第八十八杯「彼女のリメイク」
新しい朝が来た。
9月半ばに入ったというのにまだ暑い。じっとりと寝汗をかいている。
シャワーを浴び、下着を替え体臭対策はしっかりする。
しないと寧音姉がうるさいからだ。
その寧音姉はここ最近生徒会の事や受験で忙しいのかこっちにあまり来ていない。
来たら来たで愚痴に付き合わされて面倒なのだけれど。
僕は、お茶を淹れて一口飲んでその熱さに顔を顰めた。
………
……
…
教室に入ると、いつものように前の方の席で、ヘアゴムで短めの髪を2つのお下げにしている板野さんが勉強をしていた。
彼女の勉強量は僕以上、下手すると学年トップクラスかもしれない。
それでも学年50位くらいをウロウロしてるのは、要領の悪さや限界なのだろうか。
「板野さん、おはよう」
「おはようございます」
一学期の春とは違い、会ったら挨拶くらいはする関係になった僕達がいつものように挨拶をする。
けれどもここからはいつもと違う。
「……何ですか?」
机の前から動かない僕を見て、板野さんが顔を上げて問いかけてくる。
僕は、単刀直入に切り出した。
「板野さん、競技かるた部を辞めたって本当?」
「……ええ、まあ」
板野さんが、うつむいたまま答える。
「1年生の子達に理由を知らないかって聞かれたんだけど、理由は何?」
「……それは、大鳥君には関係のない事です」
「いいやあるね。板野さん、茶道部も辞めるつもりでしょ?」
板野さんが、下を向いた顔を上げる。
その表情から感情は読み取れない。
いつも淡々としている彼女は読めない相手だ。
マイペースで崩れない相手。そういう相手にはこっちから仕掛けてペースを崩さないといけない。
スローボールを投げたり、クイックで投げたり、逆に足をゆっくり上げたりしてペースを崩す。それがマイペースで崩れない相手を崩すコツだ。
「茶道部を辞めようとしてる理由、当ててみようか。経験者なのにそのアドバンテージがなくなってきてるのと、瀬川さんにお茶を点て直すよう言われて傷ついたからでしょう?」
「……っ、どうして、それを……」
「中学時代に、野球経験があるけどレギュラーになれなかった先輩がいたんだ」
小学校の時に野球クラブに入っていたその先輩は、中学で野球部に入った当初は他の先輩達より上手い人として扱われていた。
けれども半年も経たない内に、初心者の先輩にすら抜かされてレギュラーが取れないどころかベンチにすら入れなかった。それもベンチに入れない2人の1人になってしまった。
もう1人の方はそこで辞めてしまったけど、その先輩は辞めなかった。
2年になって、3年生の先輩が引退すればベンチには入れる、いやレギュラーになれると思って。
しかしそこに、目の上のたんこぶこと僕が現れた。
「その先輩はいつも一番早くグラウンドに来て、一番遅くまでグラウンドに残ってる人だったよ。でもレギュラーになれなかったんだ。そして僕にこう言ったんだ。『お前がいるせいで、俺はレギュラーになれないんだ』ってね」
「……その先輩は、ピッチャーだったんですか?」
「いや、外野手。僕はマウンドに立たない時はショートやサードを守ってたからポジションは被ってないね」
「言いがかりじゃないですか」
板野さんの言う通り、ただの言いがかりだ。
でもその先輩にとっては、繋がっている事だったんだろう。
「僕が不調になった時、その先輩はすごく喜んでたよ。でも結局レギュラーにはなれなかったし、試合にもほとんど出られなかったね」
「……」
「自分と似てる、そう思ったかい?」
板野さんが、眉の端をピクリと持ち上げる。
「競技かるた部を辞めたのは、これ以上頑張っても試合に出れそうにないから。茶道部を辞めようとしてるのは、経験者であるプライドが傷つけられたから。違うかな?」
「……イヤな人ですね、大鳥君は」
板野さんが、フウと息を吐く。
「大鳥君の言っている通りですよ。競技かるた部を辞めたのは試合に出られないからです。経験者とはいえ1年生の子にも勝てませんし、来年新しい1年生が入ってきたら益々居場所がなくなるからです。辞めた方が合理的でしょう?」
「そうだね」
その辺の考えは理解している。僕は彼女を止めるつもりもない。
でも……
「板野さん。瀬川さんはどうしてあの時板野さんにお茶を点て直すよう言ったと思う?」
「……それは、大鳥君に関係ない話じゃないですか?」
「いいや、あるよ。僕は瀬川さんからその理由を聞いてるから」
「……」
僕の言葉に、板野さんが目を瞬かせる。
「板野さんの考えてる理由、聞かせてみてよ」
「……それは」
「言えばスッキリする事もあると思うから」
「……」
板野さんが、僕から目を逸らしながらハアとため息を吐いた。
「私が、茶道の経験者だからですよ」
そして瀬川さんと同じ答えを言った。
「私は小学生の頃、瀬川さんの家とは違う流派の茶道を教わりました。瀬川さんの家の流派の作法とは、違う作法の流派です。私が瀬川さんの流派の作法と違う作法でお茶を点てているのが気に入らなかったんでしょう」
しかしそこから先が間違っていた。
「結局彼女も、私の事を見下している傲慢な人だったという事でしょう。自分の容姿を鼻にかけて……」
「ストーップ、板野さん。それは誤解だよ」
「誤解?」
「うん。瀬川さんが板野さんにお茶を点て直すよう言ったのは違う理由なんだ」
「……違う理由。何ですか?」
「それは瀬川さんに直接聞いてみなよ」
「……」
板野さんが、探るような目線でこっちをじっと見てくる。
「今日のお昼休みに、瀬川さんと話してみなよ。そしたらきっと誤解が解けるからさ」
「……そうでしょうか」
「うん、そうだよ」
板野さんが茶道部を辞めてないのは、きっと迷っているから。
だからちゃんと話をさせれば大丈夫なはず。
それでも辞めるというのなら、もう仕方ない。
「まあ今回の件は瀬川さんが悪いかな。余裕がなかったとはいえ言葉足らずだし」
「……大鳥君は」
「うん?」
「大鳥君は、瀬川さんの肩を持つんじゃないんですか?」
「あいにく僕は、瀬川さんの事を聖人君子だとは思ってないからね」
彼女だって間違えるし、結構ドジをするし、失敗もするし、英語で赤点を取るし、今だってスランプで悩んでたりする。
「……そういう意味じゃないんですけどね」
「うん? 何か言った?」
「何でもありません。ハア、傍から見ると分かりやすいのに、本人達同士は気づいてない事ってあるんですね」
「うん? 何? 何の話?」
「何でもありません」
板野さんが、ため息を吐いてノートを閉じる。
そして椅子を引いて立ち上がった。
「昼休みに瀬川さんと話してみます」
「ど、どこ行くの?」
「お手洗いです」
そう言って板野さんが教室を出て行く。
どうやら瀬川さんとちゃんと話す気になったようだ。
思うに彼女は茶道部を辞める気はなかったのだろう。
誰かが止めてくれるのを待っていたはずだ。
「板野加代、めんどくせえ……」
その昼休み、板野さんは茶道部の部室にやって来て空き教室で何やら話をした。
そして何食わぬ顔で部室に戻り、お茶を点て何故か僕に差し出した。
そのお茶は、ちゃんと点てられていたけど少し苦かった。
………
……
…
『お茶会の日取りが決まりました。9月末の日曜日、朝10時からです。』
瀬川さんからお茶会の日程の連絡が来たのは、その日の夜だった。




