第11話:解けかけた氷と、抱きしめた体温
剛鉄熊の巨躯が山道に横たわり、静寂を取り戻した木々から秋風が吹き抜けていく。
レオンハルトの胸に顔を埋めたまま、ぽろぽろと涙をこぼしていたカルラは、自分の口から出た言葉と今の体制の異常さに、遅まきながらハッと正気に戻った。
(な……ななな何やってんのさ、私はーーーーっ!?)
冷えた山風のなか、レオンハルトの左腕がしっかりと自分の背中を抱きすくめている。 彼の胸板の分厚さ、生きている証である力強い鼓動、そして首筋から漂う汗と柑橘系の練り薬の匂い。そのすべてがダイレクトに肌へ伝わってきた。
「……っ、は、離しなよバカ!!」
カルラは真っ赤になって跳ね起きると、レオンハルトの胸を力任せに突き飛ばした。
「ぐっ……!?」
「な、何抱きしめてんのさ! 変態! すけべ! 誰が抱きつけなんて言ったい!」
「お前が跳びついてきたのだろう……?」
突然突き放されたレオンハルトは、左足の義足で踏ん張りながら首をかしげた。 だが、その青い瞳にはいつもの冷徹さはなく、困惑と――そして、どこか痛いほどに優しい光が宿っている。
「う……ううるさい! 涙が出たのは煙のせいだよ! 剛鉄熊の背中の魔晶石が不完全燃焼して目に入ったの!」
「煙などどこにも出ていないが……」
「煙が出たと言ったら出たの!!」
カルラは地面に落ちていた竹篭をひったくるように拾い上げると、そっぽを向いて猛然と歩き出した。 しかし、その耳たぶから首筋にかけては、熟し切った熟柿のように真っ赤に染まっている。
レオンハルトは残された左手で己の胸元をそっと触れた。 先ほどまでカルラの顔が押し当てられていた場所に、ほんのりと温かい涙の湿り気と、彼女の体温が残っていた。
(……温かかった)
自分を守るためにナイフを投げ、己の指示を全霊で託してくれた女性。 戦場で右腕と左脚を失った時、世界すべてから「終わった男」として扱われた自分が、この女の指示一つで再び『誰かを護る力』を発揮できたのだ。
レオンハルトは、過負荷で白い蒸気を微かに上げる右手の義手を見つめ、静かに拳を握り締めた。
「待ってくれ、カルラ。……荷物を持つ」
「いらない! 触るんじゃないよ!」
ぷりぷりと怒りながら先を行くカルラの背中を、レオンハルトは重厚でたしかな足取りで追いかけていった。
夕暮れ時、二人は無事に工房へ戻ってきた。
山道での一件以降、カルラは極力レオンハルトと目を合わせないようにしていたが、作業場に入るや否や、職人としての顔へ一瞬で切り替わった。
「……頑固中尉、そこに座りな」
「ああ」
指示された作業用チェアーにレオンハルトが腰を下ろすと、カルラは手際よく工具箱を開け、測定器と精密ドライバーを準備した。
「右腕のソケットを外すよ。剛鉄熊の一撃を直接受け止めたんだ、内部のギアと魔導伝達針に歪みが出てるはずだ」
カルラがレオンハルトの右肩に近づく。 ひやりとした彼女の指先が、右肩の傷口とソケットの境目に触れた。
ピクッ、とレオンハルトの筋肉が反応する。
「……動くなと言ったろ」
「……すまない」
レオンハルトは視線を斜め下へ落とした。 今朝までは「不甲斐ない焦り」や「気まずさ」から魔導回路を狂わせていたが、今は違う。彼女の指先が触れるたびに、胸の奥が締め付けられるような甘い熱気が広がり、どうしようもなく動動してしまうのだ。
カルラはカチャカチャと音を立てて義手を取り外すと、真鍮のソケット内部を覗き込んだ。 そして――息をのんだ。
「……なによ、これ」
「何か不具合でもあったか?」
「不具合どころじゃないよ……!」
カルラの声が、僅かに震えていた。
ソケット内部の魔導伝達針。通常なら強い衝撃を受ければ折れるか曲がるかして、魔力伝達が遮断されるはずの精密パーツ。 それが、レオンハルトの強烈な集中力と、カルラの指示を完璧にトレースした魔力制御によって、綺麗に「最適な角度」へ焼き付いて馴染んでいたのだ。
「あんた……あの土壇場で、私の指示通りの魔力流動を、寸分の狂いもなく義手へ流し込んだんだね……」
「お前が言ったのだろう。『私の指示通りに動けば負けるはずがない』と」
レオンハルトは、真上から自分を見つめ返すカルラの琥珀色の瞳を、正面から見つめ返した。
「俺はお前の技術を信じている。お前が『逃がせ』と言えば逃がし、『押し返せ』と言えば押し返す。俺の肉体はお前の道具であり、指示に従うのは当然だ」
「……っ」
「……いや、道具という言い方は正しくないな」
レオンハルトは左手を伸ばし、作業台の縁を握っていたカルラの手に、そっと自分の手を重ねた。
「お前は俺の……唯一無二の、相棒だ」
真っ直ぐで、偽りのない言葉。 氷のように冷たかった男の瞳の奥に、揺らぐことのない確固たる情愛が宿っていた。
カルラの手が、ぴくりと跳ねる。 重なったレオンハルトの手の温もりが、痺れるような熱となって彼女の指先から全身へ駆け巡った。
(相棒……。唯一無二の……)
今まで自分の作る道具を「便利だから」「金になるから」と買っていく客はごまんといた。 だが、自分の作った義肢をここまで信じ抜いて、己の命を預け、そして自分自身を「相棒」と呼んでくれた人間が、過去にいただろうか。
胸の奥が、ぎゅーっと苦しいほどに絞めつけられる。 大嫌いだったはずの堅物騎士。 自分とは真逆の『大義』に生きる男。
なのに――いま、目の前にいる男のことが、世界で一番愛おしく、誇らしく思えてしまっている自分がいた。
「……ふ、ふん!」
カルラはあわてて手を引き抜くと、真っ赤になった顔を隠すように背を向けた。
「う、口だけは達者になったね! 相棒なんて気安く呼ぶんじゃないよ! 私はあんたの雇い主で、職人なんだからね!」
「そうだったな。失言だった」
「分かればいいんだよ! ……ほら、今日の可動データをもとに、明日から本格的に『魔導銀の本義手・本義足』の鍛造に入るからね!」
「本義手……?」
レオンハルトが目を見張る。
仮義肢でのリハビリ段階を終え、いよいよ彼専用の「本物の魔導義肢」を作り上げる段階へ入るというのだ。
「当たり前だろ! あんな木と真鍮の練習用で剛鉄熊を倒しちゃうようなバカに、いつまでも練習道具を付けさせておけるかい!」
カルラは作業台の奥から、山道で採取してきた『青結晶苔』と、最高級の魔導銀インゴットをドスンと並べた。
「あんたがもう一度、騎士として……いや、一人の男として完璧に立てるように、私の最高傑作を作ってやるよ。感謝して、毎日ふかふかのベッドで寝られるように極上の仕上がりを待ちな!」
勝ち誇ったように胸を張るカルラ。 その横顔には、職人としての眩しいほどの誇りと――そして、大切な存在へ捧げる深情けが溢れていた。
レオンハルトは、自身の右肩を撫でながら、心からの笑みを浮かべた。
「ああ。楽しみに待っているよ、カルラ」
気まずかった二人の距離は、ひとつの死線を乗り越えたことで、絆という名の強固な歯車となって深く噛み合い始めていた。




