第十五杯「風炉」
「……うん、まあいいでしょう。いい時間ですし、今日のお稽古はこれで終わりにしましょう」
「ハア、ハア……。あ、ありがとうございました」
ようやく渋々といった感じで合格が出た『真の礼』で、瀬川さんと息を合わせて頭を下げる。
「お疲れ様でした。今お茶をお点てしますのでくつろいでいてください」
「は、はい……」
天使のような笑顔で、瀬川さんがスカートを整えながら立ち上がる。
一方僕は、足が痺れて動く事すらままならない。
「アイタタタ……」
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……」
瀬川さんが足が痺れた様子もなく普通に歩いている。きっと正座に慣れているのだろう。
白いソックスと太ももがまぶしい。彼女は足も美しい人だ。
足から目を逸らすように上を見る。その腕には何かが抱えられていた。
「瀬川さん、それは何?」
「風炉です」
「ふろ?」
「お風呂ではありません。風の炉と書いて風炉です。本来は炭を使ってお湯を沸かす道具なのですが、倉庫にあったのがコンセント式の物だったので、こちらを使う事にしました」
瀬川さんが部屋の隅にあるコンセントに差して、風炉とやらのスイッチを入れる。
ランプが赤く灯って、加熱してるようだ。
瀬川さんがその上に鉄のやかんを置き、ペットボトルの水を注ぎ始める。
「瀬川さん、そのペットボトルの水は?」
「学校で備蓄されている災害時用のお水です。賞味期限が近くなっている物を使用しています」
どうやら学校側から頼まれ使っているようだ。
確かに捨ててしまうのはMOTTAINAI。
お湯を沸かしている間に、瀬川さんがお皿に花の形をした何かを乗せて渡してくる。
「お菓子をどうぞ」
「これは……何?」
「落雁らくがんです。干菓子ひがしのひとつですよ」
干菓子が何なのか分からないのでスマホで調べてみると、保存が利くよう水分を少なめにしてつくったお菓子と出てきた。
そういえばおじいちゃん家のお仏壇に、こんなお菓子が飾られてた気がする。
「あら、ちょうどいい所に来たみたいね」
黒髪ロングをなびかせながら、寧音ねね姉ねえが部室に入ってくる。
「寧音姉? どうしてここに?」
「週に1度、お茶を頂きに来てるのよ。部活動の状況を見学する意味もあるけどね」
大人っぽい笑みを浮かべながら、寧音姉が僕に微笑む。
そういえば先週そんな話をした気がする。
寧音姉の分の落雁をお皿に取り分けながら、瀬川さんが可愛らしく小首を傾げる。
「ねねねえ?」
どうやら僕の寧音姉の呼び方が気になったようだ。
瀬川さんの疑問に、寧音姉が自分の豊かな胸に手を当てて答える。
「私の事よ。大鳥君と私は家がお隣同士で幼馴染みなの。私の下の名前が『寧音』で、私がお姉さんみたいな存在だから、『寧音姉』という訳」
「言っとくけど『寧音姉』って呼ばせたのは寧音姉からだからね。僕は恥ずかしいって言ったのに」
『弟が欲しかったから「寧音姉」って呼んで』と子供の頃の寧音姉に言われ、拒否ろうとしたらヘッドロックを食らわされ今に至るというのが真相だ。
「そうなんですか。大鳥君と会長さんは仲がよいのですね!」
瀬川さんが、ニコッとした無邪気な笑顔でそう言ってくる。
ちょうどお湯が沸いたらしく、瀬川さんが鉄のやかんを赤い布を重ねた手で取る。
そして耳かきみたいな道具で抹茶を入れていた茶碗に注いだ。
寧音姉が落雁を手に取ってパキッと音を立ててかじる。
僕も釣られて落雁を手に取りかじってみると、中々かみ応えのある固い食感がした。
そして口の中の水分がすべて奪われていく。
あー……、そういえば仏壇にお供えされてたお菓子を「食べていい」っておばあちゃんに言われて食べた時もこんな感じだったなー……
瀬川さんが、前にも使っていた道具で茶碗にお茶を点てる。
けれども何やら前回と違うようだ。
シャカシャカと泡を立てているお茶は、薄い黄緑色をしていた。
「瀬川さん、1つ聞いてもいいかな?」
「はい、どうぞ」
「そのお茶、この前頂いたお茶と違わない?」
黄緑色の泡を立てているお茶を差し出しながら、瀬川さんが微笑む。
「はい、前回のお茶は濃茶こいちゃ、今回のお茶は薄茶うすちゃです」
「濃い茶? うすちゃ?」
「はい。漢字で書くとこうです」
瀬川さんが手帳とペンを取り出し『濃茶』『薄茶』と書く。
意外とガーリーで可愛らしいピンクの手帳と、ピンクのペン、達筆な筆の字とは違う女の子っぽい字だ。
「濃茶は前回お出しした若鮎のような生菓子とお出しするお茶で、薄茶の約3倍ほど抹茶を使っています。一方薄茶は干菓子と一緒にお出しするお茶です。まあ召し上がってみてください」
瀬川さんに促され、薄茶の茶碗を手に取り、前回教わった通り正面を避けて口をつけるため3時の方向に回す。
そうして口をつけると、泡の後にお茶がやってきた。
「あ、前の奴よりサラサラしてる」
「薄茶ですからね」
「抹茶の量が違うからよ。インスタントコーヒーだって、粉が多すぎるとドロっとするし、少なめだと薄くなるでしょ」
説明になってない瀬川さんの代わりに、寧音姉が解説してくれる。助かる。
自分の分の薄茶を点てた瀬川さんが、落雁をかじる。
そして美しい仕草でお茶を啜った。
「ねえ、瀬川さん」
「はい、なんでしょう」
「前回の時、僕が若鮎を1口食べるのを待ってたよね。今も落雁を食べてからお茶を飲んでるけど、お茶の前にお菓子を食べるのが決まりなの?」
「はい。茶道のお茶は、お菓子を先に食べないと苦いですから。大鳥君、試しにお茶だけ飲んでみてください」
瀬川さんに促されお茶だけ飲む。すると確かに苦みがした。
「なるほろ、にふぁいへ」
「でしょう?」
前回の濃茶よりはマシだろうけど、意外と苦かった薄茶の味をごまかすように落雁をかじる。なるほど、中和されてちょうどいい感じになった。
「ところで5月が終わるまで残り2週間だけど、部員確保の目途は経ったのかしら?」
ズズっと音を立ててお茶を啜った寧音姉が、瀬川さんに問いかける。
瀬川さんが、分かりやすくしょんぼりした。
「その辺は、はい、何と言いますか……」
「言っておくけれど幼馴染みが加わったからと言って公私混同はしないわよ。大鳥君を酷使していいから何とか部員を5名集めなさい。こうしてお茶とお茶菓子を頂ける場所がなくなると困るわ」
堂々と言う寧音姉。メッチャ公私混同してるじゃないか。
あと僕は酷使されたくない。
「分かりました。大鳥君を酷使して何とか部員を集めます!」
「瀬川さん落ち着いて。僕を酷使しても部員は集まらないから」
目がグルグルしてる瀬川さんをなだめて落ち着かせる。
やっぱり、前途多難そうだった。




