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翔平、実家で初恋に浸る。〜弟はだらけた大学生〜

こじらせてる翔平です笑


お盆で実家に帰省した。


学生時代を過ごした子供部屋で眠ったからだろうか。


二十五にもなって、初恋の女の子の夢を見て目を覚ます。なんとも恥ずかしい話である。


「はぁ……何年ぶりだ? こんな夢」


吉永翔平は目覚めるなり、照れ隠しのように何度も頭をかいた。


今年で二十五歳。社会人三年目だが、実家を出て一人暮らしを始めたのは二年前だ。


翔平が寝ていた元自室は、家を出た時から何も変わっていない。


学生時代から使っている教科書や、何に使ったのかも思い出せない資料が山積みになった勉強机。青い古ぼけたカーテン。壁にはサッカー選手のポスターや、旅行先で撮った写真が飾られている。


そして、その一角に収められたクレヨン画を見つけて、翔平はまたため息をついた。


母の日に描いた絵だった。


正確には、翔平が一人では描けなかった絵だ。


画用紙の端には、幼い字で自分の名前が書かれている。そのすぐ横に、もう一つ。


朝倉夢愛。


小さく丁寧な字で、彼女の名前が残っていた。


「……まだ飾ってたのかよ」


母が勝手に額へ入れたのだ。


そう思っている。


そういうことにしている。


けれど、家を出る時に外さなかったのも、捨てなかったのも自分だった。


夢の中の彼女は、あの頃のままだった。


少しおとなしくて、絵がうまくて、誰かの痛みに気づける優しい女の子。


それが、どうしようもなく困る。


翔平は額縁から目をそらすと、乱れた髪をもう一度かき上げた。


「……水、飲も」


独り言のようにつぶやいて、部屋を出る。


古い階段を下りると、居間からテレビの音と、だらしない笑い声が聞こえてきた。


ソファーの上で、弟の陽太が溶けていた。



六つ年下で、この春大学生になった弟、陽太。


幼い頃は病弱で入退院が絶えず、常に母の関心と愛情を独り占めし、翔平にトラウマ級の孤独を味わわせた男である。


明るく染めたさらさらの髪が似合う端正な顔を、今は究極にぼんやりさせている。


片手にスマホ、片手にポテトチップス。腹の上にはクッションを乗せ、足をだらしなく投げ出していた。


夢の中で母に抱かれていた弟は十九歳になり、実家のソファーでだらだらと夏休みを消費していた。


「あれ、にいちゃん帰ってたの?」


「おまえ……」


「小遣いちょーだい。お盆のバイト、マジ暇。草」


翔平は無言で冷蔵庫へ向かった。


数分前まで胸の奥を締めつけていた初恋の痛みが、弟のひと言で雑に踏み荒らされていく。


「お前、大学は?」


「夏休みぃー」


「なんかサークルとか入ってないのか?」


「え? 飲みサー?」


「終わってんな」


「俺はにいちゃんみたいな国立じゃねぇもん。私立でゆるいの」


悪びれもせずに言う陽太に、翔平はため息をついた。


昔から、陽太は甘えるのがうまい。


病弱だったせいもある。周囲が手を差し伸べてくれることに、妙な遠慮がない。


それが悪いことだとは思わない。


思わないが、腹は立つ。


「にいちゃん、腹減った」


「勝手に食え」


「ピザ取ろうよ。親いないし」


「親がいないからって贅沢言うな」


「テレビ局員なのにケチ」


テレビ局員をなんだと思っているのだろうか。


正確には、制作会社から出向しているイレギュラーな立場のアシスタントプロデューサーなのだが。


「焼きそば作ってやるから、もうちょっとしゃんとしろ」


「やったー! 具はちくわじゃなくて、豚こまにしてね」


ちゃっかりリクエストまで通した陽太は、出来上がった焼きそばを出すと大喜びでマヨネーズと青のり、かつお節をかけた。


「うめぇ。兄ちゃん、やるじゃん」


偉そうに言うので、翔平は腹いせに、陽太が見ていたテレビを消した。


「ああ!? やめてよ! 俺、今YouTubeの広告が終わるの待ってたのに!!」


若者のテレビ離れが甚だしい。


弟の何気ない言葉に、制作側の人間として若干傷ついた。


「見て見て! 今、俺の一番の推しアイドル! 松倉綾菜ちゃん!」


再び映し出された『綾菜チャンネル』を指さし、陽太は無邪気に笑っている。


松倉綾菜の顔を見て、翔平はその完璧な人形のような顔に「へえ」と適当に返した。そういえば、コンビニの雑誌売り場で水着姿を見たような気もする。


『こんにちはぁ。いつもチャンネル見てくれてありがとう! 松倉綾菜です! 今日は、プチプラで作る旬顔メイクを紹介しまーす!』


少し鼻にかかったアニメ声が特徴的なグラドルが、画面の中でにっこりと微笑む。


それを眺めながら、陽太がにこにことひと言。


「可愛すぎる……エッチしてぇ」


あまりに直球な欲望に、翔平は食べていた焼きそばを吹き出しかけてむせた。


「昼間からやめろ!」


「えー……だって兄ちゃん、よく見てよ。この可愛い顔に、こんな細い体でおっぱいデカいんだよ? しかも綾菜ちゃん、肌がきれいすぎて、ベースメイクはいつも日焼け止めとパウダーを薄くはたくだけ……」


今どきの男子らしく、陽太も化粧水を使い、夏には日焼け止めを欠かさない。


病弱だったうえに肌も弱く、日に焼けても黒くならず、真っ赤になって炎症を起こすタイプなのだ。


陽太は真剣な顔でメイク動画を見ていたが、おもむろに再生速度を上げ始めた。


「メイクも可愛いけど、同時にストレッチ動画も上げてる! うわぁ、このひっくり返って足上げてるの、エロい」


いわゆるヨガの鋤のポーズを、邪な目で見始める。


「エッチすぎる。俺も綾菜ちゃんひっくり返したい! 兄ちゃんは!?」


「……初めて見るグラドルに、そこまで思えない」


「ちぇっ。これだからイケメンは。童貞の俺が真剣なのに、茶化すんだよ!」


身も蓋もないことを言われた。


「お前、それなりにモテるんだろ? なんで、その……」


「え? なんで童貞なんだって?」


「いや、心配はしてないけど……」


「んー? 兄ちゃんより流されやすくはないからかな」


その言葉に、翔平はぎくりと身構えた。


「俺にも一応、理想があってさ。松倉綾菜ちゃんみたいな、可愛くて胸の大きい子がいい!!」


笑顔で無垢な夢を披露した陽太は、妥協する気はないと胸を張った。


流されたことなら、翔平にはいくらでも心当たりがある。


初体験は、なんとなくいい雰囲気になったゼミの同級生と、流れで付き合い始めた末のことだった。


大学時代、バックパッカーとして南米を縦断した時には、なんとなく同行することになったアラサー女性に、縦断記念だと押し倒された。


さらには、サッカー部のマネージャー二人と酔ったままラブホテルへ行き、二人に迫られるまま勢いで三人でしたことまである。間違いなく、人生で一番いやらしい体験だった。


(言えるわけがない……真面目な兄で通している俺が、こんな感じだなんて)


翔平は陽太の前で曖昧な笑みを浮かべ、ごまかした。



お気楽で、グラドルに夢中のだらけた大学生となった陽太。


翔平はそんな弟に付き合い、なんとなく松倉綾菜の動画をはしごすることになった。


『えーと……あ、これはナイトブラ! 可愛いよね! 〇〇〇〇ってブランドで……』


「う、うわああああー!! きた! 女子向けだからって無防備にナイトブラ見せてきた!! や、やばっ。胸デッカ!!」


「うるさいって」


陽太は立ち上がり、テレビにかじりついている。


『あっ、ここ見ちゃダメ! 下着コーナーだから、モザイク、モザイク!!』


「や、やばい……今、ちらっと下着の引き出し見えた。巻き戻して一時停止して……はぁ、はぁ」


「お前なぁ……こんなの、釣りでわざとやってんだろ?」


「そんなことない!! 綾菜ちゃんはドジっ子で、二年前も間違えて下着を踏んづけて転んで、パンツ丸見えになってモザイクかけてた!!」


「ヘビーユーザー!? 全部見てんのか!?」


「もちろん全部見てるよ? YouTube以外にも、インスタもチェックしてるし。あとさー……」


またしてもにやにやしながら、陽太がろくでもないものを披露した。


ローテーブルの上に、DVDのパッケージがぽんと置かれる。


【松倉綾菜ちゃんにそっくり! 巨乳Hカップのグラドル 初恋の淫らなエッチ♡】


「…………」


あきれて固まる兄を前に、弟は悪びれもせず言い放った。


「ジェネリック綾菜ちゃん」


「医薬品みたいに言うな」


「これ、すげぇんだよ!! 顔がそっくりなうえに、ピーーーーもすごくて、そのピーーーをピーーーーーされて、ピーーーのピーーー」


※完全版では伏字がなくなります。


とにかく、とんでもなく淫らなことになっているらしい。内容を聞いただけで、童貞の夢が詰め込まれていることは分かった。


「さぁて。ジェネリック綾菜ちゃんも観るか……はぁ、はぁ」


「そもそも、松倉綾菜じゃないだろ……」


「そっくりな顔で喘ぐから背徳感しかない。兄ちゃん、部屋に入ってこないでね」


「安心しろ。一ミリも興味がない」


そこへ、両親が帰宅した。


「ただいまー。あら、翔平。あんた、まだいたの?」


「それが、わざわざ盆に帰ってきた息子に言う言葉か!」


「あんたが来なかったから、おばさん残念がってたわよ? 筋○番付の観覧券が欲しいって……」


「だから! 俺にはそういう権限、何もないって」


「誤解を解くためにも、お正月は向こうに顔を出しなさい? あ、あとこれ。さっき近所のスーパーで、たまたま夢愛ちゃんのお母さんに会ったんだけど……」


「え!?」


その名前を聞いた途端、思わず声が裏返った。


母は、何かを手に持っていた。



母が手にしていたのは、一枚の名刺だった。


「夢愛ちゃん、今はイラストレーターやってるんですって。インスタで注文を受けて、似顔絵とか描いてるらしいわよ」


「イラストレーター……?」


「宣伝してって何枚かもらったから、あんたにもあげる」


「……これ、俺に?」


「違うわよ。お母さんに何枚もくれたの。近所の人にも配ってって」


「あ、そう……」


一瞬でも、自分のために託されたのかと思ったことが恥ずかしい。


「誰? 初恋の人?」

「うるさい」



差し出された名刺を、翔平は思わず両手で受け取った。

白い紙面には、淡い水彩画の花。その下に、小さく丁寧な文字が並んでいる。



【朝倉夢愛 Illustrator】

【Instagram @yua_illustration】


絵を描く仕事をしている。

あの頃、いつも画用紙に向かっていた夢愛らしいと思った。



翔平は、名刺に記されたアカウントを検索した。

表示されたアイコンは、色とりどりの花に囲まれた少女の横顔だった。


プロフィール欄には、似顔絵やイラストの依頼はDMから受け付けていると書かれている。


「夢愛ちゃん、高校を卒業してから新潟の国立大学で美術を学んだのよ。昔から絵が上手だったものねぇ」


母が懐かしそうに言いながら、翔平のスマホをのぞき込んだ。


「あら、可愛い! すごく繊細できれいな似顔絵!」


画面には、柔らかな笑顔を浮かべる親子の肖像画が表示されていた。

髪の一本一本まで丁寧に描き込まれながら、写真をそのまま写したものとは違う温かさがある。


指を滑らせると、鮮やかな色彩のデジタル画から、淡くにじむ水彩画まで次々と現れた。


描き方は違っても、どの絵にも描かれた人への優しいまなざしが感じられた。



「……すごいな」


翔平は思わずつぶやいた。

子供の頃から、夢愛は絵がうまかった。


けれど、思い出の中にある彼女の絵とは、もう比べものにならない。


興味がないふりをしていた陽太も、いつの間にか翔平の肩越しに画面をのぞいていた。


「すごっ」

「近い」

「え、フォロワー二万とか、結構すげぇじゃん。漫画っぽい絵もうめぇー」


陽太は勝手に画面をスクロールし、漫画風に描かれた男女のイラストを拡大した。


「この人、普通に人気イラストレーターじゃん」

「……そうみたいだな」


翔平は答えながら、画面上部にあるフォローボタンを見つめた。


押すだけだ。


たったそれだけなのに、なぜか指が動かなかった。


「押さねぇの?」

「……あとで見る」

「二十五歳にもなって、フォローで照れてんの?」

「照れてない!!」


真っ赤になって怒鳴ると、陽太は「ジェネリック綾菜ちゃんに戻りまーす」とケタケタとからかいながら部屋に戻っていった。



翔平はベッドに寝転び、夢愛のプロフィール画面を開いた。


【似顔絵・イラストのご依頼はDMへ】


依頼ではない。

昔の同級生が、十五年ぶりに話しかけたいだけだ。

メッセージ欄を開く。


『夢愛ちゃん、久しぶり』


そこまで打って、消した。


いきなり「ちゃん」は馴れ馴れしいだろうか。


『朝倉さん、お久しぶりです。吉永翔平です』


今度は仕事のメールみたいになった。

これも消す。



『名刺、お母さんからもらったよ。絵、すごいね』


嘘ではない。

けれど、これでは何者なのか分からない。



「……何やってんだ、俺」


女性を食事に誘うくらい、今まで何度もしてきた。

海外では、ろくに言葉の通じない相手と何日も旅をした。


それなのに、朝倉夢愛へ送るたった一行が決められない。


小学生の頃も同じだった。


一緒に帰ろう。そのひと言が直接言えなくて、教室の隅で小さな手紙を渡した。


二十五歳になった今も、やっていることは何も変わっていない。



『久しぶり。吉永翔平です。母さんから名刺をもらいました。夢愛ちゃん、今も絵を描いてるんだね。すごくきれいだった』


送信。


「……送っちゃった」


二十五歳にもなって、たった一通のメッセージで心臓がうるさい。


翔平はスマホを伏せ、枕へ顔を埋めた。


その直後。

軽い通知音が鳴った。


『翔平くん、久しぶり。イラスト褒めてくれてありがとう』



十五年ぶりに文字で呼ばれた自分の名前を、翔平はしばらく見つめ続けた。





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