第八十六杯「ヤバイヤバイヤバイ」
「薄茶一服さしあげます」
風炉の隣で瀬川さんが、真の礼をして薄茶点前を始める。
僕はそれを、タブレットのカメラで撮影していた。
ここの所いつも通りにお茶を点てられない瀬川さん。
その動きを客観的に見るためにも、撮影した方がいいと説得して。
火曜日の放課後、茶道部の部室には僕と瀬川さんしかいない。
瀬川さんは撮られている事を気にしない様子で、薄茶を点て始める。
けれども納得のいかない出来なのか小首を傾げた。
「……おかしいですね。いつも通り点てているはずなのに」
僕が点てるお茶に比べれば十分立派に泡立っているけれど、いつもの瀬川さんの薄茶はもっときめ細やかな泡が立っているはずだ。
一口自服して、瀬川さんが苦い顔になる。
「瀬川さん、動画を見てみようか」
「はい」
僕の隣に正座し、瀬川さんがタブレットを覗き込んでくる。
肩と肩が当たり、彼女の体温が伝わって胸が高鳴る。
僕は気持ちを落ち着けてタブレットの動画を再生した。
瀬川さんが僕に密着したまま、動画を食い入るように見つめる。
その瞳は、自分の不調の原因をつかもうと真剣そのものだった。
「……どうかな? 瀬川さんから見てこの映像は?」
「作法の間違いはありませんし、特に問題ないように見えますが……」
瀬川さんが背筋を伸ばし、肩と肩が離れる。少しだけ気持ちが落ち着く。
「そうかな? 僕には瀬川さんがいつもより固くなってるように見えたけど」
「え?」
「撮られて緊張してるとかじゃなくて、二学期に入ってからずっと動作が固いって思ってたんだ。これを見て」
僕はタブレットに保存されている別の動画を再生する。
動画の中では、瀬川さんが薄茶を点てていた。
「ええと……こちらはいつ撮られたものなのでしょうか?」
「……1学期に輝木さんがこっそり撮ってたものだよ」
「な、何を勝手に撮ってるんですか輝木さんは! もう!」
瀬川さんは怒ってるけど、今はその隠し撮り動画が役に立つ。
「ホラ、この動画の瀬川さんとこの動画の瀬川さん、動きが全然違うでしょ?」
瀬川さんが、僕がタブレットの画面に2つ同時に再生した動画を食い入るように見つめる。
「……確かに、私の動きが固く見えますね」
自分では分からない事も、客観的な視点からなら分かる事がある。
ピッチングフォームの崩れ、バッティングフォームの崩れ。
スポーツでは当たり前になっている自分の動きを動画で見るという行為は、茶道でも役に立つはずだ。
瀬川さんが真剣な表情で動画を最後まで見る。
そんな彼女に、僕は声をかけた。
「今日のお稽古は、これで終わりにしてお茶にしよう」
「え? ですが……」
瀬川さんが渋る様子を見せる。
下校時刻にはまだまだ時間がある。
「瀬川さんの問題は、きっとメンタルの問題だと思うんだ。『スランプを脱しないといけない』『完璧にしなきゃいけない』そんな焦りが動きを固くしてしまってるんだと思う。今日は現状を認識できたって事だけで一歩前進だよ。今何度もお稽古しても、余計に焦りが募ってよりスランプに陥ってしまうと思う。今日はこれで終わりにしてひと息入れよう」
「……大鳥君がそうおっしゃるのなら、分かりました」
納得はしていないみたいだけど、理解はしているようで瀬川さんが頷く。
野球を観るのが好きだと話している彼女は、スランプのプロ野球の選手の話とかを聞いた事があるのかもしれない。
瀬川さんがお茶菓子を準備する間に、僕は自分の分のお茶を点てる。
しかし本当に上手く泡立てるのは難しい。
最初の頃に比べれば大分マシになってきたけれど、まだまだ不調の瀬川さんの点てたお茶の足元にすら及ばない出来だ。
AIに上手く泡を立てるコツとか聞いても、実際やるのは別物だ。
こればっかりは変化球を投げるコツと同じかもしれない。
手首を捻るタイミングとか、ボールを離すタイミングとかは感覚に頼る部分が大きい。
こればっかりは練習で自分の手を動かしてコツを掴むしかない。
瀬川さんとお茶菓子を食べて、薄茶を啜る。
そして2人とも、苦い顔をした。
「……」
「……」
座りの悪い沈黙が僕らの間を流れる。
お互いぼっちな故に黙り込むのはいつもの事だけど、今日は空気が悪い。
瀬川さんの焦りが伝わってくるようだ。
「……瀬川さん」
「は、はい。何でしょう?」
「……前に板野さんにお茶を点て直すよう言ってたけど、あれって何で?」
苦し紛れに、そんな話題を振る。
あれ以来、部活にも部室にも来ていない板野さん。
その原因と思われる理由が知りたくて。
「それは板野さんが茶道経験者だからです」
「? どういう事?」
禅問答みたいな答えが返ってきて困惑する。
瀬川さんが、こちらをまっすぐ見据えて真剣な表情になった。
「板野さんは茶道経験者です。ですから何杯もお茶を点てている内に気持ちがおざなりになっていたんです。作法は正しいですけれど、気持ちが入ってない。そのように感じましたのでお茶を点て直すよう言いました」
「……なるほど」
春に僕が瀬川さんのお母さんから言われた事とある意味同じだ。
いくら作法が正しくても、気持ちが入っていなければ贋作。
慣れが緊張感を失わせていたのだろう。
野球と同じだ。試合に出続けている内にプレーに緊張感が失われると、エラーやミスをする。
「それ、板野さんには伝えた?」
「いえ。ですがきっとご理解頂けているはずです」
確かにあの時、板野さんは「それ以前の問題なんです」と言っていた。
でもそれは、本当にちゃんと理解している発言なのだろうか?
魚の小骨が喉に刺さったような違和感が残る。
「そろそろ、片付けましょうか」
「……そうだね」
しかし僕は、瀬川さんに促されて茶道具の片付けをして部室を後にした。
………
……
…
部室の鍵を職員室に返却した瀬川さんと別れ、教室に戻る。
数学の参考書をうっかり忘れていたからだ。
引き出しにあるそれを無事カバンに収め、教室を出る。
そこで、階段を降りてくるTシャツにジャージのズボンの女子の集団と遭遇した。
「ねえ、あの人って……」
「板野先輩……」
「誰か話しかけて……」
1年生らしい女子達が何やらコソコソ僕を見ながら話し始める。
こういう事には慣れているとはいえ、いい気分はしない。
僕は彼女達の横を通り過ぎようとした。
「あ、あの!」
通り過ぎようとしたけれど、1人の女子がこっちに踏み出して前に立ちはだかってきた。
「な、何?」
「2年生の、茶道部の先輩ですよね?」
「そうだけど……」
女子達が「やっぱり!」「マジヤバイ!」「ほら聞きなって!」と何やら騒ぎ始める。何なんだ?
踏み出してきた女子が、僕に向き直り意を決したように声を上げる。
「板野先輩が、競技かるた部をやめたんですけど何か心当たりはないですか!」
「板野さんが? 競技かるた部をやめたの?」
「えっ……? 知らないんですか?」
「……うん」
女子達がザワザワ騒ぎ始める。何なんだ……
「1ついいかな」
「は、はい! 何ですか!?」
すっかり僕の窓口になっている一歩踏み出してきた女子が振り返って答える。
心なしか、その顔が赤い気がする。まあ知らない上級生、しかも異性に話しかけるなんて勇気がいるだろうしね。僕なら無理。
「板野さんはいつ競技かるた部を辞めたの?」
「先週の金曜日です」
「先週……」
「板野先輩、急にかるた部を辞めるって言い出して。茶道部に専念するのかなと思ったんですが、そちらも辞めるって言ってて……」
「……」
ウチの高校では生徒は皆部活に入る事が校則で義務づけられている。
でも受験やなんやもあるし、その義務があるのは2年の夏までだ。
寧音姉も生徒会長の仕事が忙しくなった事を理由に去年の秋で水泳部を引退している。
だから板野さんが部活を辞めるのは、ルール上問題ないんだけど……
「……もう1ついいかな?」
「は、はい! 何ですか!?」
「板野さんは、競技かるた部でどんな存在なの? レギュラー入りはできそうだった?」
僕の問いかけに、僕専用窓口になっている女子が居心地悪そうに下を向く。
「板野先輩は、レギュラー入りはできそうにありませんでした。練習試合でも控えですし、普段も初心者の1年生と一緒に雑用をこなしていました」
「……そうなんだ」
前に輝木さんから聞いていた話と一致する話に頷く。
高校から競技かるたを始めた彼女は、部の中で弱い存在だった。
淡々としている彼女にもプライドという物があるのだろう。
そしておそらく、茶道部に入ったのは……
「板野先輩、すごく頑張ってたんです。でも経験者とは差がありますし、耳もよくないので……」
「耳?」
「ええと、耳がよくないっていうのは、一字決まりとか二字決まりとか、競技かるたには読み上げられたら、すぐその札だって分かって取れる札があるんですが……」
「ああうん、分かるよ」
『ち○やふる』を読んだ事あるから分かる。
読手が一文字目を言った時点で取りに行ける札があるって事だ。
「板野先輩、その勘が鈍いと言いますか、自陣の一字決まりを守るのもやっとって感じなんです……。私や経験者相手だと、一字決まりすら守れなくて……」
「才能がないって事?」
「……」
僕専用窓口になっている子が気まずそうに頷く。
どうやら彼女はかるた経験者らしい。
そんな彼女から見て、才能がない板野さん。
彼女が、中学時代のある先輩に重なった。
「「「「……」」」」
かるた部の1年生らしい女子達がこっちを見てきている事に気づく。
僕は居心地悪くなって、彼女達にこう言った。
「ええと、悪いんだけどかるた部の事は僕にはどうにもできないかな。板野さんが辞めるのを止める事はできないよ」
「い、いえ! そういうつもりで話しかけたんじゃないんで! お時間頂いて、スミマセン!」
「ああ、いや……。じゃあ、僕はこれで」
それだけ言って、僕は彼女達から離れる。
背後から「ヤバイヤバイヤバイ!」と何やら興奮している声が聞こえてくる。
そんなに僕と話すのがイヤだったんだろうか。
キモかったんだろうか。
生理的に無理だったんだろうか。
これでも寧音姉にしつこく言われて見た目に気を遣ってるのに……
しかし瀬川さんに続いて板野さんにも問題発生か。
「……面倒な事になってきたな」
僕は、重い足取りで昇降口へと向かって行った。
主人公はいわゆる「近寄りがたいイケメン」です。
そこそこモテていますが、誰も近寄ってこないので本人は「自分はモテないんだ」と錯覚しています。
結衣菜・板野・寧音は時々「紹介して」と言われて閉口しています。




