第七十二杯「こういうイベントって、普通逆じゃない?」
「うーん、お腹いっぱいだ……」
部屋のベッドの上で横になりながら、僕はお腹をさする。
まるで田舎のおばあちゃんのように肉とおにぎりを勧めてくる瀬川さんを断り切れず、つい食べ過ぎてしまった。
「何かごまかされてる気はするけど、まあいいか……」
食べ過ぎで苦しい事は苦しいけど、幸せな苦しさだ。
瀬川さんのアーンで食べさせてもらったバーベキューは、今まで食べた物の中で一番おいしかった。
海水浴、バーベキュー、女子4人に男子1人と、まるで自分がラノベ主人公になったような気分だ。リア充気分と言ってもいい。
まあ僕はモテモテ主人公でも何でもないんだけど。
『わー! 莉子先輩の下着、カワイイですねー!』
『ありがとうございます。輝木さんの下着も、カワイイですよ』
と、そんな事を考えていると女子達の会話が聞こえてくる。
そういえばこの部屋って、お風呂場の隣じゃ……
『フッフーン、当然です。結衣菜の勝負下着ですからねー』
『そんなちっぱいで何と勝負するというのかしら? 子猫ちゃん』
『誰がちっぱいですか誰が! 今ゴング鳴りましたよね? やっちゃっていいですか?』
また寧音姉と輝木さんの2人がケンカしそうになっている。
しかし止めに行く訳にもいかない。
なぜなら彼女達は今、裸か下着姿な訳だから……
『お2人共、せっかくの合宿なのですからケンカなさらないで下さい。それより温泉を楽しみましょう!』
しかし瀬川さんが上手く丸め込んでくれたようだ。
寧音姉と輝木さんが小さな言い争いをしながらも温泉へと向かっていく。
『おおー、お湯が張られてると温泉って感じですねー』
『当たり前でしょう。でも確かにこれは贅沢ね』
女子達が温泉に入っていく音や話し声が耳に入ってくる。
輝木さんが瀬川さんにスリーサイズを聞いて困らせている。
さすがにこれ以上聞くのはマズいかと思い身体を起こしかける。
しかしそこに、気になる言葉が聞こえてきた。
『莉子先輩の、好みのタイプってどんな人ですかー?』
「……っ」
瀬川さんの好みのタイプ。
彼女には2回ほど『好き』と言われている。
無論うぬぼれるつもりも勘違いしているつもりもないけれど、彼女の好みのタイプを知る事ができればこの悩みが解消できるかもしれない。
僕と違うタイプの人間を上げてくれれば、もう悶々と悩む事はなくなるから。
そして瀬川さんの答えは……
『ヒュー・ジ○ックマンさんです』
まさかのハリウッドスターだった。
『ヒュー・ジ○ックマンさん? それって誰ですか?』
『ハリウッドの映画スターよ。でも意外ね? 瀬川さん、洋画見るの?』
『はい。お母様が海外の映画が好きで、子供の頃からよくいっしょに見ていたんです。ヒュー・ジ○ックマンさんは昔から憧れの男性なんです』
瀬川さんの言葉が、恋をする乙女のように弾んでいるような気がする。
それにしてもあのお母さん、海外の映画が好きなのか。
『りゅう○うのおしごと!』を電子で買ってたし、ハイカラな人なのかもしれない。
「……ヒュー・ジ○ックマンか」
スマホで画像を見てみても、僕とは似ても似つかない。
やっぱりあの『好き』の意味は、部員としてとかそういう意味なのだろう。
僕は身体を起こして、そっと音を立てないようにリビングダイニングへと移動した。
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「大鳥くーん、お風呂をどうぞー……あれっ? いらっしゃいませんね?」
「瀬川さーん、こっちだよー」
僕の部屋のドアを開けて、呼びかけている瀬川さんに声をかける。
声を聞きつけた瀬川さんがリビングダイニングへと移動してきた。
その姿を見て――――――僕は息を呑んだ。
「大鳥君、TVをご覧になられていたんですね」
「う、うん……」
いつものお団子頭ではなく、髪を下ろした瀬川さんは椎名さんと瓜二つだった。
いや、元々椎名さんと瓜二つの見た目をしていたけれど、より瓜二つになっていた。
濡れた髪に、シャンプーの匂い、火照った肌に普段じゃ見れない寝間着らしいTシャツと短めのズボンが僕の心臓の鼓動を加速させる。
「あっ、甲子園。もう始まっていたんですね」
「うん、そうだね」
延長タイブレークに入った試合を見ながら瀬川さんが、TVを覗き込む。
その横顔も、彼女と瓜二つだった。
「大鳥君は……」
「う、うん?」
「大鳥君は、甲子園に出たいと思った事はありますか?」
「……」
中学時代に野球をしていたという話をしていたからだろうか。
そんな事を問いかけられる。
「ううん、甲子園に出たいとは思った事はないよ。僕にとっては、遠すぎた場所だったから」
僕は、多分子供に将来の夢を聞かれた大人のような苦笑を浮かべながら瀬川さんにこう言った。
「ですが……、大鳥君は中学時代、すごい投手だったんですよね?」
「僕自身はそうは思ってなかったし、それにそこまで野球が好きって訳でもなかったから」
「そうなんですか?」
「うん。父親が野球好きで、勧められて何となく地元の少年野球のチームに入って始めただけだったから」
「……」
瀬川さんが、何か思案気な表情で僕を見つめてくる。
その視線が居心地悪くて、僕はTVへと目を逸らした。
「こんな風に、あのグラウンドに立つ姿は想像できなかったよ。野球を始めた頃も、エースとして県大会に行った頃も」
「強豪校からスカウトとか、来たんですか?」
「ああうん。でも3年生になってからはさっぱり来なくなっちゃったけどね」
2年生の頃は熱心に誘われたけど、生返事を返している内にあまり来なくなったし、3年生になってからは一度も来なくなった。
でも、気にしていない。
「じゃあ僕は、お風呂に入ってくるから」
「……は、はい。ごゆっくりどうぞ」
何か言いたげな瀬川さんを残して、僕はお風呂場へと向かう。
背中にかけられる視線が、少し苦しかった。
………
……
…
「フー、いいお湯だった……」
温泉から上がりタオルで身体を拭きながら、僕は独り言つ。
火照った身体に生ぬるい夏の夜風が当たる。
空には夏の星空が輝いていた。
貸し切りの露天風呂なんて、この上ないくらい贅沢だ。
タオルを絞ると、お湯と汗が入り交じった水滴がボタボタと滴り落ちる。
そのまましばらく、空を見上げた。
あったかも知れない今。
ありうべざらかる今。
甲子園に出ていたかもしれない自分。
椎名さんと同じ高校に進学していたかもしれない自分。
そんな事を考えても仕方のない事だ。なのに考えてしまう。
あの時、ああしていたら。
きっとこれからの人生、そういう瞬間が幾度となく現れるのだろう。
そして僕は、その瞬間に諦める道を選んでしまうのだろう。
それが、必ず後悔してしまう道だと分かっていたとしても。
「……フウ」
もしもあの時、ああしていたら。
中学時代の苦い思い出が蘇りため息を吐く。
こんな事を考えても仕方のない事なのに、考えてしまう。
僕は無理矢理その考えを振り払って、脱衣所へ足を踏み入れた。
「えっ……?」
「えっ……?」
そしてそこに、何故か輝木さんがいた、
輝木さんの目が、僕の身体の1点を見つめている。
6月に男として一皮剥けたある部分を。マジマジと。
たっぷり5秒は固まった後、僕は慌ててタオルを腰に巻く。
輝木さんが、わたわたと手を振りながら僕に弁明する。
「ち、違うんです! 結衣菜、覗きをしよーと思ってた訳じゃなくて、脱衣所に忘れ物しちゃって……」
「そ、そうなんだ……」
黄緑色のピラッとした布きれを取り出しながら、輝木さんが弁明する。
本当に忘れ物をした物だろうけど、僕に見せていい物ではないだろう。
彼女も混乱しているようだ。
「先輩、もう上がってるものだと思ってたし、物音もしなかったから……」
「ああうん……、温泉から上がって少し身体を冷やしてたから……」
「ですのでこれは決してわざとじゃないんですー!」
「う、うん、疑ってないから……」
――――――気まずい。
何が気まずいって、これは事故だろうし輝木さんは悪くないだろうに気を遣われているのが気まずい。
輝木さんが、顔を真っ赤にしながら両拳を握って胸の前で構える。
「え、ええと……先輩の、結構立派でしたよ。弟のとかお父さんのとかと比べても。自信持って下さい!」
「ああ、うん……」
――――――気まずい。
そのフォローは逆に気まずい。
「ええと……、その……スミマセンでした! そしてごちそうさまでしたー!!!」
顔を真っ赤にした輝木さんが、踵を返し猛スピードで脱衣所をバタバタ走り去っていく。
残された僕は、無の境地でバスタオルで身体を拭いて服を着た。
……こういうイベントって、普通逆じゃないかな!




