地球最期の夏
今回から、結衣ちゃんの不穏な夏休みが始まります。
「地球最期の夏」楽しんでいただけたら嬉しいです。
7月24日。人類滅亡まで残り257日。
外ではミンミンゼミがうるさく鳴いている。
教壇に立った先生は、長期休み前の典型分をつぶやいていた。
「それではですね、皆さん体調に気をつけて、有意義な夏休みにしてください。昼夜逆転してる間に終わってたなんてことにならないように、宿題は計画的に手をつけてください。
それと、安全のために『誰と・どこに行くのか・何時までに帰るか』をしっかり伝えてから…」
小学校からずっと聞いてきたことだ。耳にたこができる。
私は机に頬杖をつきながら、青々とした空を見つめる。
入道雲が生クリームのように膨らんでいた。
終礼のチャイムが鳴り、椅子を引く音が教室内に響く。
今日、7月24日から9月1日までの40日間。
立河市立錦中学校は夏休みに入る。
学校から出ると、生気を奪うような陽光が脳天を焼いてきた。
全身から汗が滲み出てくる。
(今日から40日間。ただで冷房を使えなくなるのか…。)
磐城家は、父である磐城修が出社拒否気味なことから手取りが減り、
簡単に冷房を使うことができなくなっているのである。
(…登校拒否は誰にも迷惑かからないから結構だけど、家族がいるんだからちゃんと仕事してよ…。)
最近は、酩酊状態か二日酔い以外の父を見ないという怪現象が起こってる磐城家だ。
そのうち肝硬変にでもなるんじゃないか。
磐城家に治療費を払うお金があるのか。
そんなことばかり考えてしまうのだ。
「結衣ちゃーん、置いてかないでよ〜!」
パタパタと後ろから追いかけてくるのは美鈴ちゃんだ。
「あーごめん、考え事してた。」
「一緒に帰ろ。しばらく帰れないでしょ?」
「そうだね。」
私たちは肩を並べて炎天下の通学路を歩いた。
「あー嫌だなぁ。これから毎日地獄の宿題と親の介護だよ。面倒くさい。」
「結衣ちゃんのおばさん大変そうだよね。…あのさぁ、人の家のことでここまでいうのは失礼だけど、本当に困ったら病院行きなね?」
最近私が家での鬱憤をぼやくので、美鈴ちゃんに余計な心配をかけてしまっている。
でも正直、誰かに気持ちを吐き出せて気持ち自体は楽だ。
「大変だよ。40日もあるもん。」
「そっかぁ…。いつでも電話かけといでよ。話聞くからさ。」
爽やかな笑みで美鈴ちゃんは私の肩に手をおく。
申し訳なさと安堵感で、不思議な気持ちになる。
私はありがとうと返し、なるべく明るく笑うように努めた。
無言で玄関の扉を閉める。
屋外でも、湿度のせいかうだるような暑さは変わらない。
玄関で靴を脱ぐ。
扉を開けてリビングに入るが、中は散らかっている。
床中に埃が積もり、所々にゴミが溜まっている。
(面倒くさがらずにいい加減捨てないとな…。)
私はリビングから隣の部屋に移る。
そこにはベットの上に座り込む母がいた。
髪の毛はぼさぼさで、頬がこけている。
体重は3月からだいぶ落ち、手足は骨の凹凸がはっきり見えるようになった。
(3月までは元気だったのにな。)
どこか寂しさを覚えながら、母の視線の中に入るようにしゃがむ。
「お母さん、ただいま。」
焦点を失いかけた目が私の姿をゆっくりと捉える。
「……あ…。」という、小さな声が聞こえる。
今ではずっとこんな調子だ。
四六時中ここに座って、何やらぶつくさ言っている。
そして隣では父が熊の唸り声の様ないびきを立てている。
(自分の妻がこんな調子なのに、気にならないのかこの人は…)
心の中に溜まる憤りをため息に変えて吐き出す。
『本当に困ったら病院行きなね?』
美鈴ちゃんの言葉を無意識に反芻する。
私は鞄の中からスマホを取り出すと、液晶をスクロールしていく。
その様子を、母が呆然と眺める。
目的のウェブサイトを見つけると、その画面を母に見せつけ、小さな声で言った。
「お母さん、病院行こうよ。」
医師が電子カルテが表示されたパソコンの画面を眺める。
隣では、鳥の巣のような頭を適当に結んだ母がぼんやりと座っている。
「結衣さん、お母さんさんの診断はお手持ちの診断書の通りになりますので。」
椅子ごと向き直った医師は母の顔を一瞥しながら、隣に座る私に声をかけた。
名札には「稲福」という名札がかかっている。
私は母、磐城紬の診断書に目を落とす。
「うつ病」と大きく書かれた紙に、私は小さく息を吐いた。
「お母さんね、1人でもうご飯作るとかお風呂入るとか、難しくなっちゃってるから。結衣さんの方から促してもらうか…お父さんに手伝ってもらうのがいいかな。」
「父は、『母さんが病気なのは世界のせいだ。俺にはどうしようもない』って言ってました。」
稲福先生は「そっか」と渋い顔をする。
カウンセリングや問診で精神運動停止や希死念慮を指摘された母は、重度のうつ病と診断された。
今日から抗うつ薬や抗不安薬を服用することになる。
「やっぱり、真空崩壊がトリガーかもね。」
「私もそう思います。」
私と稲福先生ばかりが喋る。母はさっきから口を噤んでいる。
「家も大変だと思うけどさ、結衣さんもちゃんと休まないとだめだよ。参っちゃうから。」
先生に諭すように言われた私は、小さく首を縦に振った。
その後、諸注意をメモした私は、母の手を引いて診察室を後にした。
体にどっと疲れが押し寄せる。
これかの生活を考えるだけで気が重い。病みたくなるのはこっちだ。
そんなことを考えながら、私は心療内科を出た。
蝉がうるさいくらい鳴き、太陽はじりじりと照りつける。
地球最期の夏は、看護一色になるだろうなと、私は残り35日の夏休みを案じた。
ゴールデンウィークはいかがでしたか?氷室八弥です。(読み方:ひむろやや)
先述の通り、今回から不平和かつ不穏な夏休みの始まりです。
今回からちょっと怪しいのですが、これから結衣ちゃんの環境が著しくひどくなります。
読むことによって精神的な影響を受ける可能性もありますので、十分ご注意ください。
よろしくお願いします。
ご意見・ご感想、お待ちしてます。




