの」
「授業料免除狙いで試験を受けたの?」
こくんと頷くカナン。
授業料は用意していなかった、と。
主席か次席になれなかったら合格しても辞退するつもりだったのか。
意外に大胆というか、度胸があるというか、自信家というか。
「お金がないのはわかったけど、どうしてそんなにお金が必要なの?」
「えっと、その……」
カナンは俺たちを何度も見回して、あたふたとして、やがて覚悟を決めた。
いかにも必死な様子で顔を上げたと思ったら、唐突に俺たちに背を向ける。
「カナン?」
「あの! これ、見てください!」
いきなりスカートをまくり上げた。
「え?」
「は?」
「ん?」
赤い毛糸のパンツが見えたと思った瞬間、 バシィィィンッといい音を立てて、平手打ちじみた手のひらが俺の顔面に炸裂。
そのまま空中で半回転してひっくり返った。
「カルロは見ちゃダメ! カナンも何してるの!?」
リィナが悲鳴みたいな声を上げている。
かなり動転しているのか口調が女の子みたいだ。
それにしても今のは見事な一撃だった。
儂をして見切る事も許されない超高速の平手。
気づいた時には吹っ飛んでたぞ。
うん。
決して、俺がカナンのパンツを凝視していたせいで反応が遅れたわけじゃない。
「早くしまいなさい! マルスも何か言わないか!」
口調がぐちゃぐちゃになっているな。
グニラエフ立石群でもそうだったけど、慌てるとリィナはこうなるのか。
「リィナ、待って。これ」
「なんだ!? ん、これは……」
「カナンちゃん、これって本物、よね?」
「うん。そう。あ、触っちゃ、ダメ。くすぐったい」
「あら、ごめんなさいね」
え?
何が起きてるの?
マルスはカナンの何を触ったの?
すごい気になるけど、上からリィナがギンッと睨んでいるから起き上がれない。
あと、この体勢だとリィナのスカートの中身が見えちゃうんだけど、その辺り気づいていないのもどうしようか?
とりあえず、紳士的に目をつぶっておくけどさ。
ああ。水色のボクサーショーツは忘れるのだ。紳士的に。
「そういう事ね。でも、どうせならこっちを見せた方が早いでしょうに」
「あ、うん……」
「カルロ君、もう起きて大丈夫よ」
ようやく許可が下りて、目を開けて起き上がる。
恥ずかしそうにカナンはソファに座っていて、もちろんスカートも元に戻していた。
リィナとマルスは複雑そうな顔をしている。
「カナン、そっちを見せてあげて」
「ひゃ、ひゃい」
マルスに促されて、カナンは耳元の髪を持ち上げた。
茶色のセミロングの髪の下に隠れていた耳が露わになる。
ピンと立った三角の耳。
髪と同色の茶色く薄い毛並。
緊張しているのかピクピクと動いている。
人とは違う獣の耳だった。
「それって……」
「本物みたいね。あと、お尻にも短いしっぽがあったわ」
俺の聞きたい事をマルスが先に教えてくれた。
なるほど。
さっきは露出に目覚めたわけじゃなく、それを見せようとしたのか。
「じゃあ、カナンは」
「はい。私、ネズミの獣人族の、亜人、なんです」
ぷるぷると震えながら、カナンはそんな告白をした。




