第五十一杯「薄茶と濃茶」
「今日は薄茶と濃茶について皆さんにご説明します」
水曜日の放課後。1週間ぶりに茶道部の活動ができるとあって瀬川さんが張り切っている。
輝木さんが、瀬川さんの言葉に小首を傾げた。
「薄茶と濃茶? 薄いお茶と濃いお茶? 莉子先輩、結衣菜が今まで飲んだのはどっちですか?」
「薄茶です。薄茶と濃茶は文字通り濃さが違います」
そう言って瀬川さんが2つのお茶が入った茶碗を出す。
1つは薄緑色の泡が立っているお茶。
もう1つは濃い緑色のドロッとしたお茶だ。僕が茶道部に体験入部に来た時に出されたお茶だ。
「こちらの泡が立っているお茶が薄茶です。落雁や金平糖などの干菓子や半生菓子に供されるお茶です。この薄茶を点てる作法を『薄茶点前』と言います」
瀬川さんが、薄緑色の泡が立っているお茶を両手で持ち上げ、畳の上に置いた。
そして濃い緑色のドロッとしたお茶が入った茶碗を持ち上げた。
「そしてこちらのドロっとしたお茶が濃茶です。お餅やおまんじゅうなどの生菓子に供されます。この濃茶は1人で飲むものではなく、参加しているお客様で一杯を分け合って回し飲むものです」
「ええっ? 間接キスって事ですか?」
「違います。前の人が口をつけた所は避けて飲むのが作法です」
輝木さんの言葉を、瀬川さんがドロッとしたお茶が入った茶碗を回す。
ああやって、前の人が口をつけた所を避けるのだろう。
「薄茶と濃茶は、まず使っている抹茶が違います。こちらが薄茶用の抹茶、そしてこちらが濃茶用の抹茶です」
薄紫色の容器と、黒色の容器を置きながら瀬川さんが言う。
容器にはそれぞれ「薄茶」「濃茶」のシールが貼られていた。
「莉子先輩、何が違うんですか?」
「使っている抹茶や味も違いますけど……お値段が違います。濃茶の方が高いです。なので本来であれば生菓子の時は濃茶を点てるのですが、茶道部では基本薄茶を点てます。予算が足りなくなってしまうので」
せちがらい事情を明かしながら、瀬川さんが薄茶と濃茶の入った容器をしまう。
「では、せっかくですから濃茶を皆さんで味わって頂きましょう。薄茶よりも苦いですが……。輝木さん、どうしますか?」
「うーん……、試しに飲んでみたいですー」
「では先に、お菓子をどうぞ」
瀬川さんがお茶菓子の入ったお皿を上座の寧音姉から配り始める。
「本日のお茶菓子は紫陽花の練り切りです」
「「すごっ」」
僕と輝木さんの声がシンクロする。
和菓子でできた紫陽花は、もはやアートの域に達していた。食べるのがもったいないほどだ。
けれども食べないとお茶が苦い。僕らは菓子切りで1口サイズに切って練り切りを食べ始める。
「それでは濃茶を一口ずつ召し上がって、隣の人に回していって下さい。今日は作法は気にしなくていいですよ」
瀬川さんに濃茶を渡され、寧音姉が一口飲む。
それから茶碗を板野さんに渡す。
板野さんが、茶碗を回して寧音姉が口をつけた所を避けて一口飲む。そして茶碗を僕に渡した。
板野さんがやったように、茶碗を回して濃茶を飲む。
体験入部の時に飲んで以来だけど、やっぱりドロっとしている。あの時は一杯飲んだけど、これは一口くらいがちょうどいいのかもしれない。
僕は、濃茶が入った茶碗を輝木さんに渡した。
「いただきます」
緊張の面持ちで、輝木さんが濃茶に口をつける。
「ちょっと!?」
上座に座る寧音姉がなぜか焦ったように立ち上がる。
寧音姉の隣に座る板野さんも、驚いた顔をしていた。
「輝木さん、茶碗回してませんよね?」
「え?」
「え?」
僕と瀬川さんが、呆気にとられた声を出す。
そういえば、輝木さんは茶碗を回さずに口をつけた。
という事は……
「あ~……先輩と間接キスしちゃいました☆ うっかりです~」
輝木さんが片目をつむり、てへぺろと舌を出す。
いや、うっかりって……
「うっかりも何もわざとでしょ! 私だってした事ないのに……!」
「やだなー、わざとじゃないですよー。結衣菜が先輩ごときと間接キスしたい訳ないじゃないですかー」
「この、腹黒子猫……!」
怒った様子で輝木さんに詰め寄る寧音姉を、瀬川さんと2人で止める。
何でこんなに怒ってるんだ???
「とはいえ間接キスは間接キスなんでー、先輩、責任取ってくださいよねー」
「責任取ってって言われても……」
「何の責任よ何の!?」
ヒートアップする寧音姉を何とかなだめ、輝木さんに頭を下げさせ落ち着かせる。
瀬川さんが、輝木さんにやんわり注意する。
「輝木さん、次からは気をつけて下さいね」
「はーい」
そんなこんなでグダグダなまま濃茶を味わう体験は終わり、次は薄茶を味わう事になる。
「それでは板野さん、薄茶点前をお願いします」
「分かりました」
茶道部の中で唯一お茶を点てる事が許されている板野さんが、薄茶を点て始める。
その所作は、瀬川さんに比べればぎこちないもののしっかりしている。
瀬川さんが、板野さんから僕らに目を移し主に僕と輝木さんに向けて注意する。
「皆さんも、ボーッと見てるだけでなく薄茶の点て方を見て覚えるつもりで見て下さいね。大鳥君、今板野さんが使っている茶道具は何ですか?」
「え? 確か……茶筅?だよね。新しい方がいいっていう」
「正解です。古くなった物は先が欠けやすいので『茶巾と茶筅は新しい方がいい』と言われています。1個1000円から3000円ほどするので大切に取り扱って下さいね」
「そんなにするんだ……」
思いの外高かった、お茶を点てるための道具の茶筅で薄茶を泡立てている板野さんが茶碗を差し出してくる。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
『行の礼』をして茶碗を受け取る。
きめ細やかな泡が泡立った薄茶は、一般的に茶道と聞いて世間の人がイメージするお茶だ。
これまで何度も瀬川さんの点てたものを味わっている。
それと比べると少しだけ味や口当たりは落ちるものの、板野さんの点てたお茶も十分おいしかった。
「おいしいですー。板野先輩やりますね。さすがは経験者」
「ありがとうございます」
輝木さんも同意見らしく、そんなヨイショを板野さんにする。
板野さんは淡々と礼を言った。
瀬川さんが、練り切りを食べた後自分で点てた薄茶を音を立てて啜る。
「それでは今日の部活はこれでおしまいにしましょうか」
「え? もう?」
「はい、今日はこのくらいにしておきましょう」
いつもは礼の仕方などを練習させられるのにあっさり終わり拍子抜けしてしまう。
けれど皆で礼をして、分担して後片付けに入った。
僕は瀬川さんと2人並んで使ったお皿や茶碗を洗い始める。
「……」
「……」
瀬川さんが洗った茶碗を、僕が布で拭いてラックに入れる。
会話がないのはいつもの事だけど、寧音姉と2人で畳を拭き掃除してる輝木さんから『あの事を話せ』オーラを放っているのを感じる。口で言ってくれないかな。
「あ、あのさ瀬川さん」
「はい、何でしょう?」
「図書室の本の事なんだけど……、瀬川さん延滞してる本が5冊あって……」
「えっ!? そうなんですか!? あ、そういえば借りっぱなしのまま忘れてました……。申し訳ございません。明日返却に来ます」
「う、うん……。僕と輝木さんがいる放課後でいいから来てね。昼休みを担当してる先輩に、ちょっとうるさい人がいるから」
「は、はい。そうします……」
瀬川さんが、顔を真っ赤にしながら頷く。
やはり借りていた事すら忘れてたみたいだ。僕は気まずくなって話題を変える。
「それにしても今日のお茶菓子もおいしかったね。アレも三太さんが作った物?」
「はい。その通りです。……やっぱり分かっちゃいます?」
「三太さんの腕は確かなんだろうけど、おはぎと比べるとね」
三太さんの作ったお菓子も十分キレイでおいしいんだけど、前に商店街のお店で食べたおはぎと比べるとほんの少し、いやかなりの差を感じる。
「瀬川さん、三太さんっていくつなの? いつからあのお店で修行してるの?」
「20歳です。高校卒業後にお菓子の専門学校に通って、そのまま『たちばな』に入りました」
「そうなんだ。他のお店で修行したりしてるのかと思ったけど」
「杵太さんと欣太さん……三太さんのお父さんはそのつもりだったらしいんですけど三太さんが『たちばな』に入りたいとおっしゃったそうなんです。『親父とじいさんの隣で学ぶのが一番修行になる』って」
「そうなんだね」
そんなこんなで『たちばな』の話をしていると、最後のお皿も洗い終わり拭き終わった。
「それでは本日もお疲れ様でした」
「「「「お疲れ様でしたー」」」」
皆で部室を出て、瀬川さんが鍵をかける。
その時間は、いつもよりずっと早かった。




