第4話:市場の視線と不揃いのステップ
「いいかい、今日の買い出しはあんたの歩行訓練も兼ねてるんだからね。一歩でもへばったら、今日の夕飯はパンの耳だけだよ」
秋の冷たい風が吹き抜ける王都の市場。 大きな竹籠を背負ったカルラは、歩幅を緩めることなく雑踏を進んでいた。その二歩後ろを、重い木製の仮義脚を鳴らしながらレオンハルトがついていく。
ガシャン、カツン。ガシャン、カツン。
不格好でぎこちない金属と木の足音。 先夜、カルラに激しく叱責されて以降、レオンハルトは無理な身体の使い方をやめ、カルラに叩き込まれた「重心の移動」を一つひとつ確かめるように歩いていた。左足を踏み出し、重心を乗せ、仮関節のロックがかかった瞬間を見極めて右足を出す。
まだ動きは硬いが、倒れる回数は劇的に減っていた。
「……カルラ殿、もう少しゆっくり歩いてはくれまいか。買い出しの品を落としてしまいそうだ」
レオンハルトの左手には、キャベツや根菜が詰まった重い網袋が握られている。右袖と左の裾が空風にたなびく彼の姿は、どう見ても異様だった。
周囲の視線が、痛いほど二人へ注がれる。
「あれ、騎士団の服じゃないか?」 「腕も脚もないぞ……可哀想に、あの戦でやられたのかね」 「おい見ろよ、女に荷物を持たされて……惨めだな」
ひそひそと交わされる哀れみと好奇の囁き。 レオンハルトは視線を真っ直ぐ前に向けたまま、ピクリとも表情を変えなかった。戦場で身を削り、民のために戦った結果がこの姿だ。だが、彼はそこに一切の見返りも同情も求めていなかった。
しかし――前に立つカルラの歩みが、ぴたりと止まった。
「……チッ」
カルラは振り返ると、怒気を含んだ琥珀色の瞳で周囲の野次馬を一睨みした。
「何じろじろ見てんだよ、暇人ども! 人の身体にケチつけるヒマがあったら、自分の腐った性格の心配でもしてな!」
「か、カルラ殿!?」
突然怒鳴り散らしたカルラに、レオンハルトは目を見張った。 カルラは街の住民たちに向かってつかつかと歩み寄ると、腰に手を当てて啖呵を切る。
「いいかい! この男はね、あんた達が温かいメシ喰ってぬくぬく寝てる間に、戦場で全身ボロボロにして帰ってきたんだよ! 同情するくらいなら自分の足で立って商売しな! 惨め? ふざけるんじゃないよ、この男は私の最新作のパーツを載せて自分の足で立ってんだ! この世で一番頑丈で格好いい義足なんだよ!」
まくし立てるカルラの勢いに押され、ひそひそ噂話をしていた街の人々は散り散りに逃げ出していく。
「……はあ、胸くそ悪い。行こう、頑固中尉」
カルラはフンと鼻を鳴らすと、何事もなかったかのように再び歩き出した。その耳たぶが、怒りのせいか少し赤くなっている。
レオンハルトは、網袋を握りしめたまま呆然と立ち尽くしていた。 騎士団の仲間でさえ、彼の傷姿を見ると「痛々しい」「言葉もない」と目を背けた。だが、この女は違う。哀れむどころか、彼の傷ついた体を「誇らしいもの」のように言い放ったのだ。
「……カルラ殿」
「何だよ! さっさと歩きな、置いてくよ!」
「……感謝する」
「だから感謝なんて求めてないって言ってんだろ! ほら、次は肉屋だよ!」
照れ隠しのように早足になるカルラの後ろ姿を追いかけながら、レオンハルトの胸の奥に、これまで感じたことのない温かい感情が広がっていた。
夕方。買い出しから戻った二人は、工房の作業場で荷物を降ろした。
「よし、今日の歩行速度と重心移動のデータは上々だね。……明日はいよいよ、仮義手の装着テストをするよ」
カルラは作業台の布をばさりと取り払った。 そこに置かれていたのは、真鍮と魔導銀で作られた、人間の右腕の形をした美しい義手だった。精緻な歯車と魔導回路が組み込まれ、鈍い光を放っている。
「……これが、俺の右腕か」
レオンハルトの瞳に、息をのむような光が宿る。
「勘違いするんじゃないよ。これはまだ関節の運動性と魔力伝達のテスト用だ。指先の細かい連動はまだオミットしてある」
カルラはレオンハルトに歩み寄ると、彼の右肩の切断部位に専用のハーネスを取り付け、義手を固定した。 カチリ、と硬質な金属音が響く。
「いいかい、肩の残存筋肉を動かすイメージで、脳から微弱な魔力を流し込みな。焦らなくていい、まずは肘を軽く曲げるだけで――」
言い終わる前に。
ウィーン……ガシャコン!
レオンハルトが意識を集中した瞬間、義手の肘関節が滑らかに曲がり、指先が綺麗に握りこぶしを作った。
「……なっ!?」
カルラは目を見開いた。
通常、初めて義手を装着した人間は、魔力信号の伝達がうまくいかず、義手が暴走するか全く動かないかのどちらかだ。脳の認識と金属の可動部を同調させるには、数週間におよぶ精神トレーニングが必要とされる。
だが、レオンハルトの義手は、まるで最初からそこにあった自分の腕であるかのように、静かに、完璧に動作していた。
「動く……。手が、動くぞ……!」
レオンハルトは自分の右手を持ち上げ、指を一本ずつ開閉させた。 失われたはずの感覚。再び自分の意思で動く「右腕」の存在に、彼の唇がかすかに震える。
「ば、バカな……! 初回でここまで魔力伝達経路を完全に同期させただと……!? あんた、どれだけ集中力が異常なんだよ……!」
カルラは驚愕のあまり言葉を失っていた。 だが、レオンハルトは感極まった様子で、カルラに向かって右手を差し出した。
「カルラ殿……すごい。これは素晴らしい技術だ。お前は……本当に凄腕の装具士だな」
真っ直ぐで、一切の飾りのない称賛。 氷の騎士と呼ばれた男の、心からの感謝が込められた言葉。
カルラはその差し出された「右腕」を見つめ――次の瞬間、急激に胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
(な、なに……これ……)
自分が作った義手。完璧に動いて当然だ。 だが、目の前の男にまっすぐな瞳で見つめられ、手放しで褒められた瞬間、心臓が跳ね上がるように鳴り響いた。
「……ふ、ふん! 当たり前だろ! 誰が作ったと思ってんだ!」
カルラはあわてて視線を逸らし、乱暴にレオンハルトの手を振り払おうとした。 しかし、新しくついた義手は加減が難しく、レオンハルトはカルラの手首を思いのほか強く握り返してしまう形になった。
「あ……すまない、まだ力の加減が――」
「ひ、引っ張るんじゃないよバカ!」
バランスを崩したカルラが、レオンハルトの胸の中に飛び込むような格好になる。 引き締まった胸板の厚みと、男らしい体温。そして、彼から漂う汗と薬草の匂い。
至近距離で重なる視線。
「……カルラ殿」
「っ……!」
カルラは顔を真っ赤にすると、レオンハルトの胸を力任せに突き飛ばした。
「触るな変態中尉! 明日は早朝から義手の微調整だからね! さっさと寝ろ!」
カルラは作業台の工具を盛大な音を立ててぶちまけながら、逃げるように二階へ駆け上がっていった。
残されたレオンハルトは、自分の右手をじっと見つめ、首をかしげた。
「……変態? 俺はただ、感謝を伝えたかっただけなのだが……」
自分の不器用さに苦笑しながらも、レオンハルトは握りしめた右手の中に、たしかな「再起の感触」と、自分を怒鳴り散らすあの女性への、消えそうにない温かい感情を感じていた。




