第七十七杯「代打・大鳥!」
海の色が青く見える理由は、太陽光と海水が原因だという。
太陽光には虹のように様々な色の光が含まれているけれど、海水に入ると赤い光から順に吸収されていき、青い光は水に吸収されにくく、海水中をあちこちに散らばりながら深く進み、散乱した青い光が海面で反射したり、再び水中から出てきたりすることで、私たちの目に青く届いているという。
それにしてもここの海はキレイだ。
青く、澄んでいて、こちらの気持ちもキレイになる。
「綾瀬先輩、こっち終わりました」
同じテントの下で淡々とゴミを仕分けていた板野さんがビニール袋をまとめてくる。
「ありがとう。こっちも終わったわ」
午前中に集められたゴミを、仕分けするボランティア。
日差しが強いのでテントの下で作業させてもらえるのはありがたい。
海から涼しい風が吹いてくる。ただ、その潮風に晒されて街はゆっくり朽ちている。
いるのも高齢者ばかりで若い人を見つけるのが難しいくらいだ。
「板野さん」
「はい、なんでしょう」
「このボランティアに参加する事で、あの別荘代や食費がチャラになると思う?」
「思いません」
「でしょうね……」
早めに自分の分を片付けて、今はあの別荘の管理会社に行って夕飯のお刺身の盛り合わせを受け取りに行っている瀬川さんの事を考える。
彼女は何かを隠している。
けれども何だかのらりくらりと躱されてごまかされ続けている。
「そういえば昨夜変な事があったんです」
「変な事?」
「昨夜は私と瀬川さんが同じ部屋だったんですが、瀬川さんが部屋に鍵をかけようと言い出しまして。大鳥君を警戒してるのかなと思ったのですが、そんな感じでもありませんでしたし……」
「そうね、彼にそんな度胸はないわ」
何度迫っても私に手を出さないあのヘタレに、そんな度胸あるはずない。
初日の海水浴の時だって、ずっと瀬川さんに見とれてたし……私の方が大きいのに。
「それで夜中の2時くらいでしたかね? 外からドアを叩く音と輝木さんの声がしたんです」
「輝木さんが?」
昨夜彼の部屋にこっそり行こうとしてたから、紐で拘束しておいたんだけど夜中に出歩いてたんだろうか?
「『きんきゅーじたいなんです!』『助けて下さい!』と言っていたんですが瀬川さんが『絶対に開けてはダメです!』と言い張りまして……」
「……」
輝木さんの緊急事態が何なのかは気になるけど、瀬川さんの行動も気になる。
彼女は困ってる人を見捨てるような人間ではなく、むしろ助けに行って自分まで落っこちちゃう人だと思うんだけど……
「その後数珠を取り出してお経を唱えだしましたし、変ですよね?」
「変を通り越して、怪しすぎるわね……」
怪しすぎる瀬川さんの行動に、何となくこの合宿が交通費だけで済んだ理由に想像がついてきた。
その瀬川さんが、大きな発泡スチロールの箱を抱えてこちらに歩いてくる。
そして、こちらが今回の件について問いただす前に困り顔でこう言った。
「綾瀬先輩、板野さん。大変な事になりました……」
「「大変な事?」」
「はい、こちらなんですが……」
瀬川さんが、発泡スチロールの箱を開ける。
そこには大きな鯛が大量の氷と共に入っていた。
「管理会社の方が、鯛を釣り上げたそうで私達でどうぞと……」
「「……」」
立派な鯛を前に、私達が固まる。
大きな鯛が丸1匹。
5人で食べても十分なくらいあるだろう。
「板野さん、捌ける?」
「無理があると思われます」
「瀬川さんは?」
「わ、私もさすがに……小さなお魚や中くらいのお魚ならともかく、これほど大きな鯛を捌くのはちょっと……」
お料理上手っぽい瀬川さんでも困惑するほどの大きさの鯛。
料理下手の私は言うまでもない。
となると……
「大鳥君に頼みましょう」
「大鳥君、ですか?」
「ええ、彼なら捌けるはずよ」
半信半疑と言った表情ながらも、瀬川さんと板野さんが頷き私達は別荘へ続く道を歩く。
その途中で、行きでは目に入らなかった看板が見えた。
「茶道教室……? ここ、茶道教室なんてあるの?」
「はい。ずっと昔から茶道教室があったそうです」
「『あった』?」
瀬川さんの言葉が過去形である事に気づき問いかけると、瀬川さんが頭のお団子をクシクシいじり始める。
「10年ほど前まであったのですが、先生が亡くなられたので今は空き家になってしまっているそうです。私も子供の頃にお会いした事があるのですが、やさしくて上品で、お茶の心を深くご理解されている方でした」
瀬川さんが空き家に向けて手を合わせ頭を下げた後、別荘へ続く道を歩き始める。
確かに草も伸びきり、蔦が壁に絡まっている。
もう随分手入れされてないようだ。
それを見た後、私と板野さんも別荘へ続く道を歩き始めた。
………
……
…
「フウ、捌けたよ」
「あ、ありがとうございます大鳥君! すごいです! 大きな鯛をこんなにキレイに……」
「ウチの両親が、釣りが趣味だからね。子供の頃からよく連れて行かれたし、魚の捌き方も教わっていたんだ」
十数分後。
彼の手により三枚に下ろされ、切り身にされた鯛を前に瀬川さんが興奮の表情になり、板野さんも感心した表情になっていた。
「これだけ立派な鯛ですし、頭は兜煮、あらは潮汁にして、身はお刺身で頂きましょう。兜煮と潮汁は私が作りますから、綾瀬先輩はお刺身をお願いしてもよろしいですか?」
「分かったわ」
今日の夕飯当番は私と瀬川さんで、瀬川さんにほとんど任せるつもりだったから異論はない。お刺身くらいなら私でも作れるはずだ。……切るだけよね?
「それではお料理はまた後からという事にして……大鳥君と輝木さんの盆略点前のお稽古をしましょうか」
「え? 今から?」
「はい、今からです。……お二人共居眠りをされていたんですから、覚えられたという事ですよね?」
どうやら私達がいない間に居眠りをしていたらしい彼と輝木さんに、瀬川さんはお怒りのようだ。
ホントに居眠りなの? まさかとは思うけど夏のアバンチュールなんて事は……
「えへへ……、莉子せんぱーい、結衣菜もう食べられませーん……」
しかし茶室でよだれを垂らしながらそんな寝言を言っている輝木さんを見て、それはないと思い直す。
「輝木さん、起きて下さい。盆略点前のお稽古をしますよ。輝木さん」
そんな輝木さんを、瀬川さんがやさしく揺らして起こした。
………
……
…
「どうぞ、おしまい下さい」
「おしまいにいたします」
瀬川さんに促され、彼が盆略点前の茶道具を片付ける。
そして、立ち上がって出て行く所で瀬川さんがパンと手を合わせた。
「はい。合格です。大鳥君も盆略点前マスターです!」
「「おおー」」
パチパチと拍手を始めた瀬川さんに釣られ、私と板野さんも拍手をする。
彼は両手を差し出してきた輝木さんとハイタッチしていた。
それに思う所はあるものの、驚いた。
午前中までさっぱり盆略点前ができていなかった彼と彼女が、盆略点前をマスターしてるなんて。しかも居眠りしていたというのに。
「すごいですね大鳥君に輝木さん、午前中までさっぱりできてなかったのに、盆略点前をマスターされるなんて」
「いやあ、瀬川さんのおかげだよ。近所の茶道教室の先生を呼んでくれたんでしょう? その人のアドバイスのおかげでマスターできたよ。いつの間にか帰られちゃってたけど」
「え?」
「はい! 結衣菜、お礼を言いに行きたいです! 莉子先輩、近所の茶道教室ってどこですか?」
「え、ええと……」
「「……」」
言いよどむ瀬川さんに、私と板野さんの視線が突き刺さる。
私達は知っている。
その近所の茶道教室とやらが潰れている事を。
そしてその先生が亡くなられているという事も。
瀬川さんが、頭のお団子をクシクシいじり出す。
気分を落ち着けたい時の彼女の癖だ。
「瀬川さん」
私に名前を呼ばれ、瀬川さんがビクッと肩を震わせる。
「説明してもらえるかしら? この別荘で何があったのかを。そしてこの別荘をタダで、食費もなしで利用できている理由を」
「……はい」
何も知らないためキョトンとしている彼と輝木さんを尻目に、瀬川さんがガックリ肩を落とした。




