権利
【読者の皆様へ】
今話には、集団自死および転落に関する直接的な描写・音の表現が含まれます。
過去の経験や現在の精神状態により、強いストレスを感じる恐れがある方は、ご自身の体調を優先し、閲覧をお控えいただくか、十分にご注意ください。
万が一、心身に不調を感じた際は、閲覧を中断し、専門機関等への相談をご検討ください。
なお、本作はこれらの行為を肯定・助長する意図は一切ございません。
今日は8月19日。水曜日。
人類滅亡まで、本来なら225日だ。
私はエンディングノートを机の上に広げて唸っていた。
(遺書って何書いたらいいんだろうなぁ…。)
一応書いたほうがいいと思っていたが、いざ書くとなると何を書いたらいいのかわからない。
いや、すぐに思いつくほうがおかしいのかもしれない。
時刻は11時25分だ。
そろそろ行かなくては…。
私は自室から両親の寝室に出る。
そこにはいつものように母が横たわっていた。
その隣には、父がカップ酒を煽っている。
「いってきます。」
そうとだけ告げて、私は自宅を出た。
鍵を閉める音だけが、寂しそうな音を響かせた。
学校の正門に到着する。
普段なら鍵が閉まっているが、この手のタイプは鍵がなくても開けられる。
そもそも先客がいるのだ。空いているに決まってる。
靴を履き替え、三階に上がる。
普段私たちの教室も三階だ。
しかし、今日はその上に行く。
屋上の鍵は空いていた。
ドアを開けると、灼熱の太陽が照りつけてくる。
目の前には、3人の生徒が立っていた。
「やっ、来たんだね。」
朗らかな笑みを浮かべるのは、一週間前に電話をかけてきた生徒、名取風香だ。
屋上から無表情で街を眺める小柄な生徒。
修学旅行の時に風香共に同じ班だった、根岸恵麻だ。
そしてもう1人。スマホを見つめて座りこむ長髪の生徒。
保泉花音も揃っている。
「こっちだよ。」
風香さんがそう声をかける。
私たちは無言でついていった。
屋上の出入り口になっている建物にかかっている梯子に登る。
熱風が頬を撫で、いつもよりものがよく見えた。
私は不意に、下にある校庭を見下ろす。
グラウンド、駐輪場、植え込み…。
ごく当たり前の景色が全く違って見える。
足がぐらぐらし、息が苦しくなってきた。冷たい汗が背中を伝っていく。
振り返ると3人は、手を繋ぎ、お互いを軽く抱き合うようにして立っている。
その姿を見た私は、無意識のうちに口を開いていた。
「ごめん、私、やっぱり無理だ。」
自分でもびっくりしている。なんでここまできて?と思っている。
しかし、心が必死に叫んでいるように感じた。
3人が私を見つめる。
「あの…なんていったらいいのかわからないけど、まだ、できないっぽい。ごめん。」
私は頭を下げていた。
あたりに沈黙が降りる。
最初に口を開いたのは風香さんだった。
「分かった。止めないよ。」
その笑みは、今まで見た風香さんのどの笑顔より、冷たく、柔らかく、遠いものだった。
恵麻さんが手を伸ばす。
本能的に手を差し出した私の手を、そっと握った。
それに倣うように、他の2人も私の手を握った。
何も言えない。なんて言ったらいいのかわからない。
それでも、彼女達は逝ってしまう。何か言わなければいけない気がするのに…。
でも、私は何も言えず、俯くことしかできなかった。
校舎を1人で歩く。
階段を降り、靴を履き替え、昇降口から外に出る。
頭の中が真っ白だった。
思考が追いつかず、脳に霧がかかったみたい…。
私はとぼとぼと校庭を歩き、正面玄関に歩いていく。
次の瞬間、
重いなにかが地面を叩くような、絶望を音になおしたような、鈍い音が鼓膜を揺らした。
「…ぁあ」
半開きになった口から声が漏れる。喉の奥から熱いものが駆け上がり、その場に蹲る。
息を吸って、吐いて、吸ってを繰り返す。何度繰り返してもうまくいかない。
鞄からスマホを取り出し、3桁の番号を押す。
スマホを耳に押し当てる手が大きく震える。
通話が繋がる。オペレーターの声はびっくりするほど落ち着いていた。
私は震える声を絞り出し、しどろもどろになりながら通話をした。
玄関の扉をゆっくり開ける。
電気も点かず冷房も効いていない室内は蒸し暑い。
扉を閉め、私は力なくその場に座り込んだ。
何分その場に座っていただろうか。
室内に嗚咽が響き、だんだんと大きくなっていく。
熱い水が頬を伝い、浅い息はどんどん激しくなる。
あの時の3人の顔が、
浮かんでは消えて、また浮かんで、消えていく。
私は靴を履き替える気力もないまま、フローリングに頭を擦り付け、涙を流した。
ただ、あの3人が握ってくれた手の温かさが、もうなくなってしまったことがわからなくて、
失わせてしまったこと、止めなかったことを痛感させられた。
3人が握ってくれた手は温かさを失い、今は冷たく濡れて震えていた。
深夜にこれを書くと複雑な気持ちになりますね。氷室八弥です。(読み方:ひむろやや)
今回、とてもセンシティブな内容になっています。
繰り返しになりますが、当該行為を推奨・助長する意図は全くありませんのでご了承ください。
読んで不快感があった方・体調が悪くなってしまった方がいたら申し訳ありません。
ご意見・ご感想、お待ちしてます。




