第10話:山道の風と、不意の刃
王都の喧騒を離れ、郊外の山道へ入ると、澄んだ秋風が木の葉を揺らしていた。
先ほどまでの工房での重苦しい気まずさは、木々の隙間から差し込む木漏れ日と豊かな緑の匂いに洗われ、少しずつ解け始めていた。
「おい頑固中尉、足元に気をつけな。そこは土が崩れやすくなってる」
先頭を歩くカルラが、竹篭を背中に背負い直しつつ振り返った。
「案ずるな。……これくらいの山道、義足の接地バランスを測るには丁度いい」
カツン、カツン。
レオンハルトは斜面を踏みしめながら、足裏から伝わる傾斜と土の柔らかさに合わせて、微細に左脚の義足へ魔力を送り込んでいた。 先ほどまでのぎこちなさが嘘のように、彼の足取りは安定している。
「……フン、言うようになったじゃないか。でも無理すんじゃないよ。今日ここへ来たのは、鉱脈周辺に生える『青結晶苔』を採るためだからね。私の義肢の魔導回路の伝達効率を三割上げる触媒だ」
カルラは道端の岩に腰を下ろし、小瓶の水で喉を潤した。 レオンハルトもその隣に立ち、山々のパノラマに目を細める。
「……爽やかな風だな。こうして空を見上げるのも、久しい気がする」
「……あんた、騎士団にいた頃は山登りなんかする暇もなかったろ」
「ああ。朝から晩まで訓練か、陣営での作戦立案、あるいは遠征だ。……生きている実感など、考えたこともなかった」
レオンハルトは静かに自分の右手の義手を見つめた。
「だが、お前と出会って……美味いものを食い、雑用をし、街を歩き、こうして山を登る。失った肉体と引き換えに、俺は多くの『生きている実感』をもらった」
「……っ」
カルラは急に水筒の蓋を乱暴に閉め、顔を背けた。
「……またそうやって、恥ずかし気もなくストレートなこと言って……。あんたは本当、無自覚なタラシだね」
「タラシ……? 我はただ、お前への誠実な想いを言っているだけだが」
「それがタラシだって言ってんだよバカ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶカルラに、レオンハルトは苦笑した。 工房の密室では互いに意識しすぎてこんがらがっていた感情が、澄んだ山空気のもとで素直に噛み合い始めていた。
――その時だった。
ガサガサッ!!
茂みが激しく揺れ、野太い咆哮が山道に響き渡った。
「グオォォォン!!」
現れたのは、通常のクマの倍はあろうかという巨躯を誇る魔獣『剛鉄熊』だった。岩のような硬質化した皮膚と、丸太のように太い前脚。背中には赤く光る魔晶石がへばりついている。
「な……剛鉄熊!? なんでこんな里山に……!」
カルラが息をのんだ。山奥の狂暴な魔物が、餌を求めて人里近くまで下りてきていたのだ。 剛鉄熊は二人を捕食対象と見なすと、地響きを立てて猛スピードで突進してきた。
「カルラ殿、下がれ!!」
レオンハルトは左手でカルラの細い肩を押し引き、自身が前に出た。
「バカ言んじゃないよ! あんたはいま剣も持てないし、義肢だって完成してないんだぞ!」
カルラは腰の作業用ナイフを抜き放ち、レオンハルトの前に立ちはだかろうとした。 一職人にすぎない彼女だが、自分の客であり作品であるレオンハルトを身を挺して庇おうとする。
「私の後ろに隠れな! 私の作品を壊されてたまるか!」
「――戯れ言を!!」
レオンハルトの声が、山腹を震わせた。 かつて数多の修羅場を潜り抜けてきた『不屈の騎士』の圧倒的な覇気が、一瞬で溢れ出す。
「お前を傷つけさせるくらいなら、この身がいくら砕けようと構わん!!」
レオンハルトは右手の義手を構えた。 未完成の義手。剣もない。だが、彼の瞳に宿る蒼炎は、一切の恐れを知らなかった。
「グオォォッ!!」
巨熊の太い前脚が、カルラに向かって振り下ろされる。
レオンハルトは左脚の義足に最大限の魔力を打ち込み、地を蹴った。 鋭い痛みが切断部位を突き抜けたが、それを意地と執念で押し潰す。
ガシィィン!!
「……くっ……!!」
レオンハルトは右手の義手で、巨熊の丸太のような前脚をダイレクトに受け止めた。 真鍮と魔導銀の関節が悲鳴を上げ、バチバチと火花が散る。強烈な衝撃が右肩を襲い、足元の土が大きく削れた。
「レオンハルト!!」
「カルラ……指示をくれ!!」
レオンハルトは噛み砕くような声で叫んだ。
「俺のこの右腕と左脚……どう動かせば、最大の力を発揮できる!! お前の技術と指示を、俺に預けろ!!」
その言葉に、カルラの脳裏の霧が一瞬で晴れ渡った。
(そうだ……! この男は私の『作品』だ! 私の指示通りに動けば、負けるはずがない!)
カルラは恐怖を吹き飛ばし、鋭い眼光で巨熊とレオンハルトの姿勢を凝視した。
「左の軸足を三十度外へ開け! 衝撃を腰へ逃がしな!」
「――承知!!」
レオンハルトは指示通り、左脚の義足をわずかにずらした。 その瞬間、右肩へかかっていた殺人的な負荷が、スムーズに骨盤へと逃げ、体制が完璧に安定した。
「次は右肘の第三ギアを可逆回転! 魔力を一気にソケットへ集中させて……押し返せ!!」
「オオオオオッ!!」
レオンハルトが右肩の筋肉を爆発させると、義手の内部でカチリとギアが噛み合い、爆発的な推進力が生まれた。
ドガァン!!
なんと、レオンハルトの右腕一本の押し返しにより、巨躯の剛鉄熊がたじろぎ、大きく体勢を崩したのだ。
「今だ! 背中の赤い魔晶石の下……そこに弱点の核がある! 私のナイフを使いな!」
カルラは腰のナイフをレオンハルトへ放り投げた。
レオンハルトは左手でナイフを完璧にキャッチすると、義足で力強く踏み切り、空中へ跳躍した。 かつて千の戦場で培った、殺陣の勘。 そして、カルラが寸分の狂いもなく弾き出した最高の指示。
ふたつの『天才』が、完全に噛み合った。
「――穿て!!」
一閃。
ズドォン!!
レオンハルトの放ったナイフが、剛鉄熊の核を正確に貫いた。 巨熊は絶叫を上げ、そのまま地響きを立てて倒れ伏し、二度と動かなくなった。
静寂を取り戻した山道。
レオンハルトは肩で息をしながら着地し、振り返った。 右手の義手からは、過負荷による白い蒸気が上がっている。しかし、パーツはどこ一つ破断していなかった。
「……ハァ……ハァ……。怪我はないか、カルラ」
レオンハルトが歩み寄ると、カルラは手に持っていた竹篭をぽろりと落とした。
そして――。
ダッ!!
「カルラ殿!?」
カルラは猛烈な勢いで駆け寄ると、レオンハルトの広々とした胸の中に勢いよく飛び込んだ。
両腕を彼の首に回し、力任せに抱きしめる。
「ば、バカ……! バカ野郎……! 無茶しやがって……! 壊れたらどうすんだよ……!」
カルラの声が、震えていた。 レオンハルトの胸に押し当てられた彼女の顔から、ぽろぽろと温かい涙が溢れ出し、彼の服を濡らしていく。
レオンハルトは一瞬驚いたように目を見開いたが、やがて優しく、残された左腕でカルラの細い背中を抱きしめ返した。
「……すまない。だが、お前を守れて良かった」
「う……うるさい……! 私の作品のくせに……勝手に格好つけるな……!」
カルラは胸元に顔を埋めたまま、泣きじゃくった。
初めての共闘。 お互いの圧倒的な「技術」と「強さ」を認め合い、命を預け合った二人の距離は、もはや「装具士と患者」という境界線を完全に踏み越えていたのだった。




