第三十三杯「ご武運を」
「大鳥君、こちらが私の家です」
土曜の朝10時。
商店街の前で待ち合わせた瀬川さんに連れられ、僕は彼女の家に着いていた。
「家って言うか……『屋敷』だね」
大きな門がそびえ立つ武家屋敷のような家の前に、僕は圧倒されていた。
瀬川さんが、頭のお団子をクシクシ触りながら恥ずかしそうに目を伏せる。
「よく言われます……。私はこれが普通の家だと思っていたので、子供の頃学校のお友達を連れてきた時によく驚かれました」
「だろうね……」
門をくぐり、日本庭園のような庭を通ると、茶室の前に、客が心と身支度を整える控えの場所『腰掛待合』があった。
木のベンチに、先日と同じ白のワンピースを着た瀬川さんと2人並んで腰掛ける。
「大鳥君、こちらに履き替えて下さい」
「うん」
瀬川さんに白い足袋と草履を渡され履き替える。
「本来は待合から作法があるのですが、本日のお茶会は茶室に入る所からスタートです。『濃茶点前』だけですので固くならずに、楽しんで行かれて下さいね。大丈夫です。大鳥君は土曜までお稽古して、作法をしっかり身につけ……」
「瀬川さん」
庭を見ながら、僕は彼女の言葉を遮り話しかける。
「瀬川さんが抱えてる事情は、なんとなくだけど察しがついてるんだ。このお茶会が、ただのお茶会じゃないって事も」
「……」
「まあ心配しないでよ。瀬川さんにしっかり作法を教えてもらったし、今朝も動画を見たりして作法の振り返りをしてきたからさ」
「……大鳥君は」
「うん?」
彼女に名前を呼ばれ、隣を向く。
キレイな茶色い瞳が、僕を見つめていた。
「大鳥君は、どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「……」
「まだ知り合って間もない私のために、どうして?」
――――――君が初恋の女の子に瓜二つだから。
そんな事言える訳もなく、僕は苦笑を浮かべる。
僕が答える気がないと察したのか、瀬川さんが畳まれた帛紗と扇子、菓子切りを挟んだ懐紙を渡してくる。
「ご武運を」
「うん」
「ご武運を」だなんて戦国時代みたいだなと思いながら、渡された茶道具を制服のズボンのポケットに入れたりベルトに挟んだりする。
少し暑いから学ランの上着はいらないかもしれない。リュックといっしょに瀬川さんに預かってもらう。
そして、茶室へと歩み寄った。
茶室には小さな入り口、『にじり口』というものがある。
千利休が考案したもので、茶室では身分の高低は関係ないと示すものだ。武士であろうと帯刀は許されず頭を低くして入らないといけないと瀬川さんに教わった。
草履を脱ぎ、揃えて置いてからにじり口に近づく。
「引き手」に近い方の左手で、にじり口の扉を小さく開ける。そして反対の右手で二度に分けて開ける。少しずつ開けるのは奥にいる亭主に来訪を知らせるためだ。全てを開けきらないよう気をつける。
小さな入り口に頭を低くして入り、入った扉を最初は右手で、そして反対の左手で二度に分けて閉める。
体を反転させて、茶室の中を見る。
外の光が少ししか入っておらず、薄暗い。
徐々に目が慣れていく。
6畳敷の茶室は、とても静謐な空間だった。
無駄な物がなく、畳や障子など和の空間が広がっている。
狭い空間なのに、『広がっている』と感じる不思議な空間だった。
足を進める度に、風船のように膨らんでいた自信がしぼんでいくような気分になる。
けれども何とか気持ちを奮い立たせて抜けた自信を身体に入れる。
大丈夫だ。瀬川さんがしっかり教えてくれたから。
部屋に入ったらまずは掛け軸や花が飾られている床の間を拝見する。
床の間の前の「貴人畳」には入らず、その手前の畳に正座して座り、扇子を膝の前に置いて一礼。飾られている花や掛け軸を拝見する。
瀬川さんに叩き込まれた作法を思い出しながら所作をする。
『床の間を拝見後は、点前座に進み炉を拝見します』
扇子を膝の前に置いて一礼。お茶を点てる点前座に置いてある風炉と釜を拝見する。
部室にあるコンセント式の物じゃなくて炭で沸かす奴だ。高そうという庶民じみた感想が出る。
拝見後はお茶を頂く席に正座して待つ。
そこに、まるで見ていたかのようにタイミングよく和服姿の美人が茶道具を抱えて、茶道口からやってきた。
薄桃色の着物に紅色の帯、ベージュの羽織り物をまとい、明るい茶髪を後頭部の下でまとめている、瀬川さんを大人にしたような美人だ。
瀬川さんにはまだないしっとりとした大人の品の良さを感じる。
和服姿の女性が、点前座に正座し膝前に茶道具を置いて僕に向けて礼をした。
「本日はようこそお越し下さいました。瀬川莉子の母、華と申します」
「よろしくお願いします」
「大鳥君、ですね? お話は娘から聞いています。……面白い本をご紹介下さったそうで」
「……」
長袖シャツの背中を、一筋の汗が流れ落ちる。
『りゅう○うのおしごと!』の事だ。
瀬川さんのお母さんが、どこから取り出したのかタブレットを取り出し操作する。
「娘に勧められ、私も試し読みを読んでハマりkin○leで大人買いしました。毎晩楽しく拝読しております」
タブレットの画面に浮かぶ『りゅう○うのおしごと!』の表紙に、僕は驚く。
大人買いしてた!? しかも電子版! 意外!!!
「kin○leで読まれてるんですね……」
「はい。紙より安いですし、場所も取りませんしね。まとめ買いなら割引もありますし」
瀬川さんのお母さんが微笑みながら答える。合理的なタイプの人なのかもしれない。
「こういったライトノベル?という物には触れてこなかったのですが、読んでいる内に胸が熱くなり夢中になってしまいました。面白い作品をご紹介頂きありがとうございます」
「い、いえ……気に入って頂けたなら何よりです」
「ただ……、娘が夢中になりすぎてるのは少々困りものですがね?」
「……」
前に瀬川さんがお母さんから呼びかけられても気づけなかったという話をしていた事を思い出し身体がこわばる。しかし……
「それだけ夢中になってしまう熱い作品ですので仕方ないと思います。でしょう?」
「まあそうですね」
目論みを挫かれたにも関わらず、瀬川さんのお母さんは何も変わらず柔和に微笑んでいる。
読めない人だ。そして色んな意味で大人な人だと感じる。
「大鳥君は、お茶会は初めてですか?」
「はい、こういった茶室に入るのも初めてで緊張しています」
「そうですか。ですが緊張なさらなくていいですよ。取って食いはしませんので」
「……」
瀬川さんのお母さんが『行の礼』をするのに合わせて、こちらも『行の礼』を返す。
何かを待つかのようにこちらに微笑みかけている瀬川さんのお母さん。
僕は、瀬川さんから教わったお茶会が始まる言葉を口にする。
「本日のご趣意は……」
「勘違いをされているようですね」
しかし、最後まで言い切る前に遮られた。
瀬川さんのお母さんが、言葉には似つかわしくない柔和な笑みを浮かべる。
「試されるのはあなたです。そしてあなたに作法を教えた莉子です」
「……やっぱり、そういう事でしたか」
瀬川さんのお母さんが、あらという表情をする。
本意か、こちらを油断させるための演技か。
ただその仕草ひとつひとつに、親娘なんだなと感じさせられる。
「本日のお茶会の意味を、莉子に言われたのですか?」
「いいえ、瀬川さん……娘さんは何も話していません。口止めされていたんでしょう?」
「さあ、どうでしょう」
とぼける瀬川さんのお母さん。
僕は更に突っ込んだ質問をする。
「娘さんに茶道部を作らせたのはあなたですね?」
「どうしてそう思われるのですか?」
「娘さんはどちらかというと受け身な人で、自ら動いて茶道部を立ち上げるような人には見えません。誰かの指示で作ったと考えた方が、しっくり来るんです」
「……でしょうね。あの子は昔から、自ら進んで行動するという子ではありませんから。……私達家族のせいでもあるのですが」
フウ、と小さく息を吐いて、瀬川さんのお母さんが表情と空気に感情をにじませる。
厳しい人ではあるんだろうけれど、やさしそうなこの人が瀬川さんの手を扇子で叩いたりしたのだろうか。
なんだかそれは……似つかわしくない気がした。
「あの子がウチの茶道教室を継ぎたいと言い出したので命じました。転校した学校に茶道部を作り、人を教える経験を積みなさいと。それができないのであれば、継がせる事はできませんと」
「……」
続いた言葉に、僕は自分の想像が合っていた事を知る。
お母さんに言われた通りに茶道部を立ち上げた瀬川さんは、内心ではあまり乗り気じゃなかった。
いつかこんな風にお母さんから試される事が想像ついていたから。
だから部員の勧誘にあまり熱心じゃなく、入部させる相手を選んでいた。
……そうなると僕や輝木さんを入部させた理由は分からないけど。
茶道経験者である板野さんを連れて来たかったというのが本心だろう。
でも日曜日にスケジュールが空いていたのは僕だけだった。
彼女にとっては最善ではない試験を受けさせる相手。でも、僕はやり遂げてみせる。
瀬川さんのお母さんが、彼女のようなニコッとした笑みを浮かべた。
「それでは始めましょうか。あなたと……莉子の試験を」




