第五十三杯「グラウンドの影」
キイッと甲高いブレーキの音が、幅広の道路の前で響き渡る。
市営球場はバスも入るため、道路の幅が広い。
そういえばこんなんだったっけと思いながら自転車を押す。
駐輪場に自転車を止めひと息吐く。
勝手知ったる球場だ。初めて来た時は緊張したけれど、今は何とも思わない。
色々錆び付きガタが来ている球場は色あせて見える。
子供の頃宝物のように思えていたオモチャが、ガラクタだと気づいてしまったような気分だ。
「大鳥くーん、こちらでーす」
球場の方へ歩いて行くと、まばゆいばかりのチアガール姿の瀬川さんが手を振っている。
チアガールの衣装はノースリーブに短いスカート。露わになった腕と、スパッツで区切られた太ももがまぶしい。
たまに女の子で細すぎて心配になる子がいるけど、彼女はほどよい細さというか、健康的な細さだ。スレンダーだけど出る所は出ているし。
並んで座っている1年生達も「あの美人は誰だ」みたいな感じでザワザワしていた。
その瀬川さんの横には、学ランを着て学生帽をかぶった坊主頭の人が立っている。
「大鳥君、こちらは応援団団長の岩城先輩です。岩城先輩、こちらが本日お手伝いに来てくれた茶道部部員の大鳥君です」
「……よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
無骨な感じで大柄な岩城先輩とやらに挨拶され、頭を下げる。
この人、どこかで見た事ある気が……
「早速だけどこのクーラーボックスを、いっしょにレフト側の日陰の所に運んでもらっていいか」
「は、はい。分かりました」
バスから降ろされているクーラーボックスの1つを抱えた岩城先輩にならい、僕もクーラーボックスを抱える。中は水かスポドリだろうか、結構重い。
何往復かしてクーラーボックスをレフト側の日陰になっている所に運ぶ。
そうしている間に1年生やベンチ外の野球部員、吹奏楽部の面々もスタンド席に集まり始めた。金髪のショートボブと目が合い小さく手を振られる。こちらも小さく手を振り返した。
「試合中はここで荷物の見張りをしていて欲しい。守備の時とか攻守交代の間に水分補給するから配るのを手伝ってくれ。貴重品もあるからよろしく頼む」
「は、はい。分かりました」
「よろしく」
口数の少ない岩城先輩がのっそりとスタンドの方へ歩いて行く。
そして大きな声で応援団や1年生達に渇を入れ始めたり、熱中症に注意するよう言い出した。野太い声がよく通る人だ。
瀬川さんはというと、チアの面々と並んで右端の列にポンポンを両手に嵌めて立っている。
「あ、あの! 西中の大鳥先輩ですよね」
と、誰かに話しかけられた。
野球部の1年生らしい。背筋をピンと伸ばし、真新しいユニフォームに身を包んだ男子が帽子を脱いで一礼してくる。
「そうだけど……」
「自分、光葉中で1番打ってたヤマザキっス。大鳥先輩とも対戦した事あるんスけど覚えてるっスか?」
「……ゴメン、覚えてない」
中学の時対戦した相手なんていっぱいいるからイチイチ覚えてない。
光葉中はそれほど強いチームって訳でもなかったし。
野球部の1年のヤマザキくんとやらが「そっスよね……」と言いながら肩を落とす。
「大鳥先輩、マジエグかったっス。打てる気全然しなくて自分2三振でした」
「そうなんだ」
「えっと……なんで野球部入ってないんスか?」
「……」
高校に入学してからしばらく聞かれた質問に閉口する。先輩達に聞いてないのだろうか。
「……まあ、色々あってね」
「色々」
「前みたいに投げられなくなったんだ。マウンドから」
右肩を押さえながらヤマザキくんとやらに答えると、慌てたように頭を下げられた。
「スンマセンっした! 答えづらい事聞いちゃって!」
「いやいいから。気にしてないし。もう野球に未練もないからね」
「そうなんすね……。夏大で西中が1回戦負けしてたからアレ?って思ったんスけど、大鳥先輩投げなかったからなんスね」
「……まあ、ね」
引退試合は皆頑張ってたしいい試合だったけど、僕は最後までマウンドに立たなかった。いや、立てなかった。
その試合で僕は、野球をやめる事を決めた。
そして彼女への思いを、断ち切る事も決めた。
「お時間取らせてスンマセンっした! では!」
「ああうん、応援頑張って」
「ハイっス!」
ヤマザキくんとやらが、野球部の所へ向かう。
そして1年生らしい集団に何やら聞かれている。どうやら代表で来たらしい。
僕は、彼らから目を逸らしてグラウンドを見つめた。
ほんの数年前まで自分が立っていたグラウンドをこうしてスタンドから見つめるのは不思議な気分だ。
グラウンドでアップを始めるユニフォーム姿の野球部達を見ながら感慨に浸る。
いくつもの懐かしい思い出が脳裏をよぎった。
けれども、もうあそこでプレーしたいとは思えなかった。




