42 出発
42
五日後。
俺は部屋を見回してひとつ頷く。
忘れ物はない。
手荷物は旅行鞄だけ。
学習院に入れば制服は支給されるし、細々とした物は向こうで揃えればいいし、大聖堂を使って取りに戻ってもいい。
「行こうか」
最後の確認を終えて、荷物を肩に背負い、部屋を出る。
一人部屋になってから五年過ごした部屋を後にする。
食堂の前を通る。
ちらりと覗くと昨日の片づけは手つかずだった。
汚れた食器が流しに置かれて、机や椅子がバラバラになっている。
前日の夜はパーティを開いてもらった。
経済的に余裕が出ても普段は節制を心がけている孤児院にしては全力全開だった。
頻繁に帰るつもりだけど、こういう区切りは盛大に騒ぐもんだ、というティレアさんの主張である。
けど、豚の丸焼きとか出てきた時は本気で驚いたよ。
しかも、それを作ったのがティレアさんだという。
どこでそんな料理を覚えて聞いてみたけど、はぐらかされてしまった。
それにしても、俺の母親の手料理の味は豚の丸焼きって……。いや、いいんだけどね。
儂曰く、かなり難しい料理らしいし。っていうか、儂も豚の丸焼きを料理できるとか、いつもながら前世の経験がおかしい。
非常に珍しくティレアさんはお酒に手を出して、ロミオ兄とアリア姉も付き合っていた。
酔っぱらったアリア姉がストリップショーを始めて、ロミオ兄が鼻血だらけになりながら紳士的に上着で隠していたり。
真似をしたシャンテが下着姿で踊り出したりして、ティレアさんに叱られたり。
結局、最後は俺の背中に隠れてしまい、そのままコアラみたいにしがみついて、離れなかったり。
うん。
かなりカオスだったけど、楽しかった。
思い出したら泣きたくなるぐらい楽しかった。
「うっし!」
頬を叩いて気合を入れ直す。
こんな事で感傷的になってどうする。
そのまま孤児院を出た。
「来たか」
「………」
ノルト神父が待ち構えていた。
いつも通りの神父服姿。
朝早いというのに一分の隙もない立ち姿。
うん。いつも通りだ。
「おはよう、ございます」
「おはよう。旅立ちにはいい天気だ。竜帝様もお前の旅立ちを祝福してくださっているのだろう」
ロザリオに祈るノルト神父。
それもいつもの事、なんだけどさ。
「その、後ろの、それは?」
「そうか。町からは歩いてくるからカルロが見るのは初めてか。紹介しよう、これが私の愛機だ」
楽しげに微笑むノルト神父。
楽しげに、微笑む、ノルト神父。
有り得ないから二度言ってしまった。
その顔、実は石仮面かなんかじゃないの、なんて巡廻授業の生徒に言われているノルト神父が微笑むとか、有り得ないだろう。
そんな有り得ないノルト神父が、ポンとハンドルを叩いた機械に目を向ける。
俺は見た事がないけど、儂にはそれが何かわかった。
「バイク?」
「ふむ。カルロはこいつを知っているのか。なかなか見どころがあるな。旅の途中で語らうのも良いかもしれん。だが、バイクというのはまだ広く知られていない名前だ。魔導二輪と呼ぶといい」
ご指導ありがとうございます。
知識としては知っていたけど、帝都に行く前に実物を見るとは思わなかった。
魔導の力を利用した二輪車だ。
俺も、儂も、あまり専門的な事はわからないけど、前世で大型二輪と分類されていたものだろう。
重量感どころか威圧感すら宿した、流線型のシルエット。
黒と銀の二色が朝日を受けて煌めき、鋼鉄の機体からはドッドッドッと音が早朝の孤児院に響いている。
その横側には空席のサイドカー。
「これで魔導列車の駅まで連れて行く。ここから五日だが、共に風と踊ろうではないか」
誰だ、こいつ。
俺の知っているノルト神父じゃないんだけど。
よく似た偽者じゃないの?
「あー、やっぱこいつか」
「ティレアさん」
見送りに来てくれたティレアさんが溜め息をついている。
「相変わらず好きだなあ、そいつ」
「発明された魔導具の中で最も優れた一品だろう」
「カルロ。知らんだろうが、ノルト神父はこういう人なんだ。諦めろ」
知りたくなかったよ、そんなの。
げんなりしながら、それでも指示されたようにサイドカーへ荷物を入れて、ヘルメットを装着してから座席に着く。
隣ではバイク――魔導二輪にまたがったノルト神父がグローブの感触を確かめていた。こちらはヘルメットの替わりに飛行帽みたいな帽子とゴーグルを装着している。
これで準備はできた。
後は出発するだけだ。
「おい、カルロ」
呼ばれた先には家族がいた。
ティレアさん。ロミオ兄。アリア姉。そして、シャンテ。
最初にロミオ兄がやってくる。
「僕と、それから町の人からだよ。筆記用具とノート。あっても困らないだろう」
「ありがとう。皆にも伝えておいて」
「わかった。カルロならどこに行っても大丈夫だとは思うけど、頑張って。家の事は僕に任せてくれ」
「うん。頼りにしてる。それから、言うまでもないと思うけど」
「ああ。アリアとシャンテに近づく不埒な輩は打ち滅ぼしてみせる」
さすが長男だ。
俺がいなくなって調子に乗った奴らを得意の槍で打ち据える姿が目に浮かぶようだ。
ロミオ兄の隣にアリア姉が来た。
「はい。お昼に食べてね」
「ありがとう」
「ノルト神父の分もありますから。どうかカルロをよろしくお願いします。」
「ありがたく頂戴する。そして、カルロも竜帝様に誓って送り届けよう」
「カルロ」
優しく抱きしめられる。
甘いアリア姉の香りがした。
「体に気を付けてね。ご飯もちゃんと食べてね。病気になったらすぐにあたしを呼んでね」
「大丈夫。ちゃんとするから」
抱きしめ返して、背中を軽く叩いておく。
アリア姉を心配させてはロミオ兄に折檻されてしまうからね。
「ほら、それぐらいにしとけ。カルロがいつまで経っても出発できねえぞ」
シャンテを連れたティレアさんがアリア姉を促して、ロミオ兄が一緒に下がる。
ティレアさんはにやりと笑った。
「ま、派手に暴れて来いよ。ここまで噂が届くぐらいにな」
「うん」
「ただし、あんまり不埒な噂だったら、オレがしつけに行くから、覚悟しとけよ?」
「う、うん。その不埒って?」
「決まってんだろ、そのロープを使った『悪戯』だよ」
「了解、しました」
冷や汗を浮かべて敬礼するしかない。
ティレアさんはそんな俺の頭を乱暴に撫でると、シャンテの背中を押して下がった。
「シャンテ」
「おにいちゃぁん」
既に涙が結界寸前になっている。
でも、涙がこぼれる事はなかった。
「シャンテ、がんばる!」
「うん」
「がんばってね、やりたいの、見つけるの!」
「うん」
「がんばるから、お兄ちゃんも、がんばって!」
「うん」
言葉はそこまでが限界だったようだ。
口をぎゅっと引き結んで、泣くのを我慢している。
俺はサイドカーから身を乗り出して、その小さな手を握り締めた。
「シャンテ、覚えてる?」
「?」
「シャンテが頑張って、頑張って、それでもどうしてもなんとかならなかった時に、なんて言えばいいか」
シャンテは首を傾げている。
あの時の事はちゃんと覚えていないようだから無理はないかな。
だから、改めて教えておこう。
「それはね、『お兄ちゃん、助けて』だ。そうしたら俺が何からでもシャンテを守るよ」
ぎゅうっと痛いほどに手を握り返された。
それはシャンテの想いの強さなのだろう。
「そろそろ出発予定だ」
「はい」
このままではいつまでも手を放せないと思ったのだろう。
ノルト神父に促されて、俺たちは互いの手をゆっくりと放した。
「じゃあ、みんな。行ってきます!」
「出すぞ」
魔導二輪が大きな音を立てて動き出した。
孤児院を出て、離れていく。
見慣れた景色が後ろへと流れていく。
最初はゆっくりと、けど、ギアが入れ替えられる度に加速していく。
振り返って手を振れば、皆も手を振っていた。
シャンテが一番前で、一番大きく手を振っている。
もう離れてしまって顔も見れない。
それでも、俺は孤児院が見えなくなるまで手を振り続けた。




