70 マリアンヌ・ビラ・シス・トワム
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しかし、マルスは捕まらなかった。
寮のロビーで待っていても、帰ってきたのはカナンだけ。
なかなかうまく説明できないカナンから辛抱強く話を聞き出すと、食堂での噂を聞いたらどこかに行ってしまったらしい。
「しばらく、帰らない、かもって、言ってました」
やっぱりマルスはリィナと第三皇子の因縁を知っている。
果たしてリィナを探しに行ったのか、それとも独自で行動しているのか。
「すごい、謝って、ごめんって、でも、行かないと、いけないって」
マルスの焦りが伝わってくるようだ。
そうでもなければ、面倒見のいいマルスが人見知りのカナンを一人で帰らせたりしないだろう。
「それぐらい急がなきゃまずいわけか」
「だと、思います」
「どこに行ったかはわからない、よね?」
「ごめんなさい。商店街の、方だと、思うけど」
具体的にどこかはわからない、と。
「カナンが謝る事じゃないよ。気にしないで」
「あら、あなたたち?」
誰かと思えば制服を脱いで、ドレス姿に着替えたエロビッチ先輩、じゃなかった。マリー先輩だ。
体のラインを強調して、胸元やスリットもかなり際どいドレスだけど、そんな恰好でどこに行くつもりなんですか。
そして、カナン。
怖いのはわかるけど、背中に飛びつかないでくれ。
「リィナ君は一緒じゃないの? お姉さん、待ってたんだけど」
お昼に帰ってこなかったのは正解だった。
あと、このドレスはリィナを籠絡するための衣装だった。
肉食過ぎて怖い。
「カルロ君なら知ってるでしょ? ねえ、お姉さんに教えてよ。お願いだから。ちゃんと、お礼もしてあげるわよ?」
なに、この人。
武術の達人みたいな足運びで間合いを詰めて来たんだけど。
無駄に密着してくるから胸元に柔らかい感触が……儂、チェンジ!
「お嬢さん、こんな誘い方は感心できんな」
儂はそっとマリー先輩の肩に手を置いて、失礼にならない程度に距離を取る。
急な変化に戸惑った先輩だが、プライドを傷つけられたと思ったのか、すぐに笑みを強くした。
表情こそ笑顔だが、目は肉食のそれ。
戦闘用の笑顔だのう。
「あら。冷たいわね、カルロ君。わたしの事、きらい?」
再び距離を詰めようとしてくる気配。
密着して動揺を誘い、そこから崩してくるつもりだろう。
だから、その前に儂から一歩前に踏み込んだ。
建てた指先で唇を塞ぎ、できるだけ敵愾心を煽らないよう柔らかい声で語って聞かせる。
「そんな誘い方ではお嬢さんの格が下がってしまうと言っているのだよ」
「……知りもしない女に言う事かしら?」
「そうだのう。事情があるのはわかるよ」
彼女の名前、マリアンヌ・ビラ・シス・トワム。
トワムというのは竜帝大陸の北西部に散らばる自由連合と同じ名だ。
自由連合は竜帝国に恭順しない中小規模の国家の集まりで、議会政治を執り行ており、その議長役を任される国家の名がトワム。
長い歴史の中で自由連合=トワムという認識になっておる。
異国風の名前にトワム。
つまるところ、彼女はトワムの国からの留学生にして、様々な役割を押し付けられた子なのだろう。
「竜帝国にとっては人質。母国にとっては高貴な身分の者との繋ぎ役。まったく、こんな可憐な娘にいい大人が揃いも揃ってつまらぬ真似をする」
正鵠を射たのだろう。
マリー先輩は悔しげに、あるいは諦めて、目から険が落ちた。
「もう。名前だけでそこまでわかるものなの? それとも外でわたしの噂でも聞いてきちゃった? いい噂なんてなかったでしょうけど」
「噂など知らんよ。聞いていたところで意味もない。儂は儂が知るマリー先輩の事しか信じんからの」
「へえ、じゃあ、わたしの何を信じるの?」
何気ない言葉には様々な感情が込められていた。
怒り、悲しみ、諦め。
マリー先輩自身でさえ把握できない気持ち。
それをわかっているなどとは口が裂けても言えん。
だから、やはり儂に言えるのは、儂が見て知る事だけよ。
「本当は純情なのに、国のために己の役目を果たそうとする、健気で頑張り屋な女の子だという事ぐらいかのう」
でなければ、三年生の彼女が新入生のリィナを狙うものかよ。
本当に悪女だというなら、二年もあって本命を決めていないわけもあるまい。なにせ、この学習院には第三皇子なんて人物もいるのだからのう。
それに、彼女は一般科の次席。
優秀な成績を残しているのだ。
男漁りなんぞしている暇はないだろうよ。
大方、二年間は失敗続きでちっとも成果を出せず、最後の一年になって国からせっつかれたといったところかのう。
「そんな恰好や言葉なんか使わなくとも、マリー先輩は魅力的な女性じゃよ」
「っ、なんなのよ、もう……」
マリー先輩は恥ずかしいのか顔を赤らめて、俯いてしまった。
まったく、俺も酷い事を言う。
エロビッチ先輩なんぞじゃないわい。
あー、青柳君が言っていたのう。
そう、彼女はファッションビッチ先輩じゃよ。
「あー、もう! 本当にあなたカルロ君なの? 言葉づかいも変だし、態度変わりすぎじゃない!」
「ふふ。それは秘密じゃよ」
やっと年頃らしい雰囲気になったのう。
うんうん。マリー先輩はそんなふうにしておった方が魅力的じゃ。
ほれ、そろそろ俺も戻って来い。
「あー、気にしないでください。その色々あるんです」
「色々って、あ、元の感じに戻った?」
マリー先輩はじっと観察するように俺を見つめてくる。
儂、やりすぎじゃないか?
どうみても本気で口説き落としているようにしか見えなかったんだけど。
「カルロさん、すごい、です」
ほら、背中のカナンも驚いちゃってるじゃない。
とにかく、俺はこんな事をしている場合じゃないのだ。
「すみません。俺、マルスを探しに行かないといけないんで」
「マルスって、あの、すごいの?」
「はい。そのすごいのです」
これで伝わるんだから便利だな。
人探しもさぞ捗る事だろう。
まずは商店街で聞き込みから始めよう。
マリー先輩はあごに指を当てて考え込んでから、俺の袖をきゅっと握ってきた。
なんだろう。
さっきみたいに密着されるより、よっぽどドキドキしそうになる。
「それって、リィナ君に関係ある事だったりする?」
紳士的な態度で、間違えたら注意してくれて、相手の事情を聞かずとも察して、ほしい言葉をくれる。
そんな爺。




