第五十八杯「どんなパンツ履いてるんですか?」
茶道部の部室の隣にある空き教室で、僕は制服から和服に着替える。
和服と言っても侍が来ている紋付き袴ではなく、町人が来ている着物でもなく濃紺の作務衣のようなものだ。陶芸家とかが着ていそうな七分丈の袖が心細い。
当日バスボックスに入れた茶碗を家庭科室まで洗いに行かないといけないので、動きやすい服を瀬川さんに選んでもらった。
「せんぱーい、皆着替え終わりましたよー」
輝木さんが扉からひょっこり顔を覗かせ、僕を呼んでくる。
「ああ、分かったよ」
「……」
「? どうしたの?」
「いえ、先輩よく似合ってますよー。『馬子にも衣装』ですねー」
「それ褒めてるつもりなら間違ってるからね」
空き教室の外に出る。
そこで輝木さんの和服姿が見えた。
「えへへ、先輩。どーですか? 結衣菜の和服姿」
「うん、似合ってるね。『馬子にも衣装』だよ」
「先輩、それ褒めてないって言いましたよねー?」
ぷくっと起こる輝木さんだが、来ている着物はよく似合っている。
柄のない黄緑色の着物(瀬川さん曰く「二尺袖」というらしい)に深緑の袴。接客で動き回る事を意識してか髪をまとめ、白い襷をかけている。
スマホゲームならSSRで人気が出そうだ。
輝木さんと2人並んで廊下を歩く。
作務衣は動きやすいものだけど、どうにも歩きにくい。その原因は……
「先輩、まだ慣れない感じですか?」
輝木さんが、僕のズボンのある一点を見ながら問いかけてくる。
「……まあ、まだね」
痛みとかはなくなったけど、ブランブランする感覚に中々慣れない。
歩いていても、気になるくらいだ。
「先輩って、どんなパンツ履いてるんですか?」
「え? セクハラ?」
「ちがいますー。弟に聞いたんですけど、トランクスだとこすれたりして気になるから、ピッタリフィットするボクサーパンツの方がいいそうですよー?」
「……そうなんだ。これからはボクサーパンツを履く事にするよ」
親に買ってもらったトランクスだと確かにこすれたりブランブランして気になる。
帰りにコンビニかどこかでボクサーパンツ買って帰ろう……
茶道部の部室に入ると、色鮮やかな着物姿や袴姿の女子達がいた。
中でも目を引いたのが瀬川さんだ。
畳に正座してる彼女は水色の生地に、ピンクの花柄があしらわれた鮮やかな着物を着ている。
派手さはないけれど、清楚で彼女にとてもよく似合っている。
「……」
窓の外を眺めている彼女の姿は、美しかった。
髪にはピンクと白の紫陽花の髪飾りがつけられており、とても似合っている。
まるで絵画から飛び出してきたかのような美しさ。スマホゲームならURだ。
彼女から、もう目が離せなかった。
「大鳥君、瀬川さんに見とれすぎよ」
「いたたたたっ!?」
耳を引っ張られ寧音姉の方を向かされる。
寧音姉は長い黒髪をポニーテールにまとめ、藤色の着物に紫色の袴を履いていた。
その一部分が、大変な事になっている。
「大丈夫? 胸の辺りがキツそうだけど……」
「それなのよね、和服って胸があるとつらいのよ。子猫ちゃんがうらやましいわ」
「ああん? 今ケンカ売られました? ゴング鳴りましたよね? やっちゃっていいですか?」
寧音姉に掴みかからんとする輝木さんを、慌てて止める。借り物の和服で暴れないで欲しい。
水曜日に皆で瀬川さんの家に行って、たくさんある中からそれぞれ着たい物を選ばせてもらった。
瀬川さんのお母さんは何も言わずにニコニコこっちを見ていた。怖かった。
「綾瀬先輩、胸元がキツイんですか? 直しますよ」
「ありがとう」
と、薄いオレンジ色のような柄のない着物を着た板野さんがやってきた。
競技かるた部で着物を着る事があるから、着付けができるらしい。
板野さんが寧音姉の着物を直し始めた。胸元から白い襦袢が覗き目を逸らす。
「……むう、胸なんて脂肪の塊のくせに生意気な」
小さめの胸に手を当てながら輝木さんが独りごちる。
それはそれで目にするのが気恥ずかしいので瀬川さんの方を見る。
瀬川さんは、静かに目を閉じていた。
「……」
何度見ても初恋の女の子に瓜二つな女の子。
その横顔も中学校3年間恋い焦がれていたあの子に似ている。
けれども最近は、ドキドキする事が少なくなった。
これがどういう変化なのか、まだ分からない。
ただ1つだけ言える事があるとすれば、彼女をあの子に重ねてしまう事はなくなりつつあるという事だった。
考えるまでもなく、瀬川さんと椎名さんは別の人間だ。
髪の色や目の色だって違うし、身長や体付きも違う。
育ってきた環境も、食べ物の好き嫌いだって違うだろう。
そして何より、瀬川さんは茶道に真剣に向き合っている人だ。
家の茶道教室を継ぐために、一生懸命茶道に向き合っている。
そんな彼女の事を、僕は……
「……うん?」
瀬川さんの様子がおかしい事に気づく。
なんだか息が荒いし、汗もかいているし、顔も赤いような……
次の瞬間、瀬川さんが畳の上に崩れ落ちた。
「瀬川さん!?」
僕と輝木さんが、慌てて瀬川さんに駆け寄る。
「瀬川さん!? 大丈夫!? 瀬川さん!?」
「莉子先輩!? どうしちゃったんですか!?」
「……熱があるわね。それもかなり高い。大鳥君、瀬川さんをおんぶしてちょうだい。保健室まで連れて行くわよ」
遅れてやって来た寧音姉が、瀬川さんの額に手を当てた後僕に命じる。
僕は輝木さんや板野さんの手を借りながら瀬川さんを負ぶさった。
「大、丈夫です……」
背中から瀬川さんの弱々しい声が聞こえてくる。
「私は、大丈夫ですから……」
「大丈夫じゃないでしょう。大鳥君、行くわよ。輝木さん、瀬川さんのカバンと制服を持ってついてきてちょうだい。板野さんはここで待っていて」
「は、はい!」
「分かりました」
寧音姉の指示に従い、輝木さんが瀬川さんの制服とカバンを手に僕らについてきて、板野さんは部室に待機する。
そして僕は、瀬川さんを保健室へと連れて行くため彼女をおんぶしたまま歩き出した。
背中越しに瀬川さんの熱が伝わってくる。熱い。明らかに高熱だ。
僕は、彼女を落とさないように慎重に階段を降り始めた。




