第一話 目覚めたのは誰ですか?
「ルクス様」
優しい声が聞こえる。
それは微睡の中で緩やかに聞こえ、初めそれは何を言っているかルクスには理解できなかった。ただ、小鳥のさえずりの様な響きがあり、まだ覚醒していない頭が何かしらの興味を覚えるには役に立った。
「ルクス様」
そして、徐々に覚醒していく頭がそれが自分を呼ぶ声だと気付いた。
そうなると一気に意識が覚醒していく。
自分が何でここがどこなのか。
(そうだ……俺は……)
「ルクス様」
(そう。ルクスだ……)
覚醒し目を開けると眩しい光と黒い布で覆われた天蓋が目に入る。そして、先ほどから小鳥のさえずりの様に自分の名前を呼ぶ者に視線を向ける。
「おはようございます。ルクス様」
「ああ。おはよう」
一人で寝るには大きいベットの傍に頭を少し下げ朝の挨拶をしてくる侍女に挨拶を返す。その面を上げれば整った顔が見られ、そのしぐさから動かない人形ではないことが窺える。しかし、笑顔一つ浮かべない無表情なその顔は下手な人形よりも人形らしかった。
朝一番、自分の名を呼ぶ奇麗な女性の優しい声で目覚める。それはある程度の男性なら喜ぶ内容だろう。
しかし、どんなことでも慣れれば感動は薄れる。ましてや自分の名と自覚が薄ければ嬉しさも半減だ。
とは言え、贅沢な朝である事には変わりなく手早く体を起こし大きなベットを出て寝衣のまま顔を洗う。その際侍女に手伝ってもらう。未だ気恥ずかしさが伴うがそれをルクスは隠す。
着替えるために立った、目の前の大きな鏡には黒い髪で貴公子然とした整った顔とすらっとした体が写る。十中八九街中で女性に声をかければ、ほいほいついて来そうな甘いマスクとでも言うべき顔だ。低く甘い声だったのなら完璧だろう。もちろん、完璧なのは言うまでもない。しかし……。
(未だに見慣れない……)
そうルクスは心の中でため息をつく。そんな心情をおくびに出さず少しラフな格好に着替える。今日の朝は誰にも会う予定はないはずだ。朝の時間ぐらいこの格好で構わないだろう。そう思いルクスは鏡の中の自分を一瞥する。
ラフとは言え真っ白なシャツに濃い茶色のスラックス。共にしっかりとアイロンが掛けられ折り目はビシッとしている。もちろん、洗濯されてすぐの物だ。昨日着た物ではない。過多な装飾品は着けていないがシャツのボタンなどには金や宝石が使われている。ただそれらを身に着ける本体の方が良すぎて有っても無くても変わりはなかった。
一通り衣服のチェックをする。おかしなところは一つも無い。
自分の姿に見慣れなくても、体を動かすのは慣れた。背筋を真っ直ぐ伸ばし早すぎず遅すぎず静かに歩む。
寝室を出て長く広い廊下を進み、同じように広い食堂に入る。
真っ白なテーブルクロスに一人分だけの食事の用意。一人で使うには大きく長いテーブルが部屋の真ん中に陣取っている。それらがこの部屋が何のための使われるのかを主張している。
その用意された席に座る。もちろん給仕の者が椅子を引き、席に着いてすぐに料理が目の前に出される。数種類の焼き立てのパンの香りが鼻をくすぐり、新鮮な玉子で作られたスクランブルエッグや同じく新鮮なサラダが白い皿の上を彩る。その横にはスープから湯気が立ち上っている。もちろん色鮮やかなフルーツも食卓を飾っているかのように綺麗に切られて皿の上に盛られ並べられている。
それらを大きな音も立てずにゆっくりと食べる。
焼き立てのパンにバターと甘い蜂蜜を塗る。両方とも遠い場所から運ばれた物だ。パンの熱で溶けたバターの香りに蜂蜜の花の香りが混ざりパンの味を濃厚な物にする。スープは透明だが味は濃厚で玉子だけのスクランブルエッグは単純だがその玉子の美味しさが際立っている。
どれもこれも奇をてらったものではないが、その分素材の味が活かされた料理だ。
そんな高級ホテルで食べるような朝食。
それが『SPIBUPRL SPKPSAB』の、いや、だった者のいつもの朝の風景だった。
それはルクスが五歳ぐらいの時だっただろうか。
父親が亡くなり周りが慌ただしくなっていた頃だ。
ふとした拍子に別の自分の過去の記憶がフィードバックしてきた。
それは毎日をギュウギュウ詰めの満員電車に運ばれながら会社に通う、しがない三十過ぎの独身サラリーマンの男、『日向 光』の記憶だった。
その記憶は幻と言うには殊更鮮明に思い出され、今のルクスとしての自分の方が幻か夢の中にいるかのように思えた。
そのためルクスにはその時自分の置かれた状況がよく分からず混乱した。
しかし、その混乱の中その『日向 光』の記憶から自分が前世の記憶を持っている稀な者だと当たりをつけ、ルクスとして生活をするようにした。
それは『日向 光』の記憶が断片的で時系列がおかしかったからだ。そして、何よりルクスとしての生活の方が現実感があった。頬を叩けば痛く感じ、激しく動けば体の疲れをも感じる。それらに勝る記憶は『日向 光』の中には無かった。
そうして過去の記憶と現実の折り合いはある程度つけることはできた。
しかし、『日向 光』の記憶を、人格を捨ててルクスとして生活ができるかと言うと、それは無理だった。結局中身がサラリーマンの子供が出来上がったのだった。
そして、それがルクスの優雅と思われる生活に影を落とし、未だに自分自身に慣れない現状を作り出していた。
(未だに見た目とか見慣れないからなぁ~。集合写真なんか撮った日には自分を見つけられない自信がある。
まぁ~慣れないのは姿だけじゃないけど……)
ルクスは食後の紅茶を優雅に飲みながら、チラッと周りを見てそう思う。
この大きな部屋には給仕のため、複数の者が目立たないように立っている。独り身が長かった身としてはこうして自分のためだけに給仕されるのは未だに落ち着かなかった。
だが、流石にしなくてもいいとはルクスの立場上言うことはできなかった。いや、簡単にできるがそれには大きな責任が伴う。
(それが未だに一番慣れない……)
そう、それは……。
「おはようございます。魔王様」
そう、ルクスを呼ぶ声がその広い部屋に響いたのだった。




