第十三杯「どっちもぼっち」
ページをめくると次の日になった小説のように、火曜日の放課後が来た。
金曜も月曜も、そして今日の放課後に至るまで瀬川さんとは顔を合わせなかった。
僕と瀬川さんの学校生活は、どうやら交わらないようにできているらしい。
寧音姉曰く4月の初めには転校してきていたという事なので、1ヶ月ちょっとの間僕と瀬川さんはずっと顔を合わせた事がなかったという事になる。会っていたならさすがに気づく。なんせ彼女と瓜二つの外見の持ち主なのだから。
しかし今から顔を合わせる事になる。
部室棟に向かう運動部達の流れに逆らい旧校舎へと向かう。
職員室横の渡り廊下に出ると、外の空気に触れる。
息苦しかった肺の空気を吐き出し気分が少しだけ楽になった。
渡り廊下を渡ると、今は英語の授業や吹奏楽部の練習などでしか使われていない旧校舎だ。
昼休みに利用させてもらっているけれど、1階の教室しか使った事がない。
昇降口横の階段を上り、3階へ向かう。
新校舎の陰になっているからか、旧校舎の中は薄暗くて涼しい。節電のためか電気を消されているせいもあるだろう。
3階まで上り、隅っこにある茶道部の部室前に立つ。
僕は、コンコンと古びた木の扉をノックした。
『はーい』
ピンと糸を張った琴のような美しい声が返ってくる。
瀬川さんだ。
彼女の声はそれほど大きくなくても、扉を挟んだこっちにまでよく響く。
「大鳥だけど、入っていいかな?」
極力落ち着かせた声で瀬川さんに呼びかける。
『どうぞー、入られてくださーい』
扉を横に引くと、ラノベのようにラッキースケベが待っているなんて事もなく、畳の上で正座してる瀬川さんがいた。
紺色の生地に白のライン、白いリボンのセーラー服とスカートのプリーツは、今日も一分の隙もなく整えられていて美しい。
「ど、どうも」
「はい。本日もよろしくお願いします」
瀬川さんが美しい礼をした後、ニコッと笑う。
本当に美しい人だ。容姿も、所作も、きっと魂も。
上履きを脱いで、揃えて置いてから畳に上がる。
背を向けている間に小さく息を吐いて、気持ちを落ち着ける。
けれども振り返ると彼女と瓜二つの顔があり、落ち着けたはずの心臓がうごめいた。
握りしめた手のひらに滲む汗を感じながら、僕は瀬川さんの前に正座する。
そして彼女が何かを言おうとする前に切り出した。
「瀬川さん、部活を始める前にひとつ聞きたい事があるんだけどいいかな?」
「はい、何でしょう?」
「茶道部の部員集めって、どうしてるのかな?」
「ポスターを貼っています」
「ポスター?」
「はい。部員募集のポスターを、掲示板に貼らせていただきました」
掲示板。
1年生の廊下にでもあるんだろうか。まったく覚えがない。
「それだけ?」
「はい、それだけです」
瀬川さんが、居心地悪そうに自分の頭のお団子部分をクシクシいじり出す。
「茶道部を立ち上げた時には部活動の勧誘期間を過ぎていまして……。1年生向けの部活動紹介には間に合いませんでしたし、他に何もできなくて……」
嘘は吐いていないだろう。
でも彼女は、本当の事を言っていない気がした。
「これまでに体験入部って、僕を除いて何人来たの?」
「え、ええと……20人です。1年生が11人、2年生が9人来ました。2年生は男子達が多かったです」
結構来てた。
でもそれはポスターの効果というより、美人と噂の転校生に会いたくて来たみたいな感じがする。特に2年生。
「その全員、入部しなかったと」
「……はい」
瀬川さんが、目をうつむかせる。
寧音姉の言うとおり、どうやら自覚はあるようだ。
「どうして扇子で叩いちゃうの?」
「私が子供の頃、家の茶道教室で茶道を習っていた時に、叩かれていたのでつい……」
想像していた通り、厳しく作法を叩き込まれていたようだ。家はやっぱり茶道教室だった。
そして自分が教わっていた通り、作法に間違いがあると扇子で叩いてしまうと。
瀬川さんが、畳に置いた扇子を気まずそうに見やる。
「いけないと分かってはいるんですが、つい手が出てしまうんです。自分でもダメだと分かっているのですが……」
「でも人を叩くのはいけない事だよね?」
「か、加減はしています」
「でも叩かれた人は嫌な気分になるよね?」
「……」
瀬川さんが、逡巡した後小さく頷く。
「子供の頃の瀬川さんだって、叩かれるのは嫌だったよね?」
「……はい、すごく嫌でした」
「じゃあ叩いちゃダメだよね?」
「……はい」
扇子の位置を指先で直した瀬川さんが、両手を畳につく。
そして僕に向けて、深々と頭を下げた。
「大鳥君にも、先日は嫌な思いをさせてしまいましたよね。申し訳ございませんでした」
「ああ、ううん。僕の事はもう気にしなくていいから」
「そういう訳にはいきません。申し訳ございませんでした」
お団子頭を見ながら、僕は感嘆する。
本当に美しい人だ。自分の過ちを認めて謝る事ができる。大人でもできない人間がいるだろうに。
「か、顔を上げてよ瀬川さん。それより新入部員集めの話をしよう。いつまでに5人集めないといけないんだっけ?」
「5月いっぱいまでです。それまでに集められないと廃部になり、同好会に格下げになると」
「同好会じゃダメなの?」
「ダメです。部室がなくなります」
僕の頭に、普通の教室の机と椅子でお茶をする僕達の姿が思い浮かぶ。
うん、それは茶道部ではない。
「それと部費が減ってお茶とお茶菓子が買えなくなります」
お茶とお茶菓子のない茶道部。それはもう茶道部と呼べるのだろうか。
「……廃部は、阻止しないといけないね」
「はい。大鳥君、誰か入部してくれそうな人に心当たりはありませんか?」
瀬川さんに聞かれ、僕はゆっくり目を逸らす。
そして右手で頭を掻いた。
「ゴメン瀬川さん、僕はそういった事で力になれそうにないよ」
「あっ……」
なんとなく察したらしい瀬川さんが、開いた口に手を当てる。
やめて、そのリアクション切なくなるから。
と思っていると瀬川さんが両手で僕の左手を包み込んだ。
とても温かくて柔らかい。一気に胸の鼓動が早くなる。え? 何?
「大丈夫ですよ大鳥君」
瀬川さんが、整った顔を曇らせながらうつむく。
「私も……、クラスでいつも1人ですから……」
まさかのぼっちだった。
美人すぎて周囲から浮いているとかだろうか。
それとも女子達から妬まれてるとかだろうか。
あるいは茶道部に遊びに来たクラスの子から話を聞いて、怖がられてるとかだろうか。
どれも正解な気がする。
「で、でも大丈夫です! 私達は今2人です! 私には大鳥君が、大鳥君には私がついています!」
「ソ、ソウダネ……」
「はい、だから大丈夫です!」
僕の手を両手で握りながら自分を奮い立たせる瀬川さん。
その手の感触と温かさにドキドキしながらも、僕は途方に暮れていた。
季日南高校茶道部、現在ぼっち2人。
前途多難の船出だった。




