第六十三杯「部長失格」
「いやー! やり遂げましたね! 途中どーなるかと思いましたが!」
「瀬川先輩すごいです! 私、カンドーしちゃいました!」
「ホント、すごかったわね。さすがは茶道部の部長さんだわ」
「す、すみれちゃん……何で上から目線なの? で、でも私も感動しました」
着物姿の瀬川さんに、1年生達が群がっている。
瀬川さんは、彼女たちに苦笑を向けながらこう言った。
「いえ、私はまだまだ未熟者ですので、皆さんにもご迷惑をおかけしてしまいましたし……」
「ではではー、その借りは身体で支払ってもらいましょうかー」
手をワキワキさせながら、輝木さんが瀬川さんに迫る。
「か、身体で!? ……わ、分かりました。ふつつかな物ですが、やさしくお願いしますっ!」
瀬川さんが、着物の帯を解こうとし始める。
「わーっ!? ジョーダンですよ莉子先輩!? 先輩もいるのに脱ごうとしないでくださいー!?」
輝木さんが瀬川さんの帯を掴む。
すると解けた帯の端を持ってしまったようで、瀬川さんが「あ~れ~!?」と言いながらクルクル回る。
着物の帯が解けた瀬川さんが、椅子の上に崩れる。
胸元がはだけ、白い襦袢と意外とある谷間が露わになる。僕は慌てて目を逸らした。
そういえば、着物は下着を着けないって聞いた事あるような……
「ハア、何をやっているんですか」
板野さんが、ハアと息を吐いてから瀬川さんの着物を戻しに向かう。
しばらくして、輝木さんの呆れた声が聞こえてきた。
「莉子先輩、市ノ瀬さん達へのお詫びとお礼は今度茶道部の部室でしてくださーい。手伝ってもらう代わりにお茶とお茶菓子をご馳走するって約束して釣ったんですから」
「ハイ! 釣られました!」
「……そうね、まんまと釣られたわね」
「アハハ……、正直こんなに大変だとは思いませんでした」
輝木さんの言葉に市ノ瀬さん達が頷く。
それを見て、着物を板野さんに直してもらった瀬川さんが微笑む。
「かしこまりました。今度茶道部の部室にいらしてください。精一杯おもてなしさせて頂きます」
瀬川さんの言葉に、市ノ瀬さん達がワアっと沸く。
この3人へのお礼は今度って事になるだろう。
来てくれて助かった。3人がいなかったらどうにもならなかっただろう。
「それでは会場の片付けを……」
瀬川さんが、こちらに来てお茶を点てる茶道具の片付けを始めようとする。
そこで、膝から崩れた。
「瀬川さんっ!」
慌てて瀬川さんの身体を受け止める。
身体はグッタリしていて、息も荒くなっている。
その額には、大粒の汗が浮かんでいた。
額に手を当てると、ものすごく熱かった。
「っ!」
「えっ!? 先輩!?」
「大鳥君……!?」
「おおーっ!? 大胆ですねー!?」
「お、お姫様抱っこなんて……!」
「はわわわわっ」
瀬川さんの身体を、お姫様抱っこで持ち上げる。
そして何やら驚いていたり慌てふためいている皆に声をかけた。
「瀬川さんを保健室に連れて行くから誰かついて来て! 他の皆はここで休んでていいから!」
「分かりました。私がついていきます」
僕の呼びかけに、板野さんが頷いて保健室へと向かう僕の先を歩き出す。
僕は、瀬川さんをお姫様抱っこしたまま保健室へと歩いて行った。
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「……本当に申し訳ございません。最後の最後まで、ご迷惑をおかけしてしまって……」
保健室のベッドの上で、横たわったまま瀬川さんが弱々しい声を上げる。
「まったくよ。……お姫様抱っこなんて、私でもしてもらった事ないのに」
隣に立つ寧音姉が、何やらぶつくさ言い始めたけれど、何を言っているかはよく聞こえなかった。
「あの……会場の片付けは」
「僕と輝木さん達と、寧音姉が連れて来てくれた生徒会役員達のおかげで無事に終わったよ。瀬川さん家に返しに行く物はまた今度にしよう」
「……本当に、重ね重ね申し訳ございません」
手を痛めてしまった板野さんは早めに帰して、他の皆にも帰ってもらった。
市ノ瀬さん達にはまた今度お礼する時に連絡するって事になった。
寧音姉が、保健室の壁にかかっている時計をチラリと見る。
「そろそろ下校時刻なのだけど。瀬川さん、おウチの人に迎えに来てもらう事は可能かしら?」
「いえ、父は仕事で母は用事があって……。行きは母の車に乗せてもらえたのですが、帰りは難しそうです……。大鳥君、このような事をお願いするのは申し訳ないのですが」
「何?」
「私を家までおんぶしてもらえないでしょうか……」
とんでもない事をお願いされてしまった。
別に瀬川さんは重くないし、あのくらいの距離なら行けるだろうがさすがにそれは気恥ずかしい。
その……おんぶしてる間中瀬川さんの魅力的な部分がずっと背中に当たるから。
「タクシーを呼ぶわ。代金は私が立て替えるから後日払ってちょうだい」
寧音姉が呆れた顔で、スマホ片手にそう言う。た、助かった……
アプリか何かでタクシーを呼んだらしい寧音姉が、スマホをカバンにしまう。
「すぐ来てくれるみたい。校門で待ってるから大鳥君、瀬川さんをおんぶして連れて来てちょうだい。瀬川さん家までは私が送るわ」
「う、うん。瀬川さん、身体を起こしていいかな?」
「は、はい」
スマホをしまい外へ歩き出した寧音姉に頷き、瀬川さんの身体を起こす。
そして、彼女をおんぶした。
「それじゃあ校門まで行くよ。忘れ物はない?」
「は、はい。大丈夫です」
瀬川さんをおぶさったまま、校門へと向かう。
「……私、部長失格ですね」
保健室を出た所で、瀬川さんがそうつぶやいた。
「考えも甘くて、皆さんにご迷惑をおかけして……穴があったら入りたい気分です」
「……」
「私ではダメです。これからは綾瀬先輩か板野さんに部長交代を……」
「そんな事ないよ」
穴があったら入りたいなんてリアルに言う人初めて見たなと思いつつ、言い切る。
「瀬川さん以外に部長が務まる人なんていないよ」
「ですが……」
「今日のあのお茶を点てる姿を見ちゃったら、皆そう思うって。僕も思わず、見とれちゃったし」
「……」
押し黙る瀬川さんが、僕のシャツをキュッと握る。
彼女の体温が伝わってきて、ドギマギする。
「……」
「……」
2人、押し黙りながら廊下を進む。
沈黙が気まずい。
彼女はきっと、迷惑をかけてしまった事を気に病んでいるのだろう。
「あ、あの。瀬川さん」
「は、はい。なんでしょう」
「僕、中学の時は野球部でピッチャーをしてたんだ」
「え? ……ああ、はい。存じています」
「あれっ? 誰かから聞いた?」
「……はい。綾瀬先輩からお聞きしました」
寧音姉の奴、勝手に何を話したんだ?
まあ言われたくない話はしてないだろうし、精々野球部でピッチャーをしていたって事くらいしか言ってないだろう。
「自分で言うのもなんだけど、そこそこいいピッチャーでね。2年の春に弱小校だったウチの中学を県大会出場に導いたんだ」
「……そうなんですね」
「でもその県大会でね、まったくいつものピッチングができなかったんだ。投げても投げても思い通りのボールが投げれなくて、次々いい当たりを打たれたんだ」
「……」
「でも後ろを守ってくれてる先輩達が助けてくれてね。点も取ってくれて何とか勝てたんだ。その時思ったんだよ。今までは僕1人でどうにかできるって思ってたけど、1人だけじゃ何もできないんだなって」
「……それから、皆に頼るようになったって話ですか?」
「ううん、それからも僕は変われなかったんだ」
「えっ……?」
瀬川さんの驚く声が、耳元で聞こえてくる。
苦い思い出が蘇り、僕は彼女に見えない苦笑を浮かべた。
「変われなかったんだ。1人じゃ野球はできないって分かっていても、変わる事ができなかったんだ。そして、チームで孤立したんだ」
「……」
「それから色々あって、ピッチャーからショートに回されたんだけど……僕はまるで1人で野球をしてるみたいだったよ。3年最後の大会は、あっけなく1回戦負けで終わっちゃったんだ。で、僕は野球をやめたって訳」
「……」
「僕は、瀬川さんに僕みたいになって欲しくない」
苦悶と後悔と絶望とどうしていいのか分からなかったあの頃の気持ちを飲み下し、おぶさっている瀬川さんに呼びかける。
「瀬川さんの頑張りは否定しないよ。瀬川さんはものすごく頑張ってる。でもやっぱり1人で全部できる人間はいないんだ。いくら瀬川さんでも、1人でお茶を作ったりお茶菓子を作ったり、茶道具を作ったり、全部はできないでしょ?」
「……そう、ですね」
「だから僕達にもっと頼ってよ。1人で頑張るのは、偉いけどしんどいよ。今の瀬川さんは、時々何だかすごく苦しそうに見えるんだ」
「……」
「……まあ、僕達なんかじゃ頼りにならないだろうけど」
「そ、そんな事ありません」
瀬川さんが、声に力を込めてくる。
「大鳥君は……すごく頼りになる男の子だと思っています。もう私に……、いえ茶道部になくてはならないくらい存在です」
「そんな……僕なんて」
「私は大鳥君にも、1人じゃないって思ってもらいたいです」
「……」
廊下に僕の足音と瀬川さんの息づかいが響く。
まるで、世界に2人だけになったかのような気分。
僕は空咳をして、瀬川さんに言い聞かせるように話しかけた。
「瀬川さん、家に帰ったらゆっくり休んでね」
「はい。……あの、大鳥君。本日はありがとうございました。そして、申し訳ございませんでした」
「いいっていいって。まあどうしても気になるっていうんなら今度お返ししてもらおうかな」
「え、ええと……身体で支払えという事でしょうか? ……分かりました。ふつつかな身体ですが、やさしくお願いしますっ」
「いやそんな要求しないし!瀬川さんの身体はふつつかなんかじゃないから!」
とんでもない言葉が出てきて慌てて否定する。
まだ熱に浮かされてるのだろうか。そうだと思う事にしよう。
「……」
「……」
僕は下駄箱でどうにかこうにか靴に履き替え外に出る。
校門前には寧音姉とタクシーが待っていた。しかしまだまだ距離がある。
瀬川さんの熱い息が、背中にかかる。
「……大好きです」
「……っ」
聞こえるか聞こえないか分からないくらいの小さな声。
多分熱に浮かされて口にしてしまった独り言。
その言葉に頭と身体と魂が、ガンとブン殴られたように揺さぶられる。
前回は『好き』、今回は『大好き』。
一体どういう意味なんだろう。
その意味を聞く事も考える事も、怖い気がした。
仮に恋愛的な意味だとしたら、心当たりがまったくない。
一体彼女は僕の事をどう思っているのだろう。
「……」
「……」
下校時刻を告げるチャイムが鳴る。
校舎から伸びる黒い影が、僕達を覆っていた。
これで第2章は完結です。




