第6話:ミリ単位の亀裂と、不意の微熱
元同僚の騎士たちを追い払ってから数日。工房の中には、以前にも増してピリついた緊張感が漂っていた。
カシャン……ウィーン……ガシャコン。
レオンハルトは作業場の中央で、右腕の義肢をゆっくりと前方に突き出し、拳を握り込んでいた。 魔導銀と真鍮で組み上げられた腕は、光を反射して冷たい輝きを放っている。指先の一本一本が微細な機械音を立てて収縮し、木製のダミー用木剣をしっかりと握りしめた。
「……カルラ殿。肘関節の可動域は良好だ。握力も、以前の肉体にかなり近づいている」 「……」
カルラは作業台に肘をつき、指の間から冷ややかな視線を注いでいた。 彼女の目の前には、羊皮紙にびっしりと書かれた計算式と、魔力流動のグラフィック図面が広げられている。
「自慢げに言ってんじゃないよ、頑固中尉。私の目をごまかせると思ってんのかい?」
カルラは手にした羊皮紙をポンと叩くと、乱暴に立ち上がった。
「指先を握り込む時、右の肩甲骨がわずかに上へ三ミリ引っ張られてる。魔力伝達のラグもコンマ一秒遅れてるよ。あんた、また義手のパワーに自分の身体を無理やり合わせて動かしてんだろ」
「……」
レオンハルトの表情がわずかに強張る。
「私の義肢はね、着けてるやつの身体の延長線上として動くように作ってんだ。義肢の力に振り回されて自分の筋肉を痛めつけてたら、何の意味もない。無理に『完璧に動いてます』みたいなツラすんじゃないよ」
カルラはレオンハルトの目の前に立つと、つま先で彼の左脚の義足を軽く小突いた。
「左の軸足もそうだ。右手を握るたびに、義足の膝関節にかかる荷重が外側に逃げてる。あんたが『騎士としての動き』を取り戻そうと焦れば焦るほど、私の作った精密なパーツが悲鳴をあげてんだよ!」
「……焦っては、いない」
レオンハルトは低く静かに反論した。
「俺はただ、お前が作ってくれたこの腕と脚の性能を、極限まで引き出そうとしているだけだ。お前の技術は完璧だ。ならば、それに応えるのが使い手としての――」
「使い手としての『義務』かい? 反吐が出るね!」
カルラは冷たく言い放つと、作業台からドライバーと精密測定器をひったくった。
「言ったはずだよ。あんたの意地だの大義だので私の作品をすり減らすなってね! 自分の身体の声すらまともに聞けない素人が、知った風な口をきくんじゃないよ。服を脱ぎな、再調整だ!」
吐き捨てるような毒舌。 だが、レオンハルトは言い返さなかった。カルラの指摘が寸分の狂いもなく正しいことを、自分自身の肉体の痛みが一番知っていたからだ。
無言で上衣を脱ぎ、作業用チェアーに腰を下ろす。
カルラは膝をつき、レオンハルトの右肩と胸元の筋肉に直に触れた。 ひやりとした彼女の指先が、強く張った僧帽筋と大胸筋をたどる。
「……ほら見ろ。筋肉が硬直してカチカチじゃないか。こんな状態で無理に魔力を流し込んだら、神経の先端が焼け焦げるよ」
カルラは文句を言いながらも、手際よく義手のコネクタを外し、ソケット内部の魔導伝達針の角度を微調整していく。 その距離は、息がかかるほど近い。
カルラの真剣な横顔。無造作に結ばれた琥珀色の髪から漂う、油と柑橘系のアロマオイルの匂い。 手際よく工具を動かす彼女の指先には迷いがなく、どこまでも確かな職人の自負が宿っていた。
(……この女の腕は、本物だ)
レオンハルトは、真上から自分を覗き込むカルラの瞳を見つめながら、改めて確信していた。 口を開けば毒ばかりで、こちらの事情など一切配慮しない。だが、その手先は驚くほど繊細で、レオンハルト自身すら気づいていない微小な身体の歪みや悲鳴を、完璧に見抜いて修正してみせる。
「……何じろじろ見てんだよ。痛いなら痛いって言いな」
「痛みはない。……ただ、お前の手際に見惚れていた」
「は……!?」
カルラは工具を動かす手をぴたりと止めた。 見上げると、レオンハルトの澄んだ青い瞳が、逃げ場のないほど真っ直ぐに自分を捉えていた。
「な、なにバカなこと言ってんだよ! 集中の邪魔だ、黙ってな!」
カルラはあわてて顔を背けたが、耳の先端がカーッと熱くなるのを隠しきれなかった。 以前のように「大嫌い」と言い合ってぶつかり合うだけではない。この男は、時折こうして無自覚かつストレートに自分の「技術」や「手先」を肯定してくるのだ。
(……やりにくい。やりづらくて仕方がないよ……!)
カルラは動揺を隠すように、カチャカチャと乱暴にパーツを締め直すと、立ち上がって胸を張った。
「はい終わり! 調整完了だ。……今日の午後は、その腕で庭の薪割りを五十本やりな」
「薪割りか」
「当たり前だろ! 剣を振る前に、まずは薪割りで『物を叩く衝撃』を身体に覚えさせんだよ。一丸太切るごとに軸足の位置を確認しな。……途中で腕が外れたって、助けてやらないからね!」
「承知した」
レオンハルトは右手の義手を一度固く握り締めると、迷いのない足取りで庭へと向かった。
午後。
カンッ! カンッ! と、乾いた木撃音が庭に響き続けていた。
レオンハルトは右手の義手で薪割り斧を握り、左脚の義足で地面を強く踏みしめながら、黙々と薪を割り続けていた。 一斧振るうたびに、義手から右肩へ、そして背骨を通って左足へと衝撃が突き抜ける。
(……ズレがある。まだだ。カルラが言っていた『身体と同調する感触』には、程遠い)
汗が滝のように顎をたどり、地面へ落ちていく。 すでに五十本などとうに超えていた。八十本、九十本。 一度コツを掴みかけると、レオンハルトは周りが見えなくなるまで没頭する癖があった。失われた歳月を取り戻したいという、無意識の焦り。
ガシャン!
百本目を超えたところで、不意に左脚の義足のロックが外れ、レオンハルトは薪の山へ激しく倒れ込んだ。 右肩に鋭い痛みが走り、義手のソケット部分から過剰負荷を告げる警告の小さな魔導光が点滅する。
「……ぐっ……!」
「――いい加減にしな、この大バカ野郎!!」
庭の勝手口から、カルラが怒髪天を突く勢いで飛んできた。
彼女は倒れているレオンハルトの胸元を力任せに掴み上げると、手にしていた冷えた水バケツの中身を、容赦なく彼の頭から浴びせかけた。
ザバーン!!
「……っ!?」
「冷やしな! 熱暴走してんのは義肢じゃなくて、あんたの頭だよ!」
冷水を浴びて呆然とするレオンハルトに、カルラは肩で息をしながら叫んだ。
「薪五十本って言っただろ! なんで倍以上割ってんだよ! 自分の体力の限界も見極められないで、何が『民を守る』だ! 途中で倒れて死んだら、あんたのその大義とやらはどうなるんだい!?」
「……俺は……」
「言い訳すんじゃないよ!」
カルラはレオンハルトの濡れた前髪をぐっと掴み上げ、至近距離でその青い瞳を睨みつけた。 その瞳には、激しい怒りと――そして、かすかに潤んだ熱が宿っていた。
「私はね……! あんたがどれだけ頑固で、どれだけ死にたがりでも……私の作った作品が、あんたの過信のせいで壊れるのが許せないんだよ! あんたの身体はもう、あんた一人だけのものじゃないんだ! 私の技術と、時間が詰まってんだよ!」
「……」
激しい怒声。 だが、その言葉の裏にあるのは――「二度と無茶をして自分を壊すな」という、不器用極まりない制止の叫びだった。
レオンハルトは、冷水を滴らせながら、じっとカルラを見つめた。 彼女の手が、自分の髪を掴む指先が、かすかに震えていることに気づく。
「……すまなかった、カルラ」
レオンハルトは左手で、カルラのその震える手首を、優しく包み込むように包んだ。
「……お前の言う通りだ。俺はまた、焦りに呑まれていた。お前の作品を……お前の情熱を損ねるような真似をして、申し訳ない」
「……っ」
「もう無茶はしない。お前の指示に、すべて従う。……だから、そう怒らないでくれ」
氷の騎士と呼ばれた男の、酷く穏やかで、掠れた声。 水もしたたる男前の顔で、申し訳なさそうに視線を下げられると――カルラの胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように跳ね上がった。
「~〜〜〜っ! 触るんじゃないよバカ!!」
カルラは真っ赤になって手首を振り払うと、バケツを投げ捨てて工房へ駆け戻っていった。
「今日の夕飯は抜きだからね! 薪の片付けが終わるまで入ってくるんじゃないよ!」
バタン! と勝手口のドアが猛烈な音を立てて閉まる。
残されたレオンハルトは、濡れた顔を拭いながら、自分の左手を見つめた。 先ほど触れたカルラの手首の細さと、そこから伝わってきたかすかな体温。
(……不機嫌で、手に負えない女だ)
そう思いながらも、レオンハルトの唇には、確かな温もりをたたえた小さな笑みが浮かんでいた。
お互いの譲れない「腕」と「信念」。 激しくぶつかり合いながらも、二人の歩調は、少しずつ、しかし確実に重なり始めていた。




