第六十二杯「彼女の矜持」
水色の生地に、ピンクの花柄があしらわれた鮮やかな着物。
足元は白い足袋に草履を履いた瀬川さんが息を切らしながら野点の会場の入り口にやって来た。
お団子頭の髪にはピンクと白の紫陽花の髪飾りがつけられており、とても似合っている。
フウ、と息を吐いて瀬川さんが呼吸を整える。
切らしていた息は、それで収まった。
「お集まりになった皆様、お待たせしてしまい申し訳ございません。茶道部部長、瀬川莉子と申します。お茶とお茶菓子のご用意を致しますので、今しばらくお待ちください」
ざわついていた会場が、一瞬にして静まりかえる。
彼女の姿と声には、人の心を惹きつける華があった。
「莉子先輩……、大丈夫なんですか?」
「はい、もう熱も下がりましたし大丈夫です」
輝木さんの問いかけに、瀬川さんがニコッと笑う。
そして市ノ瀬さん・西園寺さん・赤城さんに声をかけた。
「市ノ瀬さん」
「は、はいっ!」
「西園寺さん」
「は、はい」
「赤城さん」
「はわわ……、は、はい……」
「輝木さんからお聞きしました。茶道部の手伝いをしてくださりありがとうございます。もうしばらくだけ、頑張って頂けますか?」
「「「も、もちろんです!」」」
市ノ瀬さん・西園寺さん・赤城さんが一瞬で魅了されたように、瀬川さんに頷く。
しぼみかけていたやる気も取り戻したようだ。
「大鳥君、板野さん、輝木さん」
そして、瀬川さんが僕らに向けて深々と頭を下げた。
「私のせいで、大変なご迷惑をかけてしまい申し訳ございません」
「い、いや、気にしないでよ」
「そ、そーですよ! 莉子先輩は悪くないですー!」
「……」
僕と輝木さんはすぐに否定し、板野さんも手を押さえながら無言で頷いた。
瀬川さんの代わりをしようと、彼女なりの矜持があったのだろう。
瀬川さんが、首を数回横に振った。
「いえ、私の自己管理の甘さと見通しの甘さでご迷惑をおかけしています。ですが今から頑張りますので、挽回のチャンスをいただけませんか?」
「挽回のチャンスって……」
「この野点をやり遂げる事です」
「「「……」」」
僕らは、瀬川さんを見つめる。
おそらく家の人にここまで送ってきてもらったのだろう。
額には汗が浮かび、顔も少し赤い。
まだ体調が戻ったとは思えない。
けれども、彼女は言っても聞かないだろう。
「瀬川さん。今2名様、3名様、2名様、おひとり様が客席で待ってる。お茶を点ててくれないかな?」
「はい、かしこまりました」
「輝木さん、市ノ瀬さん、西園寺さんは接客に行って! 受付係は赤城さんに頼めるかな!」
「ええっ!? 私ですか!?」
「赤城さんは全体を見れるタイプだから! お願い! ゆっくりめでご案内していって!」
「わ、分かりました!」
この2日間を見た限り、動きはやや遅いけど全体を見て動いていた赤城さんを受付係に指名する。彼女なら、きっとうまくコントロールできるはずだ。
「板野さんは保健室に行って湿布でも貼ってもらってきて! それで戻ってこられそうだったら戻ってきて!」
「……人使いが荒いですね。分かりました」
板野さんを保健室へと向かわせ、僕はお盆にお茶菓子の準備を始める。
それを見て、皆がそれぞれ配置に動き出した。
瀬川さんが、静かに正座する。
さっきまで慌ただしかった野点の席が、不思議なくらい静まった。
「……」
誰も声を出さない。瀬川さんが茶杓を取る。
その瞬間、会場の空気が変わった。
さっきまでの野点は文化祭の出し物だった。
けれど今、ここで始まったのは――――“茶会”だった。
瀬川さんの指先が流れる水みたいに滑らかに動く。
茶碗を置く音。
茶杓が触れる小さな音。
茶筅の細かな音。
そのひとつひとつが、不思議なくらい耳に残る。
急いでいるはずなのにまるでそう見えない。
「……すご」
誰かが、小さく呟いた。
その気持ちはこの会場にいる全員同じだったろう。
――――――レベルが違う。
お湯を注ぐ速さ。
茶筅を振る速さ。
茶碗を下げるタイミング。
次に必要になる道具の位置。全部が噛み合っている。
まるで何百回も何千回もこの動作を繰り返してきたみたいに。
「大鳥君。2名様のお茶、お出しして下さい」
「あ、うん!」
ハッと我に返る。
気づけば、もう二つ茶碗が出来上がっていた。
板野さんが点てた物と比べて、明らかに泡が綺麗だ。
細かく均一な泡が、薄茶の茶碗に点てられている。
「キレイ……」
お茶とお茶菓子のセットの入ったお盆を受け取った西園寺さんが、思わずと言った顔で呟く。
そして瀬川さんは、もう次の茶碗を手に取っている。
止まらない。いや、止められない。
会場中の視線が彼女の指先を追いかけていた。
「大鳥君、2名様と3名様の分のお茶、ご用意できました」
「あ、ああうん! 輝木さん! 市ノ瀬さん!」
「「はいっ!」」
2名様と3名様のお茶とお茶菓子をセットし、輝木さんと市ノ瀬さんを呼ぶ。
2人はすぐさま、お客さんの元へ届けにいった。
そこから先は瀬川さんの独壇場と言ってよかった。
次々にお茶を点てていき、お待たせしたお客さんにお詫びに行ってメロメロにして帰ってきて、またお茶を点てた。
僕らはそれについていくのでやっとだった。
戻ってきた板野さんに瀬川さんのフォローを任せ、僕は茶碗が溜まったバスボックスを持って家庭科室へと洗いに行く。
戻った頃には、すぐに新しい茶碗が必要な状況になっていた。
――――――圧巻。
そうとしか言いようがなかった。
会場中の誰もが彼女に目を奪われ、魅了されていた。
待たされているのに、その待ち時間すら忘れて彼女がお茶を点てる姿に夢中になっているのが伝わってくる。
「……」
黙々とお茶を点てる彼女は、普段通りに美しい所作で次々お茶を点てていく。
体調は戻っていないだろう。
けれどもそれを感じさせない姿に彼女の矜持を感じた。
その姿はとても――――――美しかった。
『ただいまをもちまして、今年度の季日南祭を終了いたします』
最後のお客さんを皆で見送った所で、寧音姉のアナウンスが流れる。
季日南祭を、やり遂げた瞬間だった。
………
……
…
「……へー、マジじゃん。サッカー辞めて何してるかと思ったらこんなトコにいたんだ。輝木結衣菜」
その女子は、和服姿で接客をする輝木結衣菜をカフェをしているクラスの窓から見下ろしていた。
「しかも茶道部? どういう風の吹き回し? マジありえないんだけど」
口にしていた飴を、音を立ててガリっとかじる。
憎しみを込めた目は、輝木結衣菜から一時も離れない。
許さない。声にならない声が口元から漏れる。
そして、その口元がつり上がりイヤな笑みを浮かべた。
「……まだいいかな。もっと馴染んだ所で、グチャグチャにしてやる」




