第十六杯「扇子の意味」
「うーん、どうすれば部員が増やせるでしょうか」
蛇口から流れる水で茶碗をすすぎながら、瀬川さんが独り言つ。
まくったセーラー服の袖から露わになった手が白くてまぶしい。彼女は手も美しい人だ。
茶道部の部室にはシンクが備え付けてあり、水が出て洗い物ができる。
元々は宿直の教師の宿泊室だったらしい。
「もう1年生達も何かの部活や同好会に入ってるんじゃないの? ねえ、寧音姉」
瀬川さんが洗った茶碗やお皿を何かの布で拭きながら、僕が寧音姉に問いかける。
「そうね、部活に入ってなかったひねくれ者はあなただけだったわ」
畳の上で参考書を読みながら、寧音姉が答えた。
「となると、体験入部に来た方を逃さないようにするしかないですね……」
何やら不穏な事を言う瀬川さん、その手から茶碗を受け取る時に指先が触れる。
茶碗を落としかけそうになるものの、何とか手に収める。
指先が何だか熱く感じてドキドキする。
一方瀬川さんは、何事もなかったかのように濡れた手をタオルで拭いていた。
「……」
寧音姉が何か言いたげにこっちを見ている。その顔やめて。
拭き終わった茶碗をプラスチック製の水切りに入れる。大分古びてるものだ。前の茶道部で使われていた奴とかだろうか。
片付けが終わり、僕らはなんとなく畳へ移動する。
瀬川さん、僕、寧音姉。何故か三すくみの形になった。
僕は改めて、部室を見回す。
空き教室に並べられた6枚の畳、部屋の隅にまとめられている茶道具。
全部、瀬川さんが学校の倉庫にあった物を引っ張り出してきたらしい。
なぜ彼女は、そうまでしてこの学校で茶道部を作ったんだろうか。
「瀬川さん、どうしてウチの学校に茶道部を作ったの?」
気になって問いかけると、瀬川さんが頭のお団子をクシクシいじり始める。
そして目を逸らしながらこう答えた。
「それは……、茶道の楽しさをお伝えしたくて……」
ウソではないだろう。
彼女はウソを吐くのが下手だろうし、そもそもウソを吐く事をよしとしない人に思える。
けれども今口にした理由は、一番の理由ではない気がした。
寧音姉の方を見やる。
「知らないわ」と言わんばかりに肩を竦められた。
「それじゃ茶道の楽しさを伝えるために部活のアカウントをSNSで作ったらどうかな? それでショート動画やストーリーを投稿したら……」
「ダメよ。トラブルになったら困るわ」
アイデアを出してみるものの、生徒会長様から即却下される。
まあ確かにそれはそうか。瀬川さんのストーカーでも出たら大変だ。
「なら何かお茶のイベントをやるとか……」
「やってもいいけど……、申請とか許可とか色々大変だし時間がかかるわ。6月の学園祭と同じ時期くらいになるだろうし、そっちでやった方がいいわよ?」
このアイデアも生徒会長様からやんわりと諭される。
ていうか6月って、その頃には廃部の期限過ぎてるじゃないか。
「そもそも体験入部に来た全員入部しなかったのが問題よ。瀬川さん、分かってるかしら?」
寧音姉に言われ、瀬川さんが背中を丸くする。
「大鳥君にもご指摘されて自覚もあるのですが……。つい手が出てしまいまして……」
「じゃあその手を縛るしかないわね」
「う、うー……分かりました! 大鳥くん、やさしくしてくださいね?」
「ちょっ!?」
瀬川さんが、顔を真っ赤にして赤い布と両手を前に出してくる。
僕は慌てて瀬川さんの前で両手を振った。
「いやいやいや! 手を縛っちゃったらお茶点てられないでしょ!」
「そうですか? 頑張ればいけそうな気が……」
「頑張らなくていいから! 瀬川さんが気をつければいいだけだから!」
「そ、そうですよね!」
瀬川さんが、羞恥で顔を真っ赤にしながら手を下げる。
あれ、心なしか残念そうにしてる気が……
「と、とにかく。次に誰か体験入部に来た時には作法に厳しくしないように気をつける。扇子は僕が預かる。いいね?」
「わ、分かりました」
こそばゆい空気の中、僕と瀬川さんはそう約束する。
瀬川さんの手には、先ほども使っていた扇子が握られていた。
「そもそもどうして茶道に扇子がいるの? 何に使うの?」
「茶道の扇子は、閉じたまま膝の前に置いて自分と相手の境界を作り、敬意を表すための道具なんです」
閉じたままの扇子を僕と自分の前に置いて、瀬川さんが説明する。
「武士が刀を預けて入室した名残とも言われていまして、茶事の際に懐や帯に挟んで持ち運ぶ必需品なんです」
「ちゃじ?」
「茶会の事です。ええと、作法にのっとって行われる茶の湯の会の事で……」
「ああうん、なんとなく分かるよ」
大河ドラマなんかで、ちょんまげ姿の侍なんかが狭い和室で行ってる茶の湯を思い浮かべ、瀬川さんに頷く。
「とにかく、茶道において扇子は必需品なんです」
「教わっておいてアレだけど、茶道って面倒な事が多いわね」
瀬川さんから茶道のお作法を教わってるらしい寧音姉が、フウと悩ましげに息を吐く。
寧音姉の発言に、瀬川さんが小さく頷く。
「確かに面倒な決まり事が多いです。ですがそれもお茶を楽しむためのものです。もてなす側ともてなされる側が息を合わせ、茶道は共に楽しめるものになるのです」
「でも体験入部に来る人は気楽に来てるだろうから、そこはちょっと大目に見ようよ。作法を身につけるのは入部してもらってからでいいからさ」
「……はい。分かりました」
瀬川さんが、少し間を開けてから頷く。
納得はしてないけど、理解はしてくれたようだ。納得はしてないようだけど。
下校のチャイムが鳴り響く。空は夕暮れに染まり始めていた。
そのあかね色は美しく、不穏にも見えた。




